ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

過去記事一覧①「教壇に立つその日まで」第五弾

最近出かける前にアラームをかけて、時間通りに行動できるよう工夫しています。
どうも星野です。
今回は週末に行ってきた障害者向け就職相談会のレポを書くことにしました。
障害者雇用という観点から考えたことも縷々述べていきます。

週末の都内某所に、私はリクルートスーツに身を包み参上しました。
そもそもこのリクルートスーツというやつも、私は正直嫌いです。
一度大学の授業で「シューカツスタイル(没個性的にみんな同じような格好をしていること)は誰のもの?」というテーマでディスカッションをしたのですが、結論として「シューカツ」というシステムのためにあるのだというところに落ち着きました。
どういうことかというと、個性をなくすためのシステムがシューカツ、という意味です。
あの恰好って、個性をなくせるかどうかふるいにかけていることだと思うんですよね。
見た目で先入観を与えないというメリットを最大化するとああなるわけです。
でも個性をなくすという覚悟を見せる場でもあるのですよね。
企業も特定の業界として没個性化して、フォーマルな形に自身と志望者をはめこんでいる。
あのスタイルを選択するのは自分ですが、「自分」というものに対するウエイトは少ないのです。
そのくせ教員採用試験でもなんでも、自分だけのアピールポイントを発揮させようとするところに矛盾を感じずにはいられません。

閑話休題

中くらいのホールに30社くらいが集まっており、人気のところは順番待ち。
普通の就職相談会とそんなに変わりません。
ただ、バリアフリーになっている(段差がない、照明が明るい等)のは特徴的でした。
実際に車いすの方や弱視の方などもいらっしゃっていて、そういう「障害」への偏見みたいなものは一切ありませんでした。

しかし、週末の休みを使って行ったにも関わらず、収穫はゼロでした。

そもそも選択できる職種が少ないのです。
私が伺った相談会だけなのかもしれませんが、事務や一般職ばかりで、あまり魅力を感じませんでした。
私の興味関心が「教育」にしか向いていないのもひとつの要因だとは思いますが、技術職や製造業系はほとんどありませんでした。
目立ったのは公務員系。
多くの市役所がブースを構えておりました。
中央省庁の障害者雇用水増しの問題を受けて、私の住む市も追加で非常勤職員を募集するとのことだったので、そういう背景もあるのかなと。

私の懸念は「やめられないこと」でした。

ひとつの企業にしろ自治体にしろ、簡単には辞めることができません。
今まで私のために教育してくれたことも無駄にしてしまいますし、せっかく雇用してもらったのに最初から「教員目指しているので途中で辞めます」とは言えなかったです。

しかしよく雇用条件を見てみると、「更新制度あり」とは書いてあっても「2024年まで」等の期限がついているのです。
よく考えてみると、中途採用の求人が半分以上。
新卒の採用もしていますが、中途の受け皿として機能しているような印象。

私は疑問を持ちました。

私は障害を特別なものだとは思っていません。
「感じている世界が違う」のは健常者同士でも当たり前にあることです。
だから何かができないこと、機能不全があることは「手伝ってほしいこと」であって、それで差別されていいとは思っていません。
インクルーシブ教育を学び、「子どもに教える場も一般企業も等しくインクルーシブな職場環境になってくれ」と常々言っている身として、ショックでした。
障害を持っているだけで、こんな風に使い捨てにされるのでしょうか。
そして新卒で何かの病気や障害を抱えていたら普通に働くこともままならないのでしょうか。
それっておかしくないですか?
勤労して納税するという義務を果たすための手段が限定されて、自分の好きなことができないのは、障害を持っているから許されてしまうんですか?
好きなことをして生きていくことは健常者でも難しいのは確かです。
例えばゲーム業界やアニメーション制作業界などは、人員が余っていて食っていけない、と就活生の間では有名です。
それでもその仕事で何とか生きていくことは不可能ではありません。
ですが障害を持つ人には、その機会が十分に与えられない。
もちろん個人の能力によって、できること・できないことには差があります。
その差を埋めるために、「インクルーシブ」な社会、「多様性を許容する」社会が求められているのではないですか?
自分のできないことは誰かに手伝ってもらう。
代わりに自分のできることでベストを尽くす。
それってそんなに難しいことですか?

なんだかすごくモヤモヤしたまま帰ってきました。
教職の現場も、精神疾患で辞める人が多いです。
精神障害の認定を受ける人もいます。
それだけハードなのはわかっています。
それでも私は、「できるんだ」と証明したいのです。
心の傷を持った人にしかできない教育がある。
そう信じて、できることから始めていく予定です。

障害者雇用が話題になっている昨今、少しでも問題提起ができればと思ってこれを書きました。
誰かの意識が変わることを祈っています。

それでは、また。