ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

過去記事一覧①「教壇に立つその日まで」第一弾

どうも星野です。
最後の教育実習を終えて疲労困憊のあまり風邪を引きました。
我ながら虚弱。

今回は第1弾として、私が教職を目指すに至ったきっかけと、病気のことについてお話したいと思います。

父が教師をしているものですから、物心ついた時から、教育の世界に興味はありました。
それ以外の仕事ってイメージが湧かなくて。
本や動物も好きだったのですが、編集者の倍率の高さに挫け、理科の解剖実習で倒れて以来このふたつは諦めていました。
必然的に残った「教育業界」。
私の視野が狭かったから残ったと言わざるを得ませんが、いちばんのきっかけは高校時代に出会った恩師の影響です。

恩師の先生はよぼよぼのおじいちゃんで、お茶目で、いつもニコニコしていて、私のことを大切にしてくれて、とにかく皆に優しく接してくれました。
修学旅行の夜には「バレないように他の部屋へ行くんだぞ」と笑いながら言ってくれるような、生徒に慕われる素敵な先生でした。
職員室が嫌いで、よくふらふらしていたのですが、私のことを見つけると嬉しそうにして私の好きな文学の話をしてくださいました。
私の高校卒業と同時に定年退職されたのですが、その後も事あるごとに私と連絡を取って、私を励ましたり、逆に私に助けを求めたりしてきます(笑)

そんな先生も「俺は教師に向いてないと思うんだよなぁ」とこぼすのを聞いて、教育の世界は厳しいのだと薄々感じていましたが、まだその当時は実感が湧いていませんでした。

私は高校卒業後、教育学部のある大学に進学し、初等の免許を取りながら本命の中高国語科の免許を取ることにしました。

最初の1年を頑張って乗り切り、迎えた2年目の4月。
急に体が動かなくなったのです。
何をしても涙が止まらず、意欲というものがごっそり抜け落ちてしまいました。
昼食のメニューすら決められなくなった私を見かねた同級生が、カウンセリングを勧めてくれたのが6月。
カウンセラーさんとお話していくうちに、病気の可能性があるということで、大学の保険管理センターを受診することになりました。

診断名は、統合失調症うつ病
無気力、朝起きられない、眠れないといったうつ傾向だけでなく、聴覚の過敏性や視線恐怖(悪く言われている、周りみんなが敵に見えるなど)があったためこの診断がつきました。

管理センターでもらえるお薬では回復が見込めず、地元のクリニックに切り替えてから病状がぐっとよくなりました。
一度は教育実習そのものを諦めてしまおうか(それはすなわち、教師になる道を諦めるということです)という話にもなったのですが、大学の支援態勢をフル活用して、3回の教育実習(小学校2回、中学校1回)をなんとか乗り切りました。

教育実習を振り返って思うのは、後悔ばかりです。
あのときこうしていれば、もっとよくなったかもしれないのに。
たら、ればの話に意味はなく、実習とは経験することに意義があるので、最初から完璧を求めるのは間違っているのですが、どうしてもそういう風に考えてしまうのです。

3回の教育実習を経て、私は病気のままでは教職に就けないと感じるようになりました。
ラッシュの電車でパニックを起こした経験もあるので、それがよくならない限り通勤は難しいですし(都内の学校は車による通勤を禁じているところがほとんどです)、そもそも朝起きられないのは社会生活を営むうえで致命傷ですよね。

ということで、私はいったん、正規の就職を諦めることにしました。
教員採用試験は基本的に免許を持っていれば新卒かどうかはあまり関係がないそうなので(まあ、実力勝負という側面もありますが)、ゆっくり目指すとして、まず私にできることを探そうと思いました。

今考えているプランは、

①時間講師(少しずつ慣れる)
NPO法人、出版業など教材開発に携わる(これはちょっと無理かも)
③病気がある程度治るまでバイトを掛け持ちしながら社会経験を積み、採用試験を受ける
フリースクールの講師(病気が悪化する可能性が……)

が挙げられています。
指導教員の先生とも相談し、カウンセラーさんのご意見も伺いつつ決めたことです。
最終的なゴールは、教育実践を積み、その結果を「教育評論家」として世に出すこと。
そのためにできることを探すところからスタートです。

この連載を始めたのは、少しでも「教育の世界ってどうなってるの?」とか「自分も教師になりたいけど自信がない……」という人の役に立つ情報を発信していければ、という願いからです。
挫折を経験した方がいい教師になれると恩師はよく言っていました。
だから私の回り道も、意味があるんだと思っています。

ご興味がありましたらこの連載をお読みくださればと思います。
それでは、また。