ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

過去記事一覧①「教壇に立つその日まで」第三弾

私生活が安定し始めて、メンタルも安定していますが、冬が心配。
どうも星野です。
今日はうちの地元の生活保護の実態について調べてきたので、何かの参考になればと思い筆を執りました。

そもそも何故生活保護なのか。
それは私の成育歴に関わってくる話なのです。

私の両親は変わった人です。
父は高校教師、母も小学校で勤務している教育一家なのですが、父と母の夫婦仲が異常に良すぎるのです。
50過ぎても同じダブルの布団で寄り添いあって眠り、毎日の日課は互いの体をマッサージしてあげること、極めつけはいまだに一緒にお風呂に入ること、等々。
新婚さんにとっては理想のような夫婦なのかもしれませんね。
実際私も「将来はお父さんとお母さんみたいな仲良し夫婦になってくれる旦那さんを探すぞ!!」と思っていた時期もありました。
でもこれ、子どもにとってはとてもつらいのです。
具体的に言うと、「子どもは二の次」なのです。
洋服を買ってあげるのも、ケーキの種類を選ぶのも、すべてが母中心。
だから私の病気が判明し、治療費が高額すぎて自腹で払えないと父に相談した時も、「お母さんのためのお金だからお前には使わない」と言われました。

当の母親は完璧主義者で(私もそうなので他人のことは言えませんが)、力を抜くということが苦手です。
何事も全力でやり、高い成果を出し、出来ない者には容赦なく当たる。
「お弁当作るの大嫌い」と言いつつも美味しいお弁当を作ってくれたり、「あんたに勝手に洗濯されると調子狂う」と言って率先して洗濯物を片付けてくれたり。
天邪鬼なんですね。
確かに感謝すべきなのかもしれませんが、ストレスが溜まってくると私に暴言を投げつけてくるのです。
「薬飲んでるからって調子に乗っている」「健常者が優先に決まっているでしょ」「生きてても楽しくないなら死ねば?」
すべて母から言われた言葉です。
我ながら毒親育ち。
ですが父は止めません。母が大好きだからです。
私のことはどう思っているのか知りませんが、「欠陥品」としか見ていないのでしょう。
完璧な女性から生まれた、完璧な子ども。
実際、二十歳で病気になるまではそうでした。
塾に通わず国立大学にストレート入学。成績優秀。「いい子」を演じることだけには自信がありました。
のはずが、統合失調症とうつを併発。
それからは父も冷たくなりました。
母は言わずもがな冷たいのでノーカウントです。
それでも気が向いたときは文房具など私の好きなものを買い与えたり、嬉しそうに話しかけてくるなど、気分によって態度に差がありすぎて、自分でも親のことが信用できません。
たぶん、私は「都合のいいペット」なんだと思います。
言うことを聞いたときは可愛がる。
反抗したときは痛めつける。
そういうサンドバッグ的存在が、家庭での「私」なのです。

こういう場所から逃げ出したくて、私は生活保護を受けられるのか区役所で聞いてきました。
結論から言うと、無理でした。
最初の障害は私の身分が学生であること。
学生には親が出資する前提、とのことで断られてしまいました。
また、第二の障害が「家を出られるだけの貯蓄がないこと」でした。
生活保護は世帯単位で申請をするので、私が独り暮らしすればいいと思っていましたが、独り暮らしのための初期費用は負担してくれないのです。これも断られた原因でした。
母親はヒステリーを起こすと「お前の扶養を外す」と言っていたので、ついでに扶養を外れることのメリットとデメリットを聞いてきました。
すると、扶養を外れるといわゆる「103万の壁」は突破できますが、保険は自分で加入することになるし、外したほうも税負担が上がるのでそんなにメリットはない、とのことでした。

八方塞がりの星野は、とりあえずアルバイトで103万ギリギリを稼いで家を出る準備をしようと考えました。
日勤のバイトと今続けている塾講師のバイトで生活費を稼いでいくことが当面の目標です。
正規採用まではフリーター生活が続きますが、生きていけないわけではないので、無理なく頑張る所存です。

制度が変わって、学生でも虐げられているならばお金を出してくれるようになればいいのですが……
この記事を読んでいて、行政に働きかけられる方がいれば、ちょっと考えてみてほしいです。
今度は人権相談窓口にも行ってみます。
立件できるかはわかりませんが、証拠の音源はあるので、何かが変わるかもしれません。

覚えておいてほしいのは、幸せな夫婦が良い親になるとは限らないこと、そしてもっと弱者に寄り添った制度が求められているという問題提起です。
これをきっかけに誰かのものの見方が変わったら嬉しいです。

それでは、また。