ゆったりまったり雑記帳

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コート―ルド美術館展 レポ【note・ブログ共通記事】

寒暖差の激しい日々ですが、楽しくおでかけしております。どうも星野です。

今回は上野の東京都美術館で開催中の「コート―ルド美術館展」に関するレポートを書きました。

名画を読み解く、芸術の秋にぴったりの展示でした。ご興味のある方は是非。

 

会期は1215日まで、そのあとは愛知県に行くそうです。

毎週月曜日が休館日ですが、祝日は開いています。その代わり翌火曜日が休館になります。

開館時間は9:30~17:30です。毎週金曜日と112日は20時まで。

夕方は人が少なくのんびり観られるのでオススメです。

観覧料は1600円とお高めですが、そのぶんの価値はあります。

 

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フォトスポットにて、うちのこと共に

 

コート―ルド美術館は、20世紀初頭から戦後にかけて、繊維工業で財を成した実業家のコレクションを集めたロンドンの美術館です。

まだ画壇で人気がなかった印象派を高く評価し、コレクションのほとんどが印象派・ポスト印象派の画家によるもの。

このコート―ルドという方は、基金を創設して国の美術発展に寄与したひとであり、教育改革を訴えたという志の高いひとだったそうです。そのためコート―ルド美術館には現在大学の研究施設が併設されており、本展覧会のテーマは「名画を読み解く」となっています。

 

没入感のある展示会場で、まさかの全絵画に解説付きという力の入れ具合に驚かされました。学芸員さんすごい……

映像も多いので充実した時間が過ごせます。

 

ここからは「読み解き方」と「特定の画家のコレクション」というふたつの切り口から、本展覧会を紹介します。

 

まずは特定の画家のコレクションからいきます。

特集されていた画家は、セザンヌルノワールゴーギャン3名です。その他にもドガやマネの作品も数多く展示されていました。

 

セザンヌは目に映ったイメージを描くことを意識しており、どこか歪な画面が独特の魅力を放っています。

どうやら写実的に描くというよりも、全体の構図の調和を(たとえ線がゆがんでも)重視していたようです。

風景画も人物画も静物画も、マルチに描いていました。

 

ルノワールはなんといっても人物の描き方が第一級です。

独特のぼんやりとした、輪郭の曖昧な絵画がこれでもかというほど楽しめます。

目玉作品の一つ、「桟敷席」の鑑賞ポイントも大きなボードで解説がありました。

当時流行していた、モノトーンストライプのドレスに身を包んだ女性。

彼女の視線はこちらを向いており、舞台を見ているわけではないようです。

というのも、桟敷席は舞台と同じく「見られる」場所であり、当時の風刺画にもその様子が描かれていたのです。

モノトーンストライプにピンクの花を飾り赤い口紅をつけた女性は、その美しさを誇っているかのようでした。

何度でも言いますが、ルノワールの絵画には独特の湿度というか、「生きている」「動いている」と錯覚させる何かがあると思うのです。私はそこにとても惹かれるのです。

 

ゴーギャンはミステリアスな作品を数多く残した画家でした。

線を簡略化し、物語性を排したことによる「鑑賞者によるストーリー構築」を楽しませるところは、さすがのひとことです。

理想の世界を描いたとされる「レ・テリオア」と、未開人が持つ豪華さを描くためタヒチ島の娘をモデルにした装飾性の高い作品の「ネヴァーモア」には、やはり目が留まります。

決して写実的ではなく、どこか「おかしさ」を感じさせる作品群に圧倒されました。

 

続いて「読み解き方」。このエリアは ①画家の遺した言葉、②時代背景、③表現方法、の3観点から鑑賞してみる試みを体験できる場所です。

まず言葉ですが、画家が作品に対し手紙などでどう言及しているか、という見方をします。

たとえばゴッホの「日本への憧れ」が見て取れる作品、セザンヌが「若い女性の旅行アルバム」と評した色彩の対比が美しい作品など、「ことば」から作者が何を思って描いたのか推測するのはとても面白かったです。

文学の言葉で言えば作家論的なところがあり、自分の作品がどう観られるかを意識している以上鵜呑みにはできないでしょうが、取っ掛かりとしては非常に効果的だと思います。

 

時代背景は、絵画に描かれたモティー(たとえば、煙突は近代化の象徴、など)から当時の文化や風俗を推測する、という見方です。

ちょうど20世紀は、鉄道網の発達など近代化の波が押し寄せる時代でした。

そんななかで郊外のリゾート地を描くのが流行するなど、当時の生活の様子が非常によく感じられました。

その際注意しておかなければいけないと思ったのは、「描かれていないもの」は何か、を見落としてはいけないということでした。

例えばリゾート地に行けない農民・労働者階級はどんな生活だったのか? など、語られていない部分にも目を向けなくてはならないですね。

 

表現方法は、色彩の科学(スーラの点描などですね)や用具、描き方そのものを読み解くという見方です。

チューブの絵の具とカメラが絵画の世界に持ち込まれたことで、様々なものが激変していきました。

顔料と溶剤の工夫で滑らかさを追求した油絵、風刺画の未完作、光の意識と補色の効果、デフォルメすることによって内面を描き出そうとする試み……絵画を生み出すために苦心している様子だけでなく、「どう観られるか」「どうすれば効果的に伝わるか」を考えながら描く研究魂も垣間見られました。

 

文学と同じ文脈では語れないとは思いますが、絵画を「研究する」という営みにも、似たような手法や考え方があるのだなあと非常に勉強になりました。

背景知識があると楽しい! というのが改めて感じられたので、もっと私も詳しくなりたいと思います。

 

かなり急ですが、今週のどこかで「オランジュリー」に行こうと思っているので、そちらもお楽しみに。

それでは、また。