ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

教育現場から 24 美術×国語

久しぶりに教育の話を。

教科横断と論理・文学の断絶

教科横断の実践事例として、英語科との横断は経験があります。非常勤をしていた定時制高校で、詩歌をテーマに英語科と国語科でそれぞれ厳選した詩歌扱い、表現の違いを味わう授業を構想・実践しました。これはかなり難しくて、生徒の学力的な問題と、我々教職員の連携の不備がネックとなって、構想は良かったものの実際には失敗に終わってしまいました。教科横断とは、国語と他の教科、今回で言えば美術に関連する教材を同時に扱い、教科をまたいで教養を身につけるものですが、それはなかなかに難しいものでもあります。

文部科学省は教科横断授業を推進する傍らで、国語科教員など有識者の間では「分断できない」とされた論理と文学を分けるあたり、なんだか整合性が取れていませんが、要は管理したくてもできなくなった、理想像を提示できるだけの能力が無くなったとみて間違いは無さそうです。それについては私よりも先輩の先生方にご意見を求めるとして、今回は「美術と国語で何かやれませんか?」というご提案です。参考までにどうぞ。

教材観・目指す授業

今回使用するのは「かざる日本」(橋本麻里)「装飾と犯罪」(アドルフ・ロース)、「絵画の美術史」(リンダ・ノックリン)の三冊です。夏休みの宿題等で、西洋絵画鑑賞・建築鑑賞・日本美術鑑賞をさせたうえでの実践を想定しています。もちろん、行けなかった生徒のためにもデジタルアーカイブで閲覧できるようにしておきます。

これらの教材は美術史を読み解く中で、現在(2021年現在の最先端の情報)・過去(19世紀の時点での現在)・さらに過去(20世紀時点で昔の絵画を振り返る)という三層の時間の構造を持っています。この構造は批評を読むうえで必要になる・批評するうえで必要になる視座だと考えたため、導入することにしました。この「時間の三層構造」を先に生徒たちに伝えたうえで、授業を進めます。この三層構造を取り入れたねらいとしては、現在の時点で「おかしい」「間違っている」とされる考えも、その言説が発表された当時は「正しい」とされていた可能性に気付かせることや、今の我々の言説もいつか古典になることへの意識づけ、歴史観の再構築など複数の要素を含み、それらが将来生徒たちの生活に必要になると考えたため、あえて取り入れた、という形になっています。

実際の授業ですが、まず大きな問いとして「芸術って何?」というところから始めます。それだけだと漠然としているので、デジタルアーカイブや実際に鑑賞したものを共有して「これぞ芸術」と思ったものについて議論します。その後「かざる日本」のまえがきと「紅」の章を読み、「日本美術は引き算の美」という言説は本当か? と疑念を持った筆者の動機・紅の生産工程など調査された事実関係を整理しながら、筆者が伝えたい「日本美術のありかた」を把握する、という単元でまず一つ。だいたい3時間くらいかかるかな。答えとしては「美しく『かざる』こともまた日本美術のありかたの一側面であり、そのかざることには呪術的なものも含まれる」というものですが、それを引き出すまでリフレクションシート(※固定記事参照。私がほぼ毎時間生徒に取り組ませている、振り返りのシートです。自由記述で140字……Twitterで呟くくらいの字数を目指して書かせます)にて、生徒の到達度を測りつつ最適なアドバイスを提示し、良い意見はどんどん共有していくことを実施します。

もちろんまだ実践していませんし、やってみないとわからないですし、そもそも投げ込みの教材をやれるかわかりませんが、案ということでひとつ。それでは、また。

f:id:hoshino-momotaro-1616:20220110152638j:plain

構想メモ