ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

定期連載 教育現場から 18 新しい「ライティング」の授業

ごきげんよう、桃ちゃんです。書くことに迷いを持つ者だけが、こういう授業を構想できるのだと思ったので、書いていきます。共感してくださったらお布施を……!

ライティングの授業は「書くことで悩む」授業

今手元に複数の本があり(※末尾に参考文献として掲載します)、それらを参考にして書いているのですが、書くことって結構なハードルですよね。言葉が出てこない、言葉が浮かばない、内容が思いつかない……生徒からはそのような意見をよく耳にします。生徒の「困っていること」の大部分は、書きたいけれど何と表現したらいいかわからない、というもの。どうしても思い余って言葉足らず、となってしまうようで、語彙の貧しさもその一因ではあると思いますが、それ以上に「言葉の到来を待つ」経験が乏しいように感じます。

ここからは古田徹也の論を読んで考えたことです。

古田の論は、「運」というものが自分とは無関係ではないというところから始まって、言葉も同じように「しっくりくるかどうかを待たなければならない」「深い理解をした言葉と、浅い理解をした言葉とで伝わりやすさが違う」ということを書いていました。つまり、何となくで使っている言葉が、身体感覚を伴って腑に落ちた瞬間からその言葉は「しっくりくる」ものに変わる。そうであれば、生徒の困っていることの大半は「言葉を知らない」だけではなくて「言葉がしっくりくるまで、表現を行き来するだけの体力が無い」のだろうと考えています。

簡潔にまとめるならば、私の受け持つ生徒たちは「推敲」に対する耐性がない、という結論に至りました。もしかしたらこれは、他の先生にも言えることなのかもしれませんが。

ならばどうするか――「ライティング」とした理由

小論文の授業も受け持っていますが、それ以前に「ライティング」の授業が必要だと考えています。それはきっと「国語表現」だとか「現代の国語」だとか「言語文化」だとかに切り分けられない、包括的な営みであり、ライティングワークショップとも少し違う授業なのです。

私の構想するライティングの授業は、PCを使ったアウトラインの作り方から、創作・レポートなど、様々な種類の文章を書く授業です。レポート、論文、物語、ポップ、紹介文……文章は様々なスタイルがあり、それぞれに「気を付けるべきポイント」があります。長々書いてはいけない文章、短くまとめては意味がない文章……それらの置かれた文脈を読み分け、適切に表現できるようになるための授業。なんだか楽しそうじゃないですか? 具体的には、講義を受けて課題に取り組み、フィードバックを受けて次の講義に向かう、というシンプルなもの。それでも課題は毎回「厳しいルールの下で」実施されます。行数指定、字数指定も厳しく定めます。不自由の中で初めて、自由に書くということの意味を知ると思うので。それを1年間実施して、生徒がどんな成長をするのか楽しみなので、次の教科会で提案してみようと思います。それか来年度のゼミのテーマにしようかと。

楽しいけれどハードルが高くて、達成感がある。そんな柔軟なライティングの授業のお話でした。それでは、また。

f:id:hoshino-momotaro-1616:20210811161751j:plain

参考文献