ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

社会人らしさの罠

どうしても、ひがんでしまう。

全てが壊れたあの日

今から8年前の6月、私は泣きながらカウンセリングを受けていました。統合失調症うつ病と診断された私は、いまだに薬を飲みながら生活をしています。たぶんこの病とは一生付き合っていくことになるのだろうな、とうっすら感じながら、良くなったり悪くなったりを繰り返しています。家族にも味方はおらず、薬の支払いも自腹でした。ひどいときは「トイレに行く」「お風呂に入る」「歯を磨く」といった、いわゆる「人間的な生活」が送れなかったです。今でもそこに戻る可能性に怯えながら暮らしています。それでも私は思っていたのです、「まともに働けるようにならなきゃ」と。

長い非常勤ライフ

非常勤講師として教師の道を歩み始めた私は、常勤に対してひがみというか、嫉妬心がありました。自分が望んでその立場になったのに、嫌だと不平不満を言いながら働いていて、じゃあ私と代われよと本気でねたんでしまうのです。給与・待遇も不安定な中で、私は生きていくのに必死でした。父が亡くなってからは一家の家計を支えるという役目もあり、なんとか稼げる仕事をしたい、と思って応募した常勤職はむちゃくちゃな職場で、またしてもメンタルを病んでしまいました。もう私は死んだ方がいいのかもしれない。それくらい追い詰められていました。

でも、今思うのは、「まともに働かなきゃいけない」の「まともに」って何だ? ということです。常勤が正義なのか、非常勤の私が悪いのか、そういう二項対立に囚われて本質を見失っていたな、と思っています。すべての労働者の給料が正当に上がればいいわけですね。非正規雇用を生んだ政権の宿痾と愚行は糾されなければならない。まともに働いた結果心身を病んだ友人も少なからずいるので、仕事はほどほどでいいんだな、楽しくやれているうちが華だな、と考えが変わってきました。仕事にこだわっているのは、私が教職を愛しているから。天職だと思えているから。楽しながら働くことを意識しながら、「まともにしなきゃ」から脱却しようと奮闘する日々です。