ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

あの日から始まった、夢の途中の記録

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

これからするのは、私の思い出話です。ただ、今もその夢を追い求める日々の中にいます。過去のようで未来のような不思議な話です。

私は高校時代に、「将来の夢」というタイトルでエッセイを書きました。その書き出しを、今でも鮮明に覚えています。

「今日から皆さんの担任になった――」私はこう話し始める。 

 そう、高校時代から教員になることを夢見ていた私は、4月になって教壇に立って話始める前口上を決めていたのです。これを使って、もう3回目です。それでも、私がここまでたどり着くのには長い時間がかかりました。

突然の病

なんでかは今でもわかりませんが、精神をやられました。主な症状はうつ。グループワークもできないし、1限に間に合うように起きられないし、電車に乗れば人酔いして途中で降りる。よくもまあ単位が取れたなと。それもたぶん何かのめぐりあわせでしょう、私の出身大学はカウンセリング専攻のコースがあって、先生方は親切に配慮してくださいました。私の出身大学は教員養成専門。教育学部しかありません。そして学部卒の50%以上が教員になるという生徒が集まっている場所です。私もその切磋琢磨できる環境と、たくさんの経験を得られるところに惹かれて門戸をたたいたのですが、それが自分の首を絞めていたこともありました。そして実際に、物理的に自分の首を絞めることもありました。悲しいことに、私は私を傷つけることでしか、生きているという実感を得られませんでした。

夢は叶う

それでも何とか教育実習に3回行きました。そこでは初回を除き、ハズレを引いてしまったらしく、指導教員にいじめられて、ひどい評価をつけられて、就職も絶望的だと思っていました。それでも志が折れなかったのは、「自分を大切に」「君には才能がある」「大丈夫、あなたならできる」と応援してくれたひとたちがいたからです。彼らに貰ったあれやこれは、必ず何かの形で返さなきゃ、と思って、仕事を探していました。これもご縁ですね、前任校の校長先生にお会いした時に「うちで働かないか」と誘われて、そのままえいやっと飛び込んだのが定時制の高校でした。本当に楽しい2年間を過ごして、冒頭のセリフを実際に口にして、感慨にふけったのが昨日のことのようです。生徒の人生を背負う責任も感じながら、自分も彼らと一緒にもっと成長したいと思いました。そしてその結果、常勤講師のお話も頂戴して、今の職場にたどり着きました。

私はまだ夢の途中

私は常勤講師として副担任の役割を与えられました。分掌も任されました。それに全力で取り組もう、頑張って実力を認めてもらいたい、そう思いながら働いていた矢先。父が亡くなりました。その死を悼む間もなく、せわしなく日々が過ぎていって、心がどんどんしおれていって、遂に2度目のエンストを起こしてしまいました。悲しみの淵で、起きられなかったり、電車で人酔いするのが再発して、降りてしまったり。父に顔向けできない、教師の道を歩み、その魅力を教えてくれた先達であり、追いかけたい背中であった父のようになりたくて。定年を待たずに急逝した父の分まで働きたい。そう思えば思うほど、苦しくなりました。だから、実は今日から病休をもらったのです。正直、働き続けられるかも綱渡りの状態です。それでも管理職の先生方は、「あなたの授業をしている姿がすごく楽しそうだから続けてほしい」「無理しないで働く方法を考えていきたい」と提案してくれました。周囲の先生方のサポートもあり、1ヶ月無事に勤続して9月から”Reboot”となりました。

私は「教師になる」という夢は叶えたけれど、それはなまじの夢です。最終的には恩師や父のように、生徒と真正面から向き合う、優しく道を示せる教育者になりたいのです。だから、まだまだ、夢の途中。頑張るのもほどほどにしながら、自分のできる仕事を増やしていきます。

そのために、まずは――

前口上を言うのが4回目になるように。