ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

「月に吠える」ならこうする

今週のお題「秋の歌」

ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの

――室生犀星・小景異情

センチメンタルな気持ちになりがちな11月、いかがお過ごしでしょうか。桃ちゃんは相変わらずのんびりしています。

小景異情にみる詩歌の可能性

詩歌ってどうしても「適当に余った時間でやるもの」というイメージを持たれがちです。というか、現場の教師が本腰を入れて指導していることのほうが少ないです。これはかなり危機的だと思っていて、生徒は音楽の歌詞などで詩歌に触れるのに、それを分析しないで(=自分の中に言葉として使える状態にしないで)流してしまうのは非常にもったいないです。だからこその「歌詞分析」の授業なのですが、批評に繋げられるいい素材でもあるので、改めて紹介しておきます。

生徒に身近な音楽の歌詞を題材に、印象批評から構造主義の批評に持っていく流れが導入編。実際に指導された先生は、LiSAさんの「紅蓮華」で鬼滅の刃と繋げる・切り離すというのをやったそうです。私はどちらかといえば単元末に批評のしかたを復習するために使っていて、ヨルシカさんの「又三郎」について複数テクスト読解の練習として指導しました。詳細は以下の記事にて。

hoshino-momotaro-1616.hatenablog.com

これのいいところは生徒にとって身近であるからこそ、発見した時の喜びが大きいという点にあります。以前米津玄師さんの「Lemon」でやったときは大盛り上がりで収拾がつかなくなるくらいだったのですが、生徒の興味をひくには十分です。

古典文学への橋渡し

古典の文法が難しい、指導の形態をどうすべきか、というお話もあるのですが、それも詩歌で多少克服できる気がしています。学校の校歌や唱歌、童謡などのなじみのあるものだとか、ヨルシカさんは結構文語風の歌詞を書かれているのでそれを使ったりとか、やりようはいくらでもあると思うのです。最近はヨルシカさんの「春泥棒」で「散れり また春吹雪」という歌詞に注目して「散りぬ」とどう違うのか、印象や意味はどのように変わるのかということを考える授業もあっていいのでは? と思っています。古語に触れる、古典に親しむ、そのためには文法が……という場合に、歌詞分析から導入していくのも効果的です。

複数テクスト読解としての詩歌

詩歌もテクストなので、当然ですが「歴史」のなかに位置づけられています。発表当時の印象から始まり、その詩歌が現代に翻案されているもの(マンガ、小説、音楽)などを通して「文学史」に触れることも可能でしょう。最近は文豪系のマンガ・アニメ・ゲームなどのメディアミックス作品が人気なので、食いつく生徒も一定数いるはず。詩歌を時間つぶしだと思っている生徒には「言葉の獣」というマンガもおすすめです。

to-ti.in

言語文化に触れるには、詩歌が手っ取り早いし楽しいので、もっと研究していきたい(研究してほしい)というお話でした。それでは、また。