最近あったかくて甘いミルクティーを魔法瓶に入れて持ち歩いているのですが、こぼしたときが怖い星野です。
今回は東京都板橋区で開催されたedcampの模様をレポートします。
板橋区民ではないのですが、主催している方がうちの大学の院で勉強されている現職の先生で、そのご縁で参加したというわけです。
今回のedcampの趣旨としては、文部科学省や各都道府県等が示している「地域で子どもを育てる」という目標に対して、どのようにアプローチしていくかを地域住民や保護者、学生、教員等すべての大人が考え議論する会です。
1時間のセッション(討論)が3回あり、好きな話題のところに各々集まって話をするというスタイルで進行しました。
edcampに参加すると、様々な困難を抱えた人や、教育に携わりたいけれど方法がわからない人など、いろんな立場からの意見がもらえるので、自分の現在位置(教員として今何が必要で何を強みとしていけるか)を知ることができ、また教育の理想像が描きやすくなります。
ただ、愚痴大会になってしまいがちというか、結論が「社会構造の変化」や「行政の介入」など自分たちの力の及ばないところにいってしまったり、抜本的な解決策が浮かばなかったりするのは残念でした。
一方でその悔しさ、どうにかしたいという思いを原動力に活動を始めることが大切なんだとも思いました。
以下、参加したセッションの記録をもとに考えたことをまとめていきます。
参加したのは「インクルーシブ教育」「楽しい読書活動」「不登校」の3つです。
ひとつずつお話していきます。
まずインクルーシブ教育について。
そもそも「インクルーシブ教育」とは、障害を持つ児童生徒をはじめとする、通常学級から隔離されがちな存在を、通常学級で同じように教育していこうという取り組みです。
「ユニバーサルデザイン」と考え方としては似ています。
みんなにとってわかりやすい授業や学級活動を目指す。
ですが「通常学級にいることじたいが苦痛に感じる児童生徒もいる(聴覚過敏だからうるさいのが苦手な児童生徒、いじめから逃げたい児童生徒など)」ということや、「教員側にインクルーシブ教育の方法やメリットが伝わっておらず、推進を阻んでいる(教員に時間や余裕がない)」という現実があります。
他にも、「障害者雇用は形だけになっている」「地域や保護者の理解が浅い(配慮の仕方がわからない、伝わっていない)」、そこから派生して「診断が出ているからあの子だけ優遇されているのはおかしい、不平等だという意見が出るのではないか」などなど、インクルーシブ教育には様々な課題があることがわかりました。
当事者はもちろんですが、その親や先生方も、地域の方も、みんな困っている。
その背景として、児童生徒の発達がゆるやかになっているのではないかという推測がありました。
児童生徒の発達には、同じ行動をとって集団を組む「ギャング・グループ」から秘密を共有しあう集団を形成する「チャム・グループ」、そして互いの異質性を認め合う集団の「ピア・グループ」と変わっていきます。
現職を長く続けている先生からは、普通小学校の頃起こる「ギャング・グループ」が中学校になってもまだ続いていたり、高校生になっても中学生のような行動を取っていたり……と、子どもの発達が全体的に遅くなっているという感覚があるそうです。
ただし、「ピアジェの理論は現代の子どもには合わない」という意見もあります。
このような分け方そのものにも見直しが必要なのかもしれません。
そこから「当事者および周囲の成長をどう促すか」という点に話題が移りました。
私が投げかけた疑問は、「インクルーシブ教育のメリットとデメリット」。
集団についていくことに本当に価値があるのか、疑問だったのです。
話をしていくうちに、インクルーシブ教育のメリットとして「隔離されていると自分で自分の身を守る術を学べないから、集団と一緒に行動することによって当事者の自己理解が深まり、困難への対処法がわかるのでは」という意見が出ました。
大人や同年代の友達と対話することによって自己理解が深まるのは、おそらく皆さんも経験があるからわかると思います。
困難への対処法、つまり自分で助けを求める方法を身につけられる点については目から鱗というか、集団でなければ身につかない能力もあるのだと思い知らされた瞬間でした。
他にも「周囲の成長を促すために必要」という意見も出ました。
インクルーシブにすることで、結果的にみんながわかる、みんなが多様性を認め合えることに繋がり、自分と違うことをしている人を見ても「何か理由があるんだろうな」と思いやれる力を養えるといいよねと話が盛り上がりました。
最終的に「教員、周囲、保護者の意識を変えたい」という点にたどり着きました。
2022年の新学習指導要領の高校・保健体育では、メンタルヘルスについて教えることが示されています。
誰もが精神を病んでしまう可能性のある現代社会において、必要な知識は教えた方がいいはずです。
ですが先生自身知らないことが多い。
交渉やスケジューリングは子ども全員に教えるべきなのに、その時間すらない。
一番身近な先生が多様性に目を向けて、自ら学び、多様性を教えられるようにしていくべきだよねというところで話がまとまりました。
私が一番印象に残ったのは、「これから自己選択ができるインクルーシブな社会になっていけばいいな」という意見です。
私自身病を抱えているので、職業選択や日常生活に大小さまざまな壁が生じています。
そんな中でも自己決定権が保障されている(もちろん自己責任も伴いますが)、個人を大切にしてくれる社会が実現すれば生きやすいのにな、と共感したのでした。
続いてのお題は「楽しい読書」。
司書教諭の資格を取ろうと考えている身としては非常に興味がありました。
いちばん衝撃だったのは、参加していた小学2年生の「司書ってなあに?」の一言でした。
学校図書館を支え、情報メディアの管理や校内ネットワーク構築など、縁の下の力持ち的な役目を果たす存在が……当の児童生徒からしてみれば「誰かわからない人」だったなんて……
図書館の利用の仕方、調べ方なども含めた読書教育の必要性を感じました。
このセッションでは主に「Life with Reading」という、読書のきっかけづくりに使えそうなアイテムを使用して話をしていました。
このアイテムは大手書店の有隣堂と慶応義塾大学の「井庭研」がコラボして作った24枚のカード集です。
本との向き合い方、読み方などなど、本に対する様々なアプローチについて書かれており、それをもとにして「私はこういう読書をしています」だとか、「こんな読書に興味があります」だとか、はたまた「こういう読書の方法は許せない!」という意見まで出せるという、イントロダクション向きのツールでした。
普通に買えるらしいので、興味のある方は是非。
公共図書館などで利用されているとのことで、実際に体験してみましたが、本との多様な向き合い方・本をどう読むかに対するそれぞれの想いを感じ取ることができ、本をもっと読みたい、広めたいと思うようになりました。
本と自分との関わり方を話し、そこから自分のことを語れる司書教諭って素敵ですよね。
一方で、「本が嫌いな児童生徒にはどうはたらきかけたらいいのか」という疑問を口にしたところ、面白い意見が返ってきました。
その方はPTAの有志で読書会を開いているそうなのですが、読むのは2~3行だけでもいいし、本を持ってこなくてもいいというルールのもと運営していると聞き、衝撃その2を受けました。
本を読むことが目的なのではなく、テーマに沿った活動を通して何かアクションを起こす(Read for Action)のが大切だと伺いました。
1ページだけでも、部分だけでも、とにかく読んで行動を起こす。
すると本と本同士が繋がったり、知識のリンクが起こって、自発的に「本読んでみようかな」と思えるようになるんだそう。
これは私の研究していた「アニマシオン」の活動と似たものを感じました。
読書を通して豊かな情操を育んでいきたいものです。
最後は「不登校」について。
不登校という言葉にマイナスイメージを抱く人も多いかと思います。
実際不登校に対する周囲の目は厳しく、それによって当事者たちも自分で自分を責めてしまうことに繋がり、悪循環をもたらします。
不登校は結果の一部であり、原因は様々です。
先生もどのタイミングでどんな声掛けをしたらいいのか、また保護者も当事者の良さを探すにはどうしたらいいのか、と悩んでいます。
そこで最初に出た疑問が、「集団に戻すことは果たしてゴールなのか」。
最近ではオルタナティブスクールが一般に浸透するようになり、集団に帰属しなくても学びの場が保障されています。
確かに現代社会の多くの企業は、集団に同化する性質が強い人材を欲しています。
ですがここで、親や先生が不登校の子どもにアプローチするうえで大事なのは、その子に合った学習スタイルを早い段階で見抜く(あるいは当事者が気付く)ことだという意見が出ました。
スクーリングが合わないなら通信制でもいいし、全日制だからといって必ずしも学力が高くなるわけではないし、単位制にした方が伸びる子もいる。
こういう話題が出ると「海外では不登校はいないのか」だとか「フィンランドの教育メソッドを取り入れるべきでは」といった方向に思考がシフトしがちですが、欧米には欧米の問題点があって、それぞれ一長一短だと思います。
例えばフィンランドでは、自由に自分の学びたいことに取り組むがゆえに、エゴ(ある意味わがままな気質)が強くなっているそうで。
何がいいのか・悪いのかについてはきちんと分析をし、取り入れるのであれば目標(何のためにそれを取り入れるのか)をはっきりさせないとだめだよね、という結論に落ち着きました。
ビジョンが違えば育て方も変わります。
その中で「不登校」が選択肢のひとつになったらいいなとも思います。
私はこのedcampに参加して、自分を見つめ直し、新たに目標を定めることができました。
そしてたくさんの人が教育に関心を持ち、何か出来ることはないのか、手伝えたらいいのにな、と思ってくださっていることにも気づけました。
行政や社会のせいにするのは簡単ですが、自分が何か動くことで変わるものもあるのかもしれない。
たくさんの人と協力して、学校だけでなく地域、社会全体で子どもたちを育てていけたらいいですよね。
そのために私ももっと勉強して、こうして発信して、教育現場に還元できたらなあと思います。
今回のレポはここまでです。
最後に、グラフィックレコードの様子も載せておきます。
それでは、また。