せっかく髪を巻いたのにぜんぶ取れました。昨日美容室でやってもらったときは何ともなかったのに。プロすごい。どうも星野です。
今回は2019年6月11日から9月23日まで開催されている「松方コレクション展」へ行ってきました、というレポをしたためようと思います。
場所は上野の国立西洋美術館、月曜定休(ただし7/15・8/12・9/16・9/23は主期日のため開館、翌日火曜が休館日になります)、9:30~17:30が基本の開館時間ですが、金曜日と土曜日は21:00までやっていますので、仕事終わりやデートなどで活用するのもオススメです。
会場内はかなり混むので、コインロッカーの確保が難しいです。午後は比較的空いている……はず。夏休みに入る前の今がチャンスかも。
グッズ展開がめちゃくちゃ豊富なのでお財布には百円玉(コインロッカー用)と万札が必要かと。
今回は国立西洋美術館の開館60周年記念ということもあり、展示の凝り方が抜群です。そして世界各地に散逸したコレクションが、現在だけ一堂に会しているという奇跡。
行って損はないので是非上野近辺にお出かけする際はご覧になってくださいね。
松方コレクションとは、松方正義の三男・松方幸次郎が大正初期から昭和初期にかけてヨーロッパをめぐり買い集めた絵画の一群です。
松方は造船業で財を成し、日本に「美術館」と呼べるものがないことを憂いて「共楽美術館」というものを創ろうと構想したそうです。
その結果、当時の最先端だった印象派や、それ以前の宗教画、彫刻など、様々な作品が松方のもとに収集されていきました。
まずフォトスポットがお出迎えしてくれました。
こちらは3Dになっていて、現在の先端技術で修復されたものです。
最初からとんでもない威力でした。
そして会場に入ると、看板にもなっていたモネの「睡蓮」が。
コレクションの目玉を最初に持ってくるとは、なかなか度胸のあることをしますね、学芸員さん……!!
ぼやっとした筆づかいにリアリティが宿るのはどうしてなのだろう、と疑問に思うと同時に、日本人は非常に印象派、こと「モネの『睡蓮』シリーズ」に惹かれるのだろうとも思いました。
仮説の域を出ませんが、私は日本人の感じている「視覚」とモネの絵が見せる空気感が似ているからなのではないかとにらんでおります。
どういうことかと申しますと、日本は夏の湿度が高いので、もやがかかったようにものが見えたり、曇った空を見上げたり、ということが多いですよね。その感覚をモネやルノワールなどが繊細に表現しているため、「自分の見ているものと似ている」と思うのではないか……と。
特にモネは、古来から日本人の心を虜にしてきた植物を描くことが多いので、とりわけ惹かれるのかもしれません。
ロンドン、パリ、そしてそこから北方へと何度も足を運んだ松方のチョイスは、まさに絵画版の百人一首とも呼べるでしょう。
宗教画、風俗画、スケッチ、油彩、水彩。
年代や地域、作者もバラバラ。
有名どころを挙げるならば、モネ、ルノワール、ゴーギャン、ムンク、ドビーニー、ロダン、マネ、モロー、ゴッホ、ピカソ、セザンヌ、シスレー、ピサロ……。
ほんとうに幅広い。画風も地域も異なる画家の作品をこれだけ集めるのには、莫大なお金と時間と労力がかかったのだろうと推測されます。
お金や時間の投資量が価値に反映されるとは考えていませんが、松方の審美眼には脱帽しました。実際、「画廊を空っぽにした」と欧州の人に言わしめたその行動力は尊敬します。
今回の展示なのですが、細かく分けられたエリアの中で、壁一面に絵画をばーっと展示する場所もあり、近くで見たり遠くで見たり、角度によってかなり絵画の見え方が変わるということがよくわかる展示になっていますので、ゆっくり鑑賞してほしいなと思います。
私は今回の目玉作品を(勝手に)ロダンの「考える人」と「接吻」だと考えています。
正直彫刻には詳しくなく、興味もなかった私に、「彫刻ってこんなにすごいんだぜ」と多大な衝撃を与えたこの2作品についてお話しようと思います。
ロダンの「考える人」は、表情までがっつり間近で見られました。そのおかげで、ロダンのこの彫刻に込めた「想い」というか「情念」というか、肉体に宿る美とそれを表現しきる技量、そして人間の苦悩に対するロダンの真剣なまなざしが感じられました。
もうひとつ、「接吻」ですが、こちらは何年か前に横浜美術館で展示されており、かなりの話題になったのですが、わたくしそれを完全にスルーしてしまいまして、こうして鑑賞することが叶ったことだけでもう感無量なのですが、絵画では表現しきれない肉体のしなやかさが、これでもかと言わんばかりに表現されていて、改めてロダンという芸術家の才能に畏怖を感じました。恋愛遍歴なども以前NHKの「ザ・プロファイラー」で勉強していたので、それを踏まえると一層面白く感じられました。
個人的に、今回の作品群のなかには「意味が分かった瞬間やパッと見のインパクトで恐怖を与えてくるタイプの絵画」が結構あるなあという印象でした。
あとタイトルが意味深なものもいくつか。背景を知ったらより面白そうです、お金に余裕のある方は気になったら図録の購入を強く推奨します。
その理由は後ほど。
この展示会の各作品のすばらしさは筆舌に尽くしがたく、また鑑賞する人によってとらえ方はそれぞれでいいと思うのですが、この「美術館」という存在について思いをはせずにはいられませんでした。
美術館は、人々が文化的資本にアクセスできるようにするという生涯教育の意味合いや、美術品の修理・保護など文化財を未来に受け継ぐ機能など、ほんとうに大切な目的をたくさん持っています。
しかし保全のためにはたくさんの資金が必要で、基本的に地方の美術館などはその資金が賄えずにいます。
そういった地域の小さな美術館・博物館にも人やお金が回るようにしないとなあ、と考えるきっかけとして、この展示会があったように思います。
そして何よりも、自分の鑑賞する「絵画」の切り取り方にも自分で懐疑的になる必要があるとも感じました。
それは、例えば「モネの」とか「松方が愛した」とか、『睡蓮』という作品を鑑賞するにあたってどういう切り取り方をするかで見え方が変わってくるということです。
そういう思考のフレームは、邪魔ではなくむしろ必要なものだとは思いますが、画家の現在得ている名声、描かれた背景などの歴史的文脈から完全に自由になれないのだと痛烈に意識させられた瞬間がありました。
その絵画単体で、うつくしいとかすばらしいとか言えるのがほんとうの美術鑑賞なのではないか、といつも思うのですが、今回の展示を見て「思考の枠組みを自分で自由に切り替えられるだけでもじゅうぶん楽しめる」ということがわかりました。
例えば前述したモネの『睡蓮』ですが、モネの愛した庭園の風景を、モネの気持ちに寄り添って鑑賞するのか、それとも松方が初めてこの絵画を目にした時の感動を想定しながら鑑賞するのか、それによってかなり感じ方は異なるでしょう。
これから私はそういう、「見方を切り替えられる鑑賞の仕方」を研究しよう、と思わせてくれたので、この展覧会も非常に楽しかったです。
夏は間違いなく混雑の極みにあると思いますので、是非今のうちに!
それでは、また。