ゆったりまったり雑記帳

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「琳派と印象派」レポ【note・ブログ共通記事】

足がふらふらになりましたが、それでも行けて良かった展覧会のお話。どうも星野です。今回はアーティゾン美術館の「琳派印象派」について書いていきます。

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11月14日から開催されている本展覧会ですが、来年1月24日まで開催されているそうです。12月28日から1月4日は閉館。1月11日(月・祝)は開館するので翌1月12日は閉館します。開館時間は10時から18時までですが、事前予約制なので電子チケットをお買い求めください。広々とした空間で、ゆったりと鑑賞できます。カフェやショップも充実しています。アクセスは東京駅から京橋のほうへ行くとあるので、反対方向の三菱一号館美術館から行ったときは高架下をくぐってさまようことになりました……お時間には余裕をもって行きましょう(反省)。写真OKの作品もたくさんあるので、記念にするのもよいかと。

 

後期展示の見どころは「風神雷神図屛風」。これの周りは人だかりができていました。教科書で見たアレ、CMでも観る機会の多いアレ、そして国宝クラスの名品を鑑賞できるとあっては当然か。私も本物を見るのは初めてだったのですが、ユーモラスでありながらも迫力のある筆致で描かれた風神と雷神に、琳派の極致を見た気がします。琳派の特徴として、華やかな草木を描くこと、伊勢物語源氏物語の作品世界をモチーフにしてその場面を描くことなどがありますが、風神雷神も「神を祀る」という宗教性に根差したものなのかもしれないな、と思いました。美術作品の中で宗教性を帯びたものは数あれど、日本の作品では仏像や来迎図などがメインです。しかしこの作品は、それよりももっと昔から存在すると考えられていた神様にスポットを当てた、という意味で意欲作であり、新風を吹き込んだ画期的な作品であると言えます。それにしてもこの風神雷神は背景が金で、中央に広い「間」があります。その間が緊張感を生んでいて、画面の構成に非常に気を使った作品です。俵屋宗達……美術の新体系を構築した存在……侮れん奴じゃ……(誰目線なのだろう)

個人的には、孔雀と花の屏風と、伊勢物語の初冠(ういこうぶり)のシーンが好きです。もちろん草木のこぼれんばかりの麗しさも素晴らしいですが、何より現代から1000年ほど前、江戸期でも800年前に誕生した物語の一場面を描いた一帖が、現代にも残っている、そして江戸期の人物にも好まれていたのはありがたいことだと思うのです。私が国語の教師だから、というのもあるのかもしれませんが、遥か昔の人々も、我々と同じ文学作品の面白さを享受している、それは文化が途切れずに現代まで連綿と続いてきてくれたおかげ……と考えたらうれしくなります。現代に息づく古典の世界はこんなにも美しい。

 

一方で印象派は、光をとらえること、人々や静物に透明な光と空気をまとわせて描くことを目指しました。私は印象派の絵画(特にルノワールドガ)と、日本画のあの幽玄とも言えるうすぼんやりとした雰囲気が、とてもゆったりとしていて好ましいと感じるのですが、その幻想的な世界にも浸ることができます。個人的にはベルト・モリゾも展示されていて好感が持てました。あの時代の女性の画家は少ないですからね。印象派の魅力は何と言っても画面の明るさと色彩。輪郭をあえておぼろげに描くことで、かえって対象物の持つ柔らかな部分を――これをかの画家たちは印象、と呼ぶのかもしれませんが――余すことなく表現するのが印象派の真骨頂です。今まで印象派の画家の描き出す澄んだ空気に惹かれて、様々な展覧会を観に行きましたが、このアーティゾンb術間でもその温かさを感じられる逸品が広々とした空間に展示されています。至福の時間でした。

ルノワールセザンヌの人物画、ほかにも都市景観・静物(ラトゥールの花の絵が大変お気に入りなのですが、そのひとつが鑑賞できてとてもうれしかったです)などが展示され、そこにも琳派との共通項を見出すことができます。前述した「間」の取り方もそうですが、東西で違いは結構あって、たとえば静物(日本では花鳥図とかですね)も描く対象そのものが同じ「花」であっても、主題に込める意味や構成、平面的か立体的か、写実かどうかなど、差異が強く感じられる展覧会でもありました。この展示ではどちらかといえば共通項を見出したいようでしたが、私はかえってその違いが際立っていたな、と思っています。

 

東洋と西洋では価値観も違いますし、もちろんそれぞれの画壇が歩んできた歴史も違います。本質的に違うことは明らかです。それでも何らかの共通項を見出そうとしたのは意味のあることですし、鑑賞する我々の目に映る絵画が、今までとは異なる印象をもたらすこともあるので、そこに異論はないです。コンテクストの中に位置づけられる美術作品、文学作品の話は昨日もしましたが、日本という国の持つ古典文学をモチーフとした作品群と、西洋の神話をモチーフにする芸術作品では意味合いが異なるのは当たり前です。文脈が違うのですから。そこに現代の我々の価値観、あるいは最先端の芸術批評の視点で共通項を探し出そうとするのは新しい時代にふさわしい展覧会なのかもしれないな、と思いました。

 

高校の国語の教科書の多くに「水の東西」というエッセイというか評論というか、分類の難しい文章が掲載されています。それは水のとらえ方、水に対する物の見方が東洋と西洋で異なる、というような内容が書いてあるのですが、現代ではその「西洋と東洋」「私たちと彼ら」といった二項対立は古いのではないかと思わされるような場面が、この展覧会でもありました。水の描き方、同じような主題……歴史として続いてきたコンテクストと作品は、切り離せない(というか切り離してはいけない場合もある)ですが、新しい見方をしてコンテクストを編み始めることも必要だと痛感したのもこの展覧会で得た収穫です。今までとは違う時代をこれから生きていくのか、と気付くきっかけをくれました。会期はあと1ヶ月をきりました、皆様ぜひ。それでは、また。