ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

短歌も俳句もあげちゃいます

今週のお題「575」

完全燃焼の桃ちゃんです。ごきげんよう。この間短歌と俳句の授業を行ったので、その話などができればいいなと思っています。

別に堅苦しくない

短歌や俳句は自分とは縁遠いものだと思っていらっしゃる方は多いと思います。実際に生徒もそうでした。けれども、七音と五音のリズム(北原白秋の「落葉松」など)は耳に心地いいものなので、やはり長く愛され続け、教科書などにも多く採録されているのです。

かく言う私も、短歌や俳句を詠むことがあります。Twitterなどにたまに投稿しています。俳句は先輩に教わりながらですが、楽しい実践ができることを知ったので、もっとたくさん教えたい気持ちでいっぱいです。

「第二芸術論」と言って、「創作をしない者には鑑賞の資格なし」的な言説もありますが、私はそれに対して中立というか「場合による」という立場です。私は絵を描かないけれど、絵画の美しさは感じられるし、短歌や俳句、小説を書くからこそ分析批評ができるのかのしれないとも思うし。クリアカットにはならないのが常ですので、時と場合で(ダブルスタンダードだと揶揄されるかもしれませんが)使い分けていきたいです。

実践例

言葉のレンズ、という実践があります。短歌や俳句単体では想像がつかないところに、鑑賞のお題になるフレーズを入れてみる、というのがあります。わかりやすいのが栗木京子の「観覧車回れよ回れ思い出は君には一日我には一生」ですね。この短歌を「老夫婦」「同窓会」などのキーワードをもとに鑑賞する方法です。なかなか面白い解釈が生まれたので、中学生などには向いているかも。楽しく鑑賞する、という意味では導入としてかなり良いです。

もうひとつ、伊藤園の「お~いお茶」に書いてある俳句を使って授業をする方法もあります。これは私が俳句の先輩に教わったもので、俳句の大枠を決めておいて、部分的に穴あきにしてそこに何が埋まるか考えることで鑑賞と創作を行う、というもの。これも大変盛り上がりました。「先生になりたがる(      )夏休み」という句に、「夢」とか「俺」とか「母」とか入れて楽しんでいました。普段スポットの当たらない生徒の活躍の場としても有効でした。

最後に、私の指導で面白かったのが「入れ物が無い両手で受ける」という尾崎放哉の句について、動作で表すアニマシオンを使いました。これは幼児向けのアニマシオンなのですが、私が入れ物が無くて両手で受け取るポーズをして、そこに何が入るか考えてもらったところ、「豆腐」というのが出ました。ぬるくなっちゃうじゃん! 形も崩れるし! とかみんなで笑いながら授業ができて、短歌や俳句の可能性を感じる授業でした。

おわりに

楽しく学べるならなんでも取り入れたいタイプなので、節操なく他人のアイデアを流用しますが、それでもオリジナリティと追試性を両方求めつつ、今後も実践していきたいです。請われること無く教壇に立つ私を詠んでおわりにします。それでは、また。

一筋の光を求め前に立つ 誰にも似ていないその顔で