ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

教育に金をかけない国に未来はあるか?

端的に言うとないです。

研究の先細り

何事も基礎研究を大事にしないといけないのですが、それが分かっていない国はだいたい滅びます。だって、次の研究の礎になることをやらないのだから、建築で土台ができていないのと同じですからね。まず論外です。基礎研究、地味な研究、芽が出るかよくわからない研究にじゃぶじゃぶお金をつぎ込まないと、技術立国なんてできません。当たり前ですよね、予知ができないのだから何が当たるかなんてわからない。

研究分野も「選択と集中」などと言われ、人文学は苦境に立たされています。それでも何とか息をしているのが今です。「古典なんて必要ないでしょ?」と言われた時点で教育の敗北なのですが、それでも意味はあると研究している方がいます。その方々に敬意を表すと共に、昨今の「反知性主義」的なところを考えていこうと思っています。

知性を嫌う?

「頭がよくなりたい」という欲望が、若年層にはあまりなじみがないようで、バカのままでいいみたいなことを言う生徒もいました。やるだけ無駄だよ、と笑う生徒もいました。勉強に意味を見出せないのは悲しいことだけれど、それもその子の人生なので甘んじて受け入れてもらうしかなく……こういう悲劇を繰り返さないために、我々は日々授業したり研究したりするわけですけれども、この間「業務のほぼすべてが賃金発生の対象外」という判決も出るくらい、教育は軽視されています。

教育にお金をかけないとどうなるか。そんなの、国民の知性が下がって、マスメディアや声の大きい人の言いなりになる確率が上がるだけです。国民の知性的なものを嫌う傾向は、危険だと考えます。「勉強のできる人がやってくれる」と「勉強ができるやつは憎い」は平気で両立するので、そこもまた厄介ですが、どうしてこんなに知性を軽視するのか考えてみないと、議論は先に進みません。

以前の勤務先には、勉強して今の階層から抜け出そうという、生まれの呪縛を自ら解こうとする生徒がいました。とてもえらいし、私も最後まで寄り添ってあげたかった。そんな勤務先でも、上位層と下位層の格差は広がるばかりで、みんなが「勉強を好き」だと言えない、そんな授業をしてしまう自分が恥ずかしくて、悔しくて、でも「勉強なんて嫌いだ」というのも権利で……と懊悩する毎日でした。

次の勤務先にも、勉強の価値を知らない生徒がいるでしょう。その子には「世界の広さを知って、可能性を広げるために勉強した方がいいと思うな」くらいは言えるように、明日も頑張って研究していきます。