ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

やる気を出すのはゆっくりで

今週のお題「やる気が出ない」

ごきげんよう。ほとんどすべてのことに対してやる気を見せない桃ちゃんです。お題系は説教臭くなりますが、それでも雑談ラジオか何かを聞いている気分でご覧ください。

 

ゴールデンウィークですらやる気を出さなかったので、普通に寝て過ごしていました。生産性の欠片も無いですね。けれど、それにはちゃんとした理由があったのです。

私の仕事はご存知のとおり、教師です。そして4月から常勤になりました。そのため、ただ授業をするだけではない生活に変わり、毎日それなりにハードな仕事をこなしています。まだ環境に慣れなくて、週半ばには体調を崩してばかり。そんな私は怠惰なのでは――そう思う自分に、自分で「違うよ」と言ってあげられるようになりました。今回はそんな話です。

実際にやりたいと思ったことができないことって、あると思います。外的な要因、内的な要因……様々ですが、やっぱり誰しも挫折は通る道。私にとっての、今年度最初の挫折はこの「出勤」だったのです。毎日同じ時間に起きる、というのが難しい人間なので、どうしても起きられなかったり遅刻ギリギリになってしまったり、それはもう悲惨な4月でした。何が原因なのかよくわからなくて、勝手に自分を責めて、へこんで、また行けなくて……負のスパイラル。それを断ち切るために、主治医のところで服用している薬の調整や、カウンセリング施設でのメンタルコントロールを始めました。それにあたって、上司(管理職の先生)に、自分の病状を説明しました。とても覚悟のいることでしたが、あたたかく受け入れてくださったことが本当にうれしかったです。

管理職いわく、私は「授業をしている姿がとても楽しそう」に見えるのだそうです。だから「この仕事を続けてほしい」と言われ、サポートする旨を伝えてくれました。泣くほどありがたくて、もったいなくて、期待に応えなければと思いながら、昨日も仕事をしてきました。「やる気」というのが、実はちゃんと私にも備わっていて、それは自分でも気づいていなかった、ひとつの武器だったみたいです。

「やる気」というのは勝手に火が付くものだと思い込んでいましたが、見えない「やる気の炎」というのもあるようです。それを知ったのが今回の一件でした。それはきっと生徒たちにとっても同じだろうから、発言するからやる気がある、というような画一的(むしろステレオタイプ的)な指導は改めなければならないという思いを強くしましたし、私が楽しそうに授業をすることでやる気を出してもらうこともできるのではないかとか、夢想しちゃったり。なんにせよ、誰もが「やる気」の種になる何かを持っていて、見えるか見えないかは関係なく、どこかで静かに燃え続けているのです。

私は松岡修造さんが好きで、暑苦しいですが指導者としてはかなり優秀な方だと思っています。というのも、「やる気」を見抜くのがお上手なのです。テニスを教えていて「この子はたぶんやらされているな」と判断したら、保護者や子どもと徹底的に話をして、違うことに向かわせることもある、というお話を風の噂に聞きました。そういう「諦め」もできる指導者になりたいと思うし、松岡修造さんの言う「やる気」というのはきっと、心の底から好きだと言えるものを見つけなさい、ということなのかもしれないですね。

そんなところでこのお話はおしまいです。それでは、また。