ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

「泣いた赤鬼」で道徳の授業を考える、というのを批評的に考える

打首獄門同好会の曲みたいになりました。いい曲だからみんね聴いてね、「カンガルーはどこへ行ったのか」。

「泣いた赤鬼」で道徳の授業

小学校の教員免許を取得する際に、道徳の授業も担当するため、授業を受けていました。朝早くだったから単位を落としかけてね……とまあそんなことはどうでもいいです。取れましたよ単位。「泣いた赤鬼」というお話は、人間と仲良くなりたい赤鬼が、友人の青鬼に相談して、青鬼が悪役を演じて赤鬼に貸しを作り、そのまま青鬼は居なくなってしまう……という悲しい物語です。小学校中学年とかで割とよくある題材ですね。

私の知る限りだと、「赤鬼が最後に青鬼からの手紙を読んで真実を知るシーン」に着目させて、①心情理解、②タイトルにもなっている「赤鬼が泣く」その涙の理由を整理、③発展的活動、の流れがスタンダードです。子どもたちは「本当に友達想いの青鬼を失って悲しい」とか、「赤鬼が人間と仲良くなれたけれど、他の道はなかったのか(青鬼を失わずにみんなで仲良くなるにはどうすればいいか)」などの発言をもとに、議論していきます。今回はその授業そのものを、批評的に見ていく、というおはなし。

「泣いた赤鬼」で重点的に扱いたいポイントと代替案

「泣いた赤鬼」では無償の愛だとか真の友情というものを学んでもらうのですが、国語の授業としても非常に興味深くて、青鬼の真意は最後の手紙を読むまでわからず、なおかつすべての情報が出揃った時点で青鬼は消えている。なんだか「こころ」(夏目漱石)の「先生」みたいですよね。高校生くらいになったら、この物語構造を分析する授業があっても良いと思うのですが、それはまた別の機会に。

この道徳単元で重点的に扱うのは「愛情」「友情」の二点です。様々な絵本を読み聞かせして道徳の授業を実践した身としては、「泣いた赤鬼」以外にも良い作品はあると思うのですよね、友情なら「ともだちや」でもいいですし。実際に私は、図書館で大型絵本を借りて来て、「ともだちや」で授業したことがあります。作品を通して授業する場合は読み浸りの時間が大事で、途中で流れを切らずに話に集中・没頭させて、さあ現実に応用しようか、という流れを作るのがポイントです。それでも、途中で切って「このあとどうなるのかな?」というのを想像させるのもそれはそれでいいと思います。ただ、子どもの興味関心はどうしても下がってしまうので、そのリスクをどう回避するかが重要になります。授業に正解は無いので、どんな道を行っても茨道、というのもありますが。

愛情、友情などを教えるために、物語を通して教えることを私は重点的に実践してきましたが、その方法が有効なのは、生活経験が少ない小学校低学年の児童でも没入して想像しながら学べるからです。それは大きなメリットになる。実際に絵本の読み聞かせをきっかけに現実のクラスの問題に応用していく事例もありました。「泣いた赤鬼」という作品に執着する必要性はないけれど、物語に読み浸らせる効果は非常に高いので、道徳でも使いたいところですが、国語科とどう切り分けるかという問題も生じます。正直、分ける必要はないのかもしれないですが、国語科は物語構造を、道徳は現実世界での感情・情緒の動きに注目、という分け方をするのがベターなのかな。

まとめ

「泣いた赤鬼」で調べるとたくさんの実践例が出てきますので、ご興味のある方はぜひ。私のスタンスとしては「代替作品もあるけれど、初心者向けの教材として価値はある」といったところかな。道徳にこそ正解はないので、少しずつ生徒の心に合わせて課題設定・題材選択ができるといいなと思っています。それでは、また。