ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

年忘れ! 桃ちゃんの記憶について

今週のお題「忘れたいこと」

忘れたいことなんてほぼ無いですが、書きます。例によって説教臭いです。

記憶の本質

私は基本的に、何でも覚えておきたいと思っています。というのも、記憶、あるいは知識を失うのが怖いから。自分の中に降り積もった想いと一緒に、学んだ内容や楽しかったことを覚えていたいのです。悲しいことや苦しいことだって、自分を高めてくれるから大事。そんな調子なので、お察しの通り、桃ちゃんは断捨離が苦手です。しかし記憶の本質とは忘れること、痛みや苦しみを時と共に風化させることにあります。いつまでも新鮮な痛みを抱えて生きられるほど、人間は強くありません。だから人は忘れる。いつまでも過去に縛られないように。

それでも私の願いは変わらない

私は先ほど、「できるだけ学んだことや記憶を保存したい」的なことを書きました。実際に脳みそもすべての記憶を忘れ去っているわけではなく、脳みその奥深くに封印しているそうなのですが、人間のワーキングメモリーは7±2と言われているので、単純な数字の羅列などは文字通り記憶から抹消します。メモリは人間も有限です。しかし桃ちゃんは貪欲なので、そんなの覚えて何になるの? と思われそうなことでも出来る限り覚えておこうとします。醜い悪あがきですね。それでも、私は「今日を生きたこと」を覚えておかないといけない、そんなことを毎日思うのです。

千年残るものを

その日あったことを記録する日記。千年前から残る文学です。和紙が千年残るのも驚きですが、「土佐日記」「明月記」「権記」「枕草子(日記的章段)」……この錚々たる顔ぶれに連なる末席に、私はいると勝手に思っています。だからこそ、後の世に残る何かを残したい。千年先の人が読んでくれるものを残したい。そう考えるからこそ「忘れられない」のです。日記としてその日あったことを魅力的に書けば、人となりを知りたくなって、誰かの心をつかんで、ということができます。いま生きている時代に評価されなくても、誰かが見つけてくれるかもしれない。そんな淡い期待を抱いて、今日も書いているのです。

あの世へ知識と記憶を全部持って行って、お前バカだな、と笑われても、それでもなお残しておきたいのだ、という強欲な人間のお話でした。それでは、また。