ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

スポーツで養われる感性って何?

今週のお題「好きなスポーツ」

例によって例のごとく説教臭いです。すみません。「スポーツを通して礼儀正しさが養われる」という言説って変だね、なんて話を先輩としていたので、それをちょこっと書いてみます。

そもそも特定の教科だけで教育は完成しない

国語だけ、数学だけ、といった調子で特定の科目だけ取り組んでいても生徒のためになりません。もちろんそれは体育も同じ。生徒の健全な発達のためには、たくさんの事象を経験して、安心できる場所でたくさん失敗して、ひとつ成功をつかんだ瞬間に一歩進むものだと私は考えております。だから体育も(もちろん国語も)あくまで教科の一部分として、特権的にならないように指導者が留意していく必要があります。それでも体育科の教師の生徒指導部所属率は何なのか……まあそれはいいんですよ、本題は別です。夏の甲子園が行われていましたね。それに関して、微妙な幕切れになったことが某さんの気に食わなかったのか、史上最低とまで言わせてしまいましたね。あそこにある問題に突っ込んでいくつもりです。

酷暑、コロナ……実施してよかったの?

甲子園は毎年友人が応援しているので、母校がどんな感じかくらいはチェックするようにしていますが、神奈川県だと横浜高校が強いですね。野球に関してはルールも知らずマウンドの形も生徒に教わるくらいで、本当に疎いのですが、真夏にやる意味はあるのでしょうか。毎回それだけが気になります。なんであの炎天下に高校生を何時間も立たせておくのか。そしてそれを感動として消費する大人の姿勢はとがめられてしかるべきものなのではないのか。部活動の顧問をしていると、そこも気になるのです。生徒の主体性に任せて好きなようにやらせはするけれど、命にかかわる問題はさすがに生徒が抵抗しようが介入して止めます。それなのに、高校野球だけあんなに必死にやるのはおかしくないですか? これは私がスポーツを嫌っているからなのでしょうか? 私は冬の高校サッカーも観ますよ。冬はまだ厚着することができるけれど、それでも冬の試合だと進学のこと、学力のことなどを考えてしまいますし、なんというか、大人の都合に合わせて子どもの部活動をいいように使っている感じが拭えないのですよね……学力偏重も良くはないけれど、スポーツにだけ認められる特権性にちょっとは敏感になったらどうなんだ、というところで話はおしまいです。何よりも、命が大事、部活動。桃ちゃん心の一句で締めさせていただきます。それでは、また。