ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

「MANGA都市TOKYO」展 レポ

久しぶりに我が家のネコチャンぬいぐるみ・アランチャくんをお風呂に入れてあげました。ふわふわになってキュートさが増したので、私は大満足です。どうも星野です。noteに書いた内容ですが、こちらにも載せておきます。六本木の国立新美術館にて絶賛開催中の展覧会・「MANGA都市TOKYO」に行ってきましたので、そのレポートを書きたいと思います。11月3日まで開催、前後期で展示替えあり。入場券のほかに日時指定券をオンラインで申し込む必要があります。夜間開館は当面無いそうです。この騒動の中だから仕方ない……。この記事をいいなと思って頂けたらサポートをお願いします。minneとFantiaはこちら。夏らしい商品、受注生産品などもありますのでよろしくお願いします。買ってくれないとたぶん桃ちゃんは経済的に死にます。

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入り口の様子

MANGA都市TOKYOのコンセプトは、東京という街が発展してきたのに合わせて、どんな描写をされてきたのか、という視点が下敷きになっています。
つまりは東京の歴史を踏まえて、今までどのような描かれ方をしてきたのかを紐解いていく。
ゴジラから始まる「破壊」の物語を出発点としながら、現在の「日常系」と呼ばれるのんびりとした平和な作品にどう繋がるかという非常にエキサイティングな考察のできる展覧会なのです。
会場に入った目の前には、大きな東京の立体地図とモニターがあり、様々な作品の中に登場する東京の様子を一望できます。
順路に沿って歩いていくと、ゴジラAKIRAエヴァンゲリオンの「東京の破壊と再生」についてのコーナーへ。
絵コンテやアニメの映像、映画の映像も堪能できます。もちろんマンガのコーナーでは原画が見られます。こんなに盛りだくさんでいいのか……? と思うほど贅沢な時間ですし、とても2時間では鑑賞しきれないほどの情報量です。お時間には余裕をもって行かれるのがよろしいかと。私は実際にギリギリに行って後悔しました。

東京という街は震災や空襲などを受け、何度も壊されては再生してきました。多くの人々が暮らす大都市として、時に自然の脅威に怯えることになり、そして時に他国からの標的となり……そして多くの命が失われ、また生まれてきました。まさに「方丈記」のごとく。
その様子をアニメや特撮の世界でも描いているというのには、何か象徴的なものを感じずにはいられませんでした。
まるでフィクションの世界の中で「もう一度東京の街が経験した悲劇を再体験する」ことで、「忌まわしい記憶から立ち直ろうとしている」かのように見えるのです。
フィクションのない世界に、我々は生きることができません。フィクション――言い換えるならば「物語」――というのは、単に人間を惹きつけるというだけでなく、人々の共通の思想のベースであり、人々が縋りたくなるものであり、人間が語るべき言葉を生み出す装置でもあります。そういう「物語」「フィクション」を使って、東京という街が経験した歴史を学びなおし、そして新たな未来に向かって生きていくための教訓とする。そんな意志を持って、人々はこの物語たちを受け入れたのだろうな、と考えています。
過去は消せないし、傷も時間だけでは癒えないこともあるけれど、それでも世界は美しいし、守らなければならない。
そんな制作サイドの隠れた想い(願い)に触れた気がしました。

続いて江戸期からの東京の様子を、マンガ作品などから再検討していくコーナー。
江戸時代では火事がとても危険だったことをモチーフとしたマンガ作品や、安野モヨコ先生の「さくらん」に代表される𠮷原の花魁の様子、そして葛飾北斎の娘・応為の人生を描いた作品などを紹介し、後世の人間が「江戸の頃」を好んでテーマにしていたことなどを伝えています。
江戸時代は天下泰平が200年続いた驚異的な時代ですから、多くの作家がインスピレーションを得ることは多かったのでしょう。特に庶民のメディアだった浮世絵が多く残っていること、歴史資料が残っている可能性が高いことから、情報には事欠かないというのも背景としてあるのかな、とも。
そこから明治、大正と時代を重ね、多くの作品(明治ならば「るろうに剣心」、大正ならば「サクラ大戦」「はいからさんが通る」などですね)が今は体験し得ない過去のの何かからモチーフを取ったり、着想を得たりするのはもう性(さが)なのではないかと感じました。
実際に私も大正時代がテーマのTRPGシナリオを2本ほど書きましたし、見たことがないけれど確かにあった「過去の時代」に魅力を感じるのはあるよなあ、としみじみ思いました。たとえ使い古されていたとはいえ、それは王道の作品制作の過程なので、誰しもが通る道なのでしょう。
現代になって多くの建造物が並ぶようになった東京では、たとえば「美少女戦士セーラームーン」「カードキャプターさくら」などで東京タワーが描かれていることに代表される「アイコン」としての建築物のあり方が紹介されていました。
確かに「シン・ゴジラ」でも「内閣総辞職ビーム」が発射されましたし、破壊という過去作品の踏襲をしながらもその建物が持つ「意味合い」「象徴性」にスポットを当てたのは確かに時代が前進した感じがありますね。個人的に「残響のテロル」で都庁舎が破壊されるシーンが持つ「日常の危うさ」(=案外簡単に日常は崩れ去る)ことを乗り越えて「3月のライオン」「花のズボラ飯」「ソラニン」などが生まれた事情をもっと詳しく知りたかったですね。
時代的にバブル期の華々しさから一転して退廃的になっていくのには、やはり世相を反映しているのかな、なんて思ったりして。
その時代を生きたわけではないけれど、追体験ができる、という意味では非常にこの「フィクション」という仕組みはうまいこと機能しているな、と思うのです。

最後は社会に浸透したアニメ・マンガ・ゲームの世界のお話でした。駆け足で鑑賞したのでそんなに感想らしいものも書けないのですが、初音ミクちゃんの電子アイドル的な立ち位置が、これからの時代に即していくのだろうな、と予測しています。
この病禍によってさまざまなイベントが中止になっても、電脳世界のアイドルは生き続けるし、ずっと夢を与え続ける。
ただ、そこに何らかの「物語」が付与されないと、たぶんそのアイドル(あるいは別のモノ)も存在し続けられないでしょう。
そこに「物語」を与えていくのが我々人間の営みなのだろうな、と思うのでした。

後期も行けたら行きたい! と思わせてくれる素敵な展覧会でした、ここまでで終わりにしたいと思います。それでは、また。