ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

父の葬儀によせて【ブログ限定記事】

ご無沙汰しております、星野です。今日の記事はちょっとしめっぽいです。あとで明るいお話もするので、ぜひ覗いていってください。

宣伝とかする元気もないので、いきなりですが本題へ。

今日父の葬儀がありました。

思えば昨年6月に体調を崩して、そのときからすべてがおかしかったのかな、と今になって思っています。気持ちの整理をつけるために、思い出話に付き合ってください。

父は高校教師で、私が今の仕事を始めるきっかけになったひとです。私が幼い頃は職場に連れて行ってくれたこともしばしばあり、楽しそうに仕事をしているなあと思っていました。子煩悩で仕事熱心で、自分にも他人にも厳しかった父ですが、私のことはそれなりに好いていてくれたようで、弟が生まれるまでは本当にべったり甘やかしてもらいました。中学生になって静かなる反抗を始めたときも、うつで悲しみのどん底にいるときも、父は黙っていました。不器用で頑固なところがあるので、父なりに対応を考えていたのだと思います。

私の症状が寛解し始めて、仕事に本格的に行けるようになった頃、父は心臓と肺の病気で入退院を繰り返し、年明けすぐに脳梗塞で倒れました。そこからはもうあっという間に衰弱して、ふっと短い生涯を終えてしまいました。

私はまだ常勤にもなれていないし、一人前になった姿、立派になった姿を見てもらえていません。だからそれだけがすごく心残りで、これを書きながら今も泣いています。父に恩返ししたいことも、文句をつけたいことも、山ほどあるし、仕事の相談とかもいろいろしたかったです。どうしてこんな早くに逝ってしまうのか……本当に、大事な人には日ごろから気持ちを伝えるべきだったのですね。今さら知って後悔しています。

私は昨日父に宛てた手紙を書きながら、「絶対に定年退職して再任用されるまで健康体で働く」と決めました。最低でも来年度からは常勤以上、そして一刻も早く専任になって父に胸を張って「教師です」と言いたいです。残された母にも楽をさせたいし。

風花散る中、骨になって家に帰ってきた父は、晴れやかな笑顔で居間に眠っています。ここから何年くらい生きられるのか、私もわかりませんが、自殺願望だけは無くなったと思います。父が悲しむことをしたくないし、勝手に死んで彼岸で父に叱られないように、ずるしても真面目にも生きてゆかなければならないと思うのです。生き延びる理由が増える葬儀でもありました。

どうか皆様も、ご自愛くださいませ。そして大切な人には、すぐにでも気持ちを伝えて、限りある人生を楽しくお過ごしください。それでは、また。