ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

人の世はまこと異なもの味なもの【ブログ限定記事】

お題「#この1年の変化

変化をまざまざと感じる今日この頃です。いちばんの変化は花粉に強くなったこと。どうも星野です。今日は「1年間の変化」について語ります。激動の1年間をダイジェストでお届け。

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何もかもがオンラインで完結する世界がやってきましたね。引きこもりにはうれしい話です。お買い物も飲み会もオンラインで出来るし、外に出なくてもいいのは非常にありがたいというか、おうち大好きマンにとっては最高の「自宅警備」時間が昨年3月からの自粛期間でした。けれどその結果、私の好きなお店がつぶれてしまったり、大好きなみんなと会えなくなったり、悲しいこともいっぱいありました。だから私の考え方は、できるだけ会えるうちに応援する、投資するという方向に変わっていきました。推しは推せるうちに推せ、いつまでも居ると思うな親と推し。

というわけで、お買い物をしまくって破産しかけたり、趣味に時間をかけすぎて寝不足で教壇に立ったり、まあ無茶もやりました。それでもたくさんの愛するひとたちと心理的濃厚接触を行い続けた1年間でした。その充実感というか、達成感というか、ひととふれあうことのよろこびを再確認したという意味でも変化の1年でしたね。引きこもりでおうち大好きマンが、週6で外に出歩いてお金を落としていましたから、相当な激変です。

その「足で稼いだ経験値」を語っていたら、オンラインでの交流も増えました。大好きなショップ店員さんにInstagramを特定され、全国各地にいらっしゃる、教職関係の方々……多くの先輩、後輩、同僚と話をする機会に恵まれ、果ては新しい美術館レビューサイトの運営さんから直接「レビューを書いてください」と依頼され……本当に人の縁に救われた1年だったと思います。

ひととひとが支えあっている文字が「人」というのは眉唾物のネタですが、支えあっているというよりも寄り添いあっていると、私なら解釈すると思います。

この1年は誰かに会いたくても会えない、行きたくてもいけない……今までの「当たり前だった物事」が特別なイベントに変わった年だったと思います。それは私にとっても、皆さんにとってもそうだったでしょう。今さらその変化を嘆いても仕方がないし、これから来るべき「新しい日常」とやらにいずれ我々は順応するのでしょう。

しかしですよ。この1年間に得た絆というか、たくさんのご縁を、私は忘れないで大事にして、何かあったらその縁にすがって生きていこうとさえ考えているのです。

この騒動の中で教えてきた多くの生徒や、繋がってくれた同業の方も私の心の支えですし、何かあったら相談できる関係を築けたのは、もはや「心の濃厚接触」ですよね。もちろんいい意味で。そして一緒にTRPGで遊んでくれる友人各位、ネコチャンぬいぐるみのアランチャくんにも感謝しなければ。彼らがいなかったら今頃寂しさと人恋しさで発狂していましたからね。もふもふ、一家にひとつあるとめちゃくちゃQoLが上がるのでオススメです。ただ、無責任に生き物を飼うのだけはやめたほうがいいですよ。あれは命を預かって生涯を共にする覚悟が無いとやってはいけないことですから。もはや犬猫と結婚して子供を作って同じ墓に入るレベルですからね。皆さん気を付けてくださいね。

閑話休題

新しい日常になっても、この困難を乗り越えたみんなとの絆は変わらないだろうな、とうすぼんやりと考えています。袖振り合うも他生の縁、人は社会に組み込まれている限り「束縛を許さない(=自分勝手に好きなことをやるという、無秩序で無責任な)自由」には染まれません。鷲田清一の論ですが、「自分がされて嫌なことは他人にしない」ということを守ると「誰かに寄りかかって生きていく自由が守られる」のだそうです。誰かに分け与えた幸せが、私のところに返ってきたり、誰かの幸せに変わったり、そういう幸福の贈与関係を維持するためのシステムとして「えにし」があるならば、私はそれに全力であやかって生きていこうと思っています。

誰かの生きる意味になれる自分、誰かを生きる意味にする自分。

そういう生き方を選べたのが、私のこの1年の変化だな、と思っている次第です。

そんなところで話はおしまい。それでは、また。