新しいブーツを履いたら普段使わない部位が筋肉痛になりました。
どうも星野です。
今回は12月16日(日)に渋谷のBunkamuraザミュージアムまで行ってきた、というお話をしようかと。
現在Bunkamuraザミュージアムでは、Bunkamuraの30周年を記念して、11月23日から来年1月27日までの会期で「ロマンティックロシア」展が開催されております。
私はロシア美術に疎かったので勉強するために(と、音声ガイドを担当されている諏訪部順一さんのファンとして)渋谷まで繰り出していった次第であります。
不純な動機でいいじゃない。
この展覧会は大きく4章に分かれています。
風景画(自然)、人物画(大人)、人物画(子ども)、風景画(都市)の順に、72点の19世紀から20世紀のロシアを代表する画家たちの絵画が展示されています。
最初は四季折々の風景画から。
春夏秋冬、様々な姿を見せるロシアの自然は、思ったよりも素朴で優しさに満ちていました。
自然への愛、そして自然から学ぼうとする姿勢を説いたのは19世紀後半の画家・サヴラーゾフだそうですが、それを彼は「叙情的風景画」と呼びました。
解説文や並んだ絵画の描写から、春は再生、夏は祝祭的な喜び、秋は別れの輝き・憂いの時、冬は過酷さの中の幸福……というテーマが隠れているように感じました。
もうこの時点でロマンティック。
ロシアの風景画の巨匠にしてサヴラーゾフに師事したレヴィタンは、自由でしなやかな筆づかいで、印象を表しているとのことでしたが、何となく日本の近現代洋画に似たものを感じていました。
花の描き方が石田武さんっぽいなあと思いながら春のロシアの風の香りを味わつつ、夏のエリアへ。
クストージエフが病で半身まひになりながら描いた「干し草作り」は圧巻でした。
これで片手のクオリティ!? と驚くこと間違いなし。
どことなく挿絵調なのは、彼が挿絵を手がけた経験があるからでしょう。
もうひとり心に残ったのがシーシキンという画家です。
「ライ麦畑はロシアの宝」という名(迷?)言を残し、空の高い黄金色の麦畑を描いていました。
シーシキンは「芸術は民衆のものだ」と主張し、移動派にも深く関与したと言われています。
移動派とは、アカデミズムによる制約を嫌うクラムスコイらが1870年に創設したアーティスト集団です。
当時の社会生活(民衆の生活)を写実的に描き、その歪みを告発すると同時に、祖国愛に基づく風景画を盛んに描いていた、とのことです。
彼らの活動を高く評価したのが今回の展示を主催した「トレチャコフ美術館」の創始者・トレチャコフだったと言われています。
トレチャコフは紡績業で財を成し、多くの画家と交流を深め、「画家から絵を直接買い付ける」ことを信条としていたそうです。
またトレチャコフは身近な自然を「詩」だと表現していて、ロマンティックここに極まれり……とひとり感動しておりました。
彼らの作品に目を向けると、春や夏の季節には特に「樫の木」を描いた作品が結構あることに気付きました。
ロシアは国土の半分以上が平原や森林のため、「木の文化」だと言われるそうです。
それを体現したような作品群に、同じく森林・山岳の国ニッポンの民として、何かシンパシーのようなものを感じました。
前述したシーシキンの「松林の朝」は非常に幻想的。
国木田独歩は代表作「武蔵野」の中でツルゲーネフの一節を引用したそうですが、そこに息づく自然を愛し写実的に描写しようという取り組みも日露でリンクしており、とても嬉しい気持ちになりました。
ちなみにロシア語では花(ツヴェートク)と色(ツヴェート)という単語は同根だとのことで、言語を中心に学んできた者としては非常に興味をそそられました。
閑話休題。
ロシア美術が花開いた19~20世紀は、時代的に印象派と前後するはずなのですが、雲の形や光の捉え方などは写実主義そのものです。
ロシアは近代化が遅れ、不安定な社会の中で民衆を啓蒙しようとしていたという歴史背景も関係しているのでしょうが、印象派が根付かなかったのは寒冷な気候のせいなのか、はたまた主流文化には染まらぬというプライドだったのか……想像が膨らみます。
秋のエリアは全体的に金や紅に染められており、ロシアの四季を疑似的に体験することができます。
冬など気候的にかなり厳しいのでは……と勝手に想像していましたが、樹氷や雪娘、トロイカなど冬には冬の美しさを満喫しているロシアの人々の姿も感じられ、自然を愛する心は万国共通なんだろうなと思いました。
続いて人物画のエリアへ。
19世紀後半から20世紀前半にかけて、ロシアでは文学が発展し、心理分析を積極的に行うようになったそうです。
そのため心理描写を重んじた多面性のある肖像画が多く描かれたのだとか。
このエリアでの見所はやっぱりクラムスコイの「忘れえぬ女(ひと)」と「月明かりの夜」ですね。
女性特有のたおやかな美しさ、自立した女性の持つ凛とした強さを感じさせます。
どちらの作品もモデルが明示されておらず、見る人それぞれの理想的な女性が投影されるという解説の考え方はとっても素敵だと思いました。
幻想的でありながら、見る者の心、そして描かれた人の心を映し出す。
哲学的で思索する楽しみを味わえます。
人物画でかわいらしかったのは、子どもの絵画です。
子どもを見守りつつも、真剣に向き合ったからこそ身近な存在への愛を感じさせる絵が多かったです。
ここでは、モラヴォフによる「おもちゃ」という絵画が気に入りました。
カラフルな色彩と楽しそうな子どもたちの表情に、私の心も嬉しくなりました。
あとはオリガ・デラ=ヴォス=カルドフスカヤの「少女と矢車菊」!
母親が自身の子どもの様子を描いたと言われるこの作品は、水色を基調とした画面いっぱいに広がる、たくさんのヤグルマギクと少女のリラックスした表情に癒されること間違いなしです。
続いては風俗画のエリアです。
タイトルが秀逸だと思ったのは「悲痛なロマンス」。
絵を見れば理由が分かるので、気になった人は是非会場へ!
この当時の風俗画には、無力な人々への同情や、それと対比する形で置かれた「理想郷としての家庭」でのゆったりとした時の流れに対する憧憬など、様々なテーマが内包されています。
当時のロシアの文化を知るのに非常に参考になります。
ダーチャと呼ばれる別荘でのジャム作りの様子などは微笑ましかったです。
最後は都市部の風景画のエリア。
ベーグロフによるフランスとの外交の様子を描いた戦艦の絵画などからもわかる通り、ここでの絵画には記録的な意味合いも多くあったものと思われますが、それでも画家が暮らす街への愛着が感じられました。
圧倒的な美の前に価値付けしたくなるのは、もう人間の性なのかもしれない。
私はこの展示会でそう思いました。
自然を愛する心、自国の文化を大切にする心が生み出した作品は、どれもこれも美しいです。
でも腹の足しにはなりません。絵も彫刻も食べられませんから。
そんな(ある意味では)贅沢品に「価値」を付けて賞美するという心の動きが、人間には備わっているのだと強く感じました。
それこそが人間を人間たらしめるのかもしれませんね。
絵画や文学をはじめとする「学術」と呼ばれる分野は、その時代あるいはその社会の影響から逃れることはできません。
しかし、社会や文化の影響を受けつつ作者の心の機微も描き出した作品に私たちが惹かれるのは、そうした社会や文化も包括して「美しいものを美しいと評価するのは当たり前だ」と思うからなのでしょう。
ロシアは多民族他宗教の国家で、当然日本とは根本的に異なる文化背景を持っていますが、自然に対する思いや祖国への愛、幻想と写実を包括する感覚など、日本とも類似する点がたくさんありました。
ロシアへの興味が湧いてきたので、今度ロシア文学に手を出してみます。
……途中で挫折しないといいな。
今回はここまでです。
次はヒグチユウコ先生の「CIRCUS」展のレポと、ハンドメイドジャパン冬のレポでも書こうかと。
どっちも楽しみです。どっちも遠いけど。
それでは、また。