ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

「ゆるい」先生の卒業式の思い出【note・ブログ共通記事】

今週のお題「卒業」

 

がしがし書いています。どうも星野です。今日はよく働いた……。

頻度を上げたことで何か変わるか不明ですが、いけるところまで続けます。

noteでは投げ銭(サポート)をお願いしております。そちらもよろしくお願いします。

https://note.com/hoshino1616

お題は「みんなの卒業式」。今年卒業した学生さんには前途を言祝ぐ意味で、そして教員の皆さんには卒業式のあり方を考え直すきっかけとして……

今年は疫病流行により簡易化されてしまいましたが、私にもいろいろ思い出がありますので、共有して華を添えようとこうして書いています。

 

卒業式――涙に濡れた頬と胸の花、卒業証書を手渡されて何か区切りがつく行事。

私のなかでいちばん記憶に残っているのは中学校時代の卒業式です。

当時生徒会副会長として暗躍していた私は、生徒会長である友人にある頼みごとをされます。

 

「卒業生答辞の内容を書き換えてほしい」

 

これには理由がありました。当時中二病をこじらせていた私たちは、中学の卒業をもって進学先がばらばらになることが決まっていました。

そして私たちは、共通の趣味で当時プレイしていた乙女ゲームStarrySky Winter」と、読んでいたあきづき空太氏の「青春攻略本」に感化されまくっていたのです。

参考までにリンクを貼っておきます、これは青春時代に出会えてよかった作品です。

http://honeybee-cd.com/starrysky/character/index.html

https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/45133/

良い子の私でも、最後くらい型破りなことしたい。

そんなことを考え、小さくて大きな悪だくみを画策してしまいました。

 

卒業式当日はとんでもないことになりました。

生徒会担当の先生が真っ青になるくらい、予行で練習していた内容と全く違う内容をしゃべっているのですから。

時間もオーバー、内容も中二病真っ盛りでエモい感傷的なもの。今聞いたら恥ずかしさで卒倒してしまうかもしれません。

日本語の誤りは私が訂正したのですが、とにかくイタイ感じの答辞でした。

答辞を読み終えた会長と静寂の中ハイタッチをした音を、今でも鮮明に思い出せます。

 

中学生はやんちゃ盛りで多感な時期だと思うので、おそらく全国でこういうことは秘密裏に行われていると思うのですが、教師としては最後の最後で「あいつなんてことを!!」となるわけです。

生徒指導にも引っかからなかったのは普段の素行がよかったからなのかもしれませんが、生徒会担当の先生としては顔に泥を塗られたような気持ちだったでしょう。

今では送り出す側になった私も、少しだけその先生に罪悪感が湧いています。ですが、これも昨日の記事(リンクはこちら)

と同じく、「ゆるく」考えていいと思うのです。

生徒のしたいことをある程度許容する(もちろん校則違反などは生徒指導の対象になると思いますが)、あるいはゾーニングするという視点が必要なのではないかと私は考えています。

例えば、答辞の場ではなく生徒だけの集まりを設定してそこでポエムを好きなだけ吐き出させるとか、髪を巻くなどのちょっとした女子のおしゃれは許してあげるとか。

生徒の自主性に任せるところは任せて、だめなものはだめ、と最初にルールを指定してしまえばいいのではないでしょうか。

卒業する生徒にとっては最高の晴れ舞台です。それを教師のガミガミ怒鳴る声で汚したくはない。私はそう考えます。

規律や束縛の厳しい中から、少しずつ自分で考えられるようになって、最後は自由になる。その成長の過程を喜ぶべきだと考えるのは、間違いなのでしょうか。

 

卒業生の皆さん、改めておめでとうございます。これから次の規律の中に放り込まれると思うと気が重いかもしれませんが、自分を縛るものをうまくかいくぐって、規律と付き合っていきましょう。

世界は皆さんが思うより広いです。知識や教養、経験を武器に、前途を切り拓いていってください。

 

ということでこの話はおしまいです、それでは、また。

「ゆるい」先生の部活の思い出【note・ブログ共通記事】

久しぶりにお外に出ました。どうも星野です。お外に出ないと気分がふさいでいけませんね。休校中の児童生徒も同じ気持ちだと思うとかわいそう。

 

今回のテーマは「部活の思い出」。私は高校時代に文芸部に入った以外、特に部活動の経験はないのですが、そこでの記憶について語ります。

文芸部は教室と教室の間の渡り廊下に位置した(ほぼ外の)、小さなプレハブ小屋で活動していました。

年間で6冊同人誌を書いて発行し、図書室に置いたり文化祭で頒布したりしていました。

私がたまにnoteに投稿するオリジナル小説の原点はここにあるのです。

ちなみにpixivでも二次創作をしているので参考までに。

高校時代は徹夜でアニメを作ったり、ボイスドラマを撮ったりもしました。歌ってみた動画も作りました。とにかく型にはまらず何でも挑戦しました。

 

私がこの部活に入るきっかけになったのは、同じ中学から進学した友人が誘ってくれたからですが、その友人も含め最高の友と出会うことができた、貴重な場でした。

先生からの干渉もほぼなく、無法地帯だったので、学校内にゲーム機を持ち込んでみんなでモンハンをしたり、カードゲーム(当時はヴァンガードをやっていました)で熱くなったり。

くだらないけれどきらきらした、かけがえのない青春でした。

小説を書く活動もみんなで楽しくできていました。その一助になっていたのがTRPGでした。

 

きっかけは先輩が某動画を観てクトゥルフ神話TRPGに興味を持ち、うちの部活でやらないかと会を開いたことでした。

そこからストーリーテリングの技法を知らず知らずのうちに学び、物語の構成などをみんなで批評しあったり、予想外の発言をどう回収するか考えたり、まあとにかくなんでもありの話を何時間でもしていました。当時の顧問の先生が聞いたら卒倒しそうなほど好き勝手放題やっていましたが、そこで身につけた「物語と向き合う力」は高校で国語を教えている今に活きています。

 

部活動は顧問の立場から言えば、重い負担でとても面倒なものか、あるいは授業より熱を入れてやりたいか、二極化していると思います。

生徒としても私のようにマイペースにやりたいひととガツガツ指導が欲しいひとと、いろいろだと思います。

だからこそ「棲み分け」をしないといけないな、と常々考えています。

教師の本分は教科指導、そして生活指導にあります。ですから部活だけに力を入れるのは方向性が間違っているのではないかと危惧しているのですが、まあそういう先生も現場には必要なので措くとして、生活指導の面で部活が必要だという論もあります。上下関係の築き方、マナーなどを学べるとかそういうやつです。けれどそれって、部活だけで学ぶものなのでしょうか。私は授業でも普段の休み時間でも、学ぶ機会はあると考えています。だから部活は「ガツガツやりたい」派と「自由にやりたい派」でゆるくグループ分けをしたほうが、教師にとっても生徒にとっても幸せなのではないかと思うのです。

生徒指導が厳しい学校だったら、私たち文芸部は確実にアウトです。学校でゲームやってますからね。けれどそういうのを許容してくれる「緩さ」がある学校だったので、そんなに気づまりせず3年間楽しく過ごせたんだと感謝しています。

だめなものはだめだと言う芯の部分の厳しさと、ある程度緩く温かく見守る優しさと、匙加減が難しいですが、そういうバランスの取れた指導のできる教師でありたいと思う毎日です。

みんながみんなビシバシ言っていたら体罰も容認されやすくなるだろうし、何より教師が疲れます。だから私は高校時代の恩師たちのような「まったり」な先生でいようと決意したのです。

まったりな桃ちゃん先生は何部かな……文芸部もいいけれど、美術部とか手芸部とか家庭科部もいいな……といろいろ考えています。

父も教師なのですが、昔からプレー経験のあるバスケ部を「ゆるく・厳しく」コーチしているそうなので、いずれやってみたいですね。

そんな感じでこのお話は終わりです。それでは、また。

教壇に立ったその日から・番外編シックス【note・ブログ共通記事】

花粉との本格的な戦いが始まりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。どうも星野です。

塾のほうも春期講習開始となり、春休みという名の延長戦が幕を開けました。

今回は春休みのうちにすべきこととして、先生方に対するメッセージ(私自身が初任の時にしたかったこと、今したいこと)と生徒の皆さんに向けたメッセージを書き綴っていくつもりです。

11本プロジェクト進行中。このままいけるところまで続ける予定です。サポートも随時受け付けておりますので、気に入ってくださった方は是非。

私の定期代になるので……悪用はしないので……

 

まず教師がしておくべきことについて。

どの学年を受け持つかにもよるとは思うのですが、一年間の計画をこの段階で立ててしまうのがいちばん効率的です。

4月に入ってから急に「年間計画よろしく」と言われて混乱した経験があるので、教材はどんなものを使うか、どんな進行にするかをざっくり決めておくといいでしょう。

その間に板書計画や授業計画を立て、とりあえず夏休み前までどんなことを学ばせるか決定してしまうと、指導に一貫性・テーマ性が出て生徒も学習効果が上がります。

教師側に教えるためのノウハウや知識・教養がないのもまずいので、読書や研究活動などをコンスタントに続けていくのも必要です。

国語を例にとると、古典文法・漢文法をおさらいしておけばよかったなあ……と反省しています(そして今もう一度勉強しなおしています)

そのほかにも教科横断・新たな評価体系など、おさえておくべき時事問題や、他教科他分野の教養も身につけておくべきだと思っているので、教員採用試験の問題を解きなおしたり、ハウ物館や美術館、科学館、文学館に足を運んだりするのも大切です。

教師も駿台のサイトに出ている国公立大の過去問題を演習して、「こうやって問題を作るのか」とか「この題材文面白いな、原典を読もう」とか考えながら設問分析や読書に繋げていけるといいですね。おすすめは京都大学です。問題の流れがとても整然としていて、ひとつ解けると他も連動している、という仕組みになっています。

年間計画も手書き・紙ベースでざっくりとしたものを作って、入力するだけにしておくのが吉。

そうそう、入力と言えば座席表や成績管理表、テストの解答用紙ひな型なども作成しておけばよかった、と今になって思います。

テスト作成には時間がかかるので、今のうちから記述などのマス目の様式を作ってしまうのもアリです。

参考までに私のテストの解答用紙ひな型を載せておきます。

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スクショです

古典なのですが、ポイントは解答用紙に傍線部の語句が入っていること。

これで読み間違いがぐんと減りましたし、万が一本文とズレがあっても(無いのがいちばんですが)「こっちに合わせて!」と指示しやすくなります。

座席表に関してはロマネスコ先生のこちらの記事、解答用紙については八神先生のこちらのツイートを参考にしました。併せて活用してみてください。

 

note.com

 

続いて生徒の皆さんにやっておいてほしいことを書いていきます。

基本的には学校の教科書や、塾に通っている方は塾の問題集でもよいです、前の一年で学習した範囲の総復習をしておくことをおすすめします。

意外と使えるのが学校の定期テストや模試の問題。これを解きなおすだけでもだいぶ力がつきます。

学校や塾の学習は基本的に積み上げ式です。前の学年の内容がおさえられていなければ、次に進んでもつまずいてしまいます。

今のうちから苦手なところを洗い出して、徹底的に補強しておくこと。これが大事です。

苦手な範囲は学校の先生や塾の先生にどんどん質問して解決しましょう。その時に必要なのが「メモを取ること」「自分の言葉で説明できるようになること」です。

どこがわからないから失点したのか分析し、質問したら「どうやって解くのか」「どこで判断するのか」といったポイントをメモしましょう。

ノートをきれいに取るだけが勉強ではありません、自分の頭で考えたことが自分の言葉で再生され、正しい解答に導けるようになるまで聞く→書く→演習、を繰り返すのがベストです。

問題集は変える余裕があれば総復習系のものをおすすめします、ただ相性があるので自分の目で必ず確かめてください。

判断基準は「自分の実力の範囲内で解ける」こと、「無理のない量である」こと、です。

いろいろな人のオススメを聞いてみるのも大切です。

あとはこの時期にしかできない、研究活動のようなものもしてみると大学入学後に差がつきます。

毎日新聞を読んでスクラップを作る、本を読んで要約する……時間がある今のうちにできる、興味のあることをとことん追究する活動をするのも楽しいですよ。

ちなみに私の高校時代の勉強ノートの写真を載せておきます。苦手だった数学のものです。

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私の数学のノート

コメントがやたらとついているのは、コメントがないと何の工程をやったのかわからないからです。板書にはなかったけれど、自分で書きました。

こういうことができるようになると、勉強もよくわかるようになると思います。

 

この文章が何かのお役に立てば幸いです。それでは、また。

 

ハンドメイドをはじめるひとへ【note・ブログ共通記事】


今日が残り30分だと知った瞬間に書き始めました。阿呆の所業。どうも星野です。
今回は私の洋裁についての簡単なレシピを紹介しようと思います。
ハンドメイド初心者さん、家庭科が苦手な生徒さんに届くといいな。
「よかった」と思ってくださったらサポートをお願いします。私の通勤定期題になります。

まず洋裁の基礎から。私は手縫いもミシンも両方やりますが、始めたころは手縫いでした。その方が修正がききやすいからです。
手縫いで並縫い・返し縫いをゆっくりでいいからまっすぐ等間隔にできるようになればOKです。
チャコペンとかでまっすぐ線を引いて、その上に縫うイメージ。もう型紙が印刷されている縫製キットを買うのもありです。
私は自宅に眠っていた手縫いのくまちゃんをつくるところから始めました。
その後ミシンに入ったのですが、大きなものをやるよりは小さなもの、たとえばシュシュとか巾着とかから作り始めるのがお手軽で楽しいです。
布の選び方は「丈夫さ」「裏地をはるかどうか」「色と価格」で選んでいます。シュシュくらいだったら裏地もなくて大丈夫なので、やってみるといいと思います。
私が見ているレシピはこちら。

基本のシュシュの作り方(Aタイプ) | 【ココリボン】 ヘアゴム・ヘアアクセサリー・リボンの作り方


ミシンもまっすぐ縫うことを大事にしましょう、そうじゃないとかなり見栄えが悪いです。そしてミシンで失敗するとほどくのが大変なので、ゆっくりの速度で縫うといいでしょう。
私は篠原ともえの「ザ・ワンピース」という本でおようふくの作り方を学びました。これはオススメです。基礎さえしっかりできれば、簡単にうまく作れます。
主に私はドール服など小さいものを縫うことが多いですが、細かいぶんちょっと袖の接合や襟の調整が大変。
でも基本的に大人や子どもの服を小さくしたものなので、型紙も人間用を縮小するイメージで大丈夫です。
リメイクなどもやってみると意外にうまくいくので、私のレシピを公開します。

作ったのはこのポシェット。スカートをリメイクしたものです。
まずはチャックを外して、横を閉じる。
続いて裾を少しだけ切って、肩掛けにする。これは普通にミシンでまっすぐ縫えば作れます。
切った裾を中表(表面が中になるようにすることです)にして、下をまっすぐ縫う。
このときミシンで返し縫いを忘れずに。
最後に肩紐部分をサイドに縫い付ける(これも返し縫いをしっかりと)ことで完成!
完成品がこちら。2時間くらいで完成しました。

 

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完成したポシェット






もっと上手になるために、これからもがんばって作ろうと思います。
短いですがこのあたりで。それでは、また。

わたしだけの「おみせ」【note・ブログ共通記事】

書こうと思ったネタが混線して、自分で訳が分からなくなっています。どうも星野です。

教育のこと、趣味のこと、いろいろ語りたい。この降って湧いた長期休みにしかできないことを書こうと思います。

11本執筆企画も進行中。よろしければサポートをお願いします。

今回のテーマは「私のお店」。実は私、お店を持っているんですよ。嘘じゃないです。

 

どういうことかと申しますと、ハンドメイド作品を製作して販売しているのです。

サイトはこちら。 https://minne.com/@hoshino-momo

屋号は「桃の花園」。星野「桃」太郎の、お花をモチーフにした作品集、ということで名付けました。

そもそも何でハンドメイドを始めたか、というお話についてはこちらの過去記事をご参照ください。

https://note.com/hoshino1616/n/n8d170129ffa0

 

自分の頭で考えてなにかひとつの作品をうみだすということは、かなりの労働です。

デザイン図を考えて、お金を払って資材を集めて、実際に何時間もかけて製作して……。

うまくいかないことなんてザラです。私もこの間製作した、生花を使った作品が一か月ともたずにダメになっていて悲しくなりました。

私はまだまだビギナーですが、これは趣味の延長でお金を取れるレベルになるには相当な時間がかかるのだろうなと体感的に知りました。

この業界は全然甘くないです。オリジナリティも求められますし、何より売れるまでの下積みがめちゃくちゃ長い。ヒットを出すまでにとんでもない時間と努力が必要なのです。

そこでめげないというか、折れないというか、「じゃあ次はこうしてみよう」「こうやってやったらうまくいくかな」と考えて次へ次へと進んでいくことができれば、ハンドメイドだけでなく大抵のことは続きます。最近の生徒を見ていると、試行錯誤すること・探究することを厭う傾向があり、失敗することが怖いのかなとかいろいろ考えていたのですが、おそらくはそれが「面倒くさい」ことだからやらないのだろうなあと思い至るようになりました。

大半の生徒は新しい課題を出すと、やる前から「めんどくさい」「やりたくない」と言います。しかしどこかでスイッチが入って「これ、面白いかも」と気付くと途端に食いつきがよくなります。

それと同じで、ハンドメイドに限らず何でも「面白がることができるかどうか」でその道を究められるかどうかが決まると思います。

私は別に学問だけに集中すればよい、と考えているわけではありません。部活なり、ゲームなり、なんでもいいから自分自身で「やりたい」と思えることを見つけられたら、それだけでじゅうぶん強みになるので、それを使って社会と関わっていくことができれば……というスタンスです。

私の場合は、それがたまたま勉強することと手芸や洋裁だったというだけで。何を選択するかはその人の自由です。

ただ、自分が何に向いているかはやってみないと分からないので、ぜひともチャレンジだけはしてほしいです。

やらずに後悔するよりやって後悔したほうがいいと思うので。それで何かの道が開ければラッキー、ダメでも「これは近づかないようにしよう」という学習になるだけなので損はしませんから。

直近の作品画像などもあげていきますので、よろしければサイトを覗いて、気に入った花をお迎えしてあげてください。

来年度から週に20コマ授業をするので、今よりも更新が遅くなってしまうかとは思いますが、「私のお店」をどうぞごひいきに。

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最近の作品

それでは、また。

aikoちゃんが好きすぎる【note・ブログ共通記事】

この時間帯になって書き始めるの良くない。日付変更線とのデッドヒートです。どうも星野です。

今回は「音楽」について、そのに、私の愛するシンガー・aikoちゃんについて書きたいと思います。

例によって例のごとくサポートも受け付けておりますので皆様なにとぞ……

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今から10年以上前はボブカットだったaikoちゃん

 

私がaikoちゃんに出会ったのは忘れもしない高校時代。

何かで書いたかもしれませんが、友人が貸してくれたアルバムの中に「まとめ Ⅰ」が入っていて、最初の楽曲「milk」を聴いた瞬間、もう雷に打たれたというか恋に落ちたというか、胸を撃ち抜かれたわけです。

大学生、社会人になってお金を自由に使えるようになってからはライブに行きまくり、Love Like Rock vol.9もしっかり堪能してまいりました。

そんなaikoちゃんのことをいろいろな側面から考察してみるのが今回の試みです。

 

aikoちゃんは恋にまつわる楽曲が多いです。多いどころかもうほぼ恋愛の曲。

失恋だったり恋の始まりだったり、様々な場面を描いているのですが、特筆すべきはその歌詞の「妙な言い回し」。

例えばこんな歌詞があります。

 

「唇はカメラの様にまばたきをした」

(恋のスーパーボール)

 

最初聴いたとき、「ん?」と思いました。初めて読んだ方も頭にハテナが浮かんでいるでしょう。

状況を考えてみると、恋している相手の「あなた」を見つめた瞬間に時が止まって、息すらもできないような状態になることを指しているのだと私は解釈しました。

解釈については別の記事などでも触れていますが、ある一定の枠組みがあってその中に落とし込む必要がある場合と、今回のように自分の解釈をどこまで純度を高められるかという場合と、いろいろあるかとは思います。多様性をぶつけ合わせることでしか見えてこない歌詞の本当の姿もあると考えていますので、この点については異論があればコメントにてどうぞ。

「カメラ」という「まばたき」を本来しないものが、「シャッターを切る」感じでまばたきをするのだと考えるとすごく彼女の持つ詞のセンスに圧倒されます。

こういう何気ない普段の様子を歌詞で切り取る際に、紋切り型の陳腐な言い回しはしないところにaikoちゃんのプライドも感じられて大変カッコ良いと思います。

ライブではファンサービスの鬼なので、やたらと会場の声を拾っておしゃべりしてくれるし、最近何があったよ~みたいな笑える雑談ばっかり(あとたまに下ネタを)かましてくるので講談でも聴きに来たのかと錯覚するレベルです。講談師ですらここまでファンの声をその場で取り上げないと思います。

aikoちゃんはその恋愛の曲の多さから女性ファンが多いのかと思いきや、男性のファンもしっかりいるのでライブの男女比はほぼイーブン。カップルやご夫婦、ご家族でいらっしゃることもしばしばあるそうです。

毎回の「男子! 女子! どっちでもない! メガネ! 裸眼! コンタクト!(後略)」のコールアンドレスポンスも非常に楽しいです。マイノリティにも配慮するaikoちゃんの包容力よ……

 

そんなaikoちゃんと同世代の女性シンガーに椎名林檎様がいます。

私は林檎様も聴くので、どちらが優れているとかは言いたくないし甲乙つけがたいのですが、林檎様との比較、ということで今回は論を進めていきます。

 

林檎様も歌詞が独特ですよね。

 

「あなたはすぐにいじけて見せたがる

あたしは何時も其れを喜ぶの

だってカートみたいだから あたしがコートニーじゃない

Don't you θink? I B wiθ U

(ギプス)

 

これは林檎様の博学さが顕著に表れた例かと思います。海外のシンガーも歌詞に取り入れるとは。

林檎様の詞は、とにかく「本家のネタが分かると面白い」教養を感じさせるタイプ。

それに対してaikoちゃんの詞はどこまでも「ありふれたものを変える」ことに特化しています。

文学の用語でaikoちゃんのパターンは「異化」というのですが、それがよく表れたのが先ほどの「恋のスーパーボール」であり、以下に引用する歌詞だと思います。

 

「夏の星座にぶら下がって 上から花火を見下ろして」

(花火)

 

「思い出の中くっついてたシールが剥がれたよ

最後まで繋いでいたのよ 離れるなんて知らなくて」

(宇宙で息をして)

 

最も歌詞の中で対照的だな、と思ったのはこのふたつです。

 

「あたしは絶対 貴方の前じゃさめざめ泣いたりしないでしょ

これはつまり常に自分が アナーキーな貴方に似合うため」

(ここでキスして。/椎名林檎)

 

「あなたを好きで心底愛して こんなに切ないものなんだって

声を殺して泣きました」

(愛の病/aiko)

 

この対応の差ですよ。絶対に泣かない椎名林檎様と泣いちゃうaikoちゃん。どっちも素敵だし、おとめのこころを持つ者(男性でも女性でもどちらでもなくても)ならきっと「うわ~~~~両方わかる~~~~(頭抱え)」になると思うんです。(※独断と偏見です)

どちらも相手を愛していて、恋する甘酸っぱさやちょっとした毒っぽさを感じさせる歌詞の妙味を味わえます。

林檎様は絶対に「貴方」の前では泣かない。強く気高く……といった感じでしょうか。

いっぽうaikoちゃんは「あなた」を想って泣いてしまうのです。儚げカワイイ。

どちらも相手に依存しすぎていて恋愛依存体質だからどっちもどっち、と言われればそれまでですし、実際どっちもどっちなのでしょうが、それをロマンに高めるお二人の才能に賞賛を贈るべきだと私は思います。

どちらか取るなら私はaikoちゃん。堂々とメンヘラしていたいから。

 

誰かを愛することは、時に涙をこらえなくてはならないこともあるけれど、思いっきり泣きたい時は泣いて、そして恋がどんな結末を迎えたとしてもそのあと笑顔で相手と接していけばいいんだろうなと考えるきっかけになった歌詞でした。

 

aikoちゃんはいつもライブでファンのことを気にかけてくれます。

「苦しいこと、つらいこと、いろいろあると思うねんけど、今日は忘れてってね」

その言葉が嬉しくて、また彼女のライブに足を運ぶ自分がいると思います。

この騒ぎがおさまったら、また会いに行こう。

現在aikoちゃんも林檎様もサブスクリプション配信が始まっているのでSpotifyapple musicなどで聴いてみてください(ダイマ)

それでは、また。

「ブダペスト展」 レポ【note・ブログ共通記事】

毎日書き続けている時にだけ見えてくる景色がある……わかるよ(刀剣乱舞より豊前江のセリフを引用しました)

どうも、やることが無くて半分昼夜逆転になりつつある星野です。今回は現在展示が中止となってしまっている「ブダペスト展」のレポを書いていきます。

これもnote・ブログ両方に記事がありますので、お好きな方でお読み頂ければ。

noteで気に入って頂けましたら、サポートをお願いします。もう10円とかそのへんでいいです。本当に今月仕事が無いんです……コロナめ……。

会期は316日まで、もしかしたら変動があるかもしれないので公式Twitter @NACT_PR を確認してください。

休館日は毎週火曜、10時~18時開館、毎週金曜日と土曜日は夜間開館日のため20時まで開いています。

今回はフォトスポットが無かったのですが、展示そのものは特大ボリュームなので時間に気を付けていってらっしゃいませ。

 

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入り口の様子

 

まずは背景知識として、このハンガリーという国の成り立ちから紹介していきます。

長くオスマン帝国・ハプスブルグ家・トランシルヴァニア3国に支配されていたこの土地に、実は西洋の美術品の粋を集めた美術館があるのです。

それがブダペスト国立西洋美術館。そこに所蔵された、エジプト・ギリシャから現代アートまで2000年間の24万点におよぶものから代表的なものを展示、というからすごいです。

今回はハンガリー・ナショナル・ギャラリーも協賛として参加しています。

やっぱりこの地方なので2019年に日本との国交樹立150年なのですね……わたくし、やたらとこの時代の美術には詳しくなれた1年を過ごしております。

 

最初はドイツ・ネーデルランドの芸術。見どころはやはりクラーナハ()の風刺画でしょう。

不釣り合いなカップル、と題された2作品は、愛情とは何か、若さと欲、というものをニヒルに描いています。

結構最初からぶっ飛んだの選ぶなあ、と思ったのもつかの間、イタリア宗教画のコーナーへ。

 

油彩からペン画まで、ありとあらゆる作品が並ぶエリアには、聖母子像が所狭しと展示されていました。

何よりティツィアーノの聖母子像が見られるのは大きいです、これだけでも来た価値はある。

宗教性・思想性が良く出ているので、なんとなくですが文学における「解釈」の違い、みたいなものにも目が向きます。

というのも、同じ主題でも全く構図や与える印象が異なるので、宗教という「大きな物語」が持っていた解釈の多様性を感じずにはいられませんでした。

キリスト教になじみのない私たち日本人にはそう見えるだけ、という話なのかもしれませんが。

ただ、神々しいものの背後には必ず後光が差すのは万国共通だなと思いました。

 

続いてオランダ17世紀、黄金時代の絵画へ。

教訓的主題を日常性のなかに溶け込ませた逸品が揃っています。次の1619世紀スペイン絵画と比較すると、オランダがどこかぼやっとしているのに対しスペインは戯画的。

魔除けにアナグマの手を使う、という謎知識を得たところで、はじめて私はゴヤの絵画と邂逅しました。

写真で見ていたのよりもずっと、描かれている人物の内面描写をするタイプの画家だったようで、なんとなく描かれた人物の性格を想像できてしまうところがすごいと感じました。

 

続いてイタリア・オランダの、特に静物画のコーナーへ。

一目ぼれした作品がありまして、それがno.39「果物、魚介、高価な食器のある静物」というやつです。もう一瞬で惹きこまれました。めちゃくちゃゴシックで素敵。

風景画と合体した絵画や、犬がじゃれついてきてしまったがゆえに少年が持っていたバスケットから果物が落ちている絵画などもあり、まだ静物と人物画その他との区別が明確についていないのかなあと思っておりました。

そういう区別は後付けのものなのかもしれない、とも感じます。

 

続いて1718世紀の風景画へ。ちょうど産業革命が起こり都市化が進んでいくなかで、自然と都市開発が融合したような絵画が多く見受けられました。

古代ローマの遺物なども絵画に残っており、そういうオリエンタリスムも感じられた時代だったのだろうと推察されます。

ゴシック教会の絵画が、どこかダークで、でも荘厳で、とても気に入りました。

総じてこの展覧会はヒットが多かった気がします。

 

続いて彫刻のコーナー。水晶で出来たものや、板に凹凸を付けたものも彫刻、としていて、やっぱり懐が深いというかなんというか……芸術の世界は奥が深い。

何となくですが、日本の仏像が柔らかいイメージなのに対し、西洋のブロンズ像はやはりカタイですね。材質の違いということもあるでしょうが、雰囲気もまるで違うので驚きました。

欠伸をする人の彫刻もあって、ちょっと笑ってしまいました。

 

ここでハンガリーを代表する画家3名にスポットが当たります。

ヤカブ、ダーニエル、そしてアーダーム。それぞれ質感にこだわったリアルな絵画、輪郭のはっきりした絵画、小物の描写が細かい画家、という感じ。

アーダームはトランシルヴァニアで活躍していたそうで、そこの風土や文化の影響もあるとは思いますが、もっと影響を与えていたのは「ウィーンの芸術文化」だと思いました。

1920世紀のハンガリー絵画になるとそれは顕著に表れ、印象派自然派といった主な絵画の潮流に、ウィーン独特の芸術感覚が入り込んだ見ごたえのある作品が多く生まれます。

No.70no.72は個人的お気に入りで、当時の「ビーダーマイヤー」をよく表していると感じました。

 

次のレアリスムのコーナーは、思いがけずルノワールの絵画に出会えたり、新たな推し・ミハーィに出会ったりと長居してしまったエリアとなりました。

ルノワールは他の同時代の作品と比べてみても圧倒的に「違う」ということが強調される展示の配置だったなあと思います。

あのぼんやりしているのに明確に見える輪郭線などは、見ているとうっとりしてしまいますね。

ミハーィは人物や風景を独特のリアリティ(現実にあり得るか、ということではなく、ミハーィのなかで整合性が取れているという意味です)がありました。とってもゴージャス。

個人的にはカーロィの描くドレスがヴィンテージ風でとても好ましかったです。私も着たい。

そして今回の目玉作品「紫のドレスの婦人」シニェイ・メルシェ・パール作とご対面。

色や輪郭がはっきりしていてとてもパンチが効いているのですが、特に「ヒバリ」という作品は、当時評価されなかったそうです。というのも、絵画にストーリー性が無かったため、といわれています。

ここで「芸術とは何だろう」と考えることになるわけですが、私個人としては「誰かが感動したなら芸術である」というスタンスなので(これも現代の思想なのかもしれませんが)パールが評価されなかったのは、おそらく時代を先取りしていたからなのかな、と思っています。

また、この時期から戸外制作も盛んになり、あのドビーニーの作品にも触れることができました。ユーモラスであたたかな絵画がいっぱいです。

ミハーィは埃っぽい道すらも美しく描くからすごい。推せる。

そこから客観性を重視した自然派に潮流が移っていきますが、風景画もクリアになったぶん社会の暗部にも目を向けた作品が多くなります。

孤児や貧民など、名もなき人々は何を祈ったのだろうかと、想像が膨らみます。

世紀末に入ってくると、少しずつ社会の不安感から「寓意・象徴・神話」がテーマの作品が多くなります。

こう見てくるとすごく世界史の勉強にもなっていいなあと。(私は高校時代日本史を選択しました)

個人的本展覧会の真の目玉作品はコレだ大賞は、no.112「黄金時代」です。クリムトなどが推進した分離派の影響を受け、寓意・調和・メッセージ性といったものが強調された作品です。

画面の色や構図の統一感が素晴らしい。美とはおそらくこういうのを指して言うのだ……と思いました。

最後のほうになってくるとだんだん抽象化・平面化が進み、ゴーギャンなどの影響がみられてきます。

ココシュカなどに代表される大胆な構図や色づかいに目を奪われます。

最後は現代アートなのですが、「社会変革のための芸術」という前衛的な作品が並んでおり、改めて「芸術とは何だろうなあ」と答えのない問いを突き付けられた気がします。

 

芸術は観る人・描く人の二者の対立ではなく、あくまでもその場や社会的な空間というのもあるのではないか、と思いながら展覧会を後にしました。

出来ればもう一度見に行きたいです。

それでは、また。