ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

靴下に入りきらない夢を

今週のお題「お気に入りの靴下」

クリスマスが近くなってきましたね。幼い頃、枕元にサンタさんへのお手紙をしたためて靴下と共に置いておいたことが思い出されます。

私が欲しかったもの

小さい頃から読書とぬいぐるみが好きだったもので、ぬいちゃんファミリーを増やすか百科事典が欲しいとねだっていた記憶があります。けれども、私が本当に欲しかったのは「自由」だったんだな、と今になって思います。

順を追って説明しますね。

私はぬいちゃんファミリーとおはなししたり、本を読んだりすることで、ままならない現実から目を背けていました。プラスの方向で言えば「レジリエンスを発揮していた」となるのでしょうか。つまりは現実から「自由」になっていた。空想の世界で羽を伸ばしていた。しかしそれは大人になるにつれ忘れていってしまったものでした。大事にしておけばよかったのに、捨ててしまった。最終的に心を壊してから再び「自由」になるための方法を模索して、それを最近はぬいちゃんとお出かけしたり、創作的な活動をしたりすることで取り戻しています。本当に回り道をしたと自分でも思いますが、皆様の心の中にも思い当たるフシがあったりして。幼い頃の大切なもの、失くしていませんか?

幼い頃は「あれはだめ」「これはしちゃいけない」と抑圧されることが多いと思います。それは身の安全のためであり、必要な教育です。それでも幼い子どもには理屈が分からない。だから泣いてわめいて抵抗します。それを暴力で解決するのが虐待なのですが、虐待に関しては私のトラウマが「語ってはいけない」とアラートを出しているので黙ります。どうにもならないことを呑み込んで、聞き分けのいい子を演じるのって、疲れるんですよ。希死念慮を呼ぶくらいに。

靴下がない

大人になって知恵をつけた私は、抑圧から解放されてつかの間の「自由」を楽しんでいます。思った以上に周りは優しいし、生きていくのも悪くないし、死なないためのしくみもある。欲しい知識は自分で身につけられる。自由です。でも、私にはサンタさんにおねだりする「靴下」に代わる象徴がないな、と気付いたのです。サンタさんにお願いするというしるし、いわば子どもの頃からの「夢」としての「靴下」。自分は何になりたいのか、これからどうしたいのか、わからない状況に居ます。それを救ってくれるのは、今まで学んできた知識・広げた趣味などの「教養」だと思っています。最近は教養を「手軽に手に入れられるステータス」くらいの意味で考えている人もいるようですが、教養とは本来「生きていくのに必要なもの」です。だから、生きるために学び続けるしかない。靴下に入りきらないほどの莫大な、森羅万象の知識をくださいと、今日も私はサンタさんにお願いするのです。私は悪い子だから、貰えないと思うけれど。