ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

ゴールデンボンバーを真面目に考察するとこうなる【note・ブログ共通記事】

春眠どころかいつの季節の眠りでも暁を覚えず。昨日は18時間、今日は15時間寝ました。どうも星野です。

今回のテーマは「音楽」。とあるアーティストの楽曲から考えたことを書き連ねていこうと思います。

ブログ・noteに似たような記事を残してありますので、併せてお読み頂ければと。

1日1本チャレンジ継続中ですので、「いいな」と思って頂ければサポートをお願いします。

真面目に定期が買えない。

https://note.com/hoshino1616

 

音楽には興味がない、という方ももちろんいらっしゃると思います。それでも彼らの名前くらいは聞いたことがあるでしょう。

ゴールデンボンバー」。唯一無二のヴィジュアル系エアーバンド。

そもそも彼らは何者なのか。

 

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現在の姿と10年前の姿

 

2004年にボーカル鬼龍院翔とギター喜矢武豊を中心に結成。

結成当初は楽器を演奏していたが、喜矢武豊の演奏があまりに下手だったという事と、耳だけでなく「目」でも楽しめる音楽を追求した結果、

パフォーマンスを取り入れた現在のエアーバンドという形となった。

エアーバンドの為、基本的にボーカル以外のメンバーは、楽曲に合わせ楽器を演奏する「フリ」をしている。

その代わりにライブではメンバーによる様々なパフォーマンス(ダンス等も含む)を行っており、そのパフォーマンスが魅力の一つでもある。

キャッチコピーは「うまい、早い、安い」。

2010年にメジャーレーベル7社からメジャーデビューのオファーを受けたが全て断っている。そのため、現在でもメジャーレーベルと契約をしていないいわゆるインディーズである。

バンドコンセプトは「ハイパー・ギガ・ハイブリッド・スーパー・サブカル・ハイパー・スーパー・ビジュアル・ロック」。

音源楽曲の演奏は、主に「中の人」とされるeversetのギタリスト・tatsuoである。

使用しているロゴはフジテレビの『ゴールデン洋画劇場』のロゴと酷似しており、鬼龍院自身もブログで言及している。

メンバー4人全員が各々個性的なパフォーマンスをライブ・テレビに問わず披露しており、奇をてらった発言(音楽に興味がない/演奏できない)をしている、

稀にライブで実際に楽器を演奏することもあるが腕前は壊滅的で学園祭レベル以下と本人たちも語っているほど下手である。

 

貼り付け元  <http://pc.goldenbomber.jp/>

(公式サイトより引用、この公式サイトも良く見るとどこかで見たことがある、いわゆるパクリになっています)

「音楽性がボーカルの鬼龍院翔にしかない」とメンバーに言わしめるほどに戦力の偏ったこのバンドは、ライブでかき氷・スイカの早食いをやったり人間書初めをやったりと本当にやりたい放題です。ボーカルの鬼龍院翔氏を除く喜矢武豊氏、歌広場淳氏、樽美酒研二氏は楽器が弾けないので、弾いているふり(それすら放棄する)。ただとてもファン想いであり、最初の収入はライブの最後に発射する銀テープにしたという伝説も残っています。元号の変更に伴い、1時間以内に作詞作曲・MV撮影をこなした楽曲「令和」は記憶に新しいです。47都道府県でライブを行い、果ては無人島でもライブを敢行。もうどこを目指しているのか私にはわからないです。

 

そんな彼らの楽曲は、大きく3パターンに分けられます。

①気弱な「僕」が調子に乗ったり騙されたりして女性関係で痛い目を見る(ギャグ調)

②純粋な失恋ソング(泣ける曲が多い)

③聴く者を奮起させたり涙を拭ったりしてくれるエールソング

※作詞作曲を担当している鬼龍院翔が苦手とするため英語はガバガバです

 

今回特にフィーチャーするのは③の曲です。代表的なものは「イヤホン」「101回目の呪い」「ドンマイ」「さらば」。

歌詞の中に頻繁に出てくるのは、「詞の語り手(鬼龍院翔とニアリーイコールの存在)がとても弱いこと」「相手をなんとか励まそうとしていること」ですが、ここに私はメタメッセージとして「語り手のことも語り手自身が無意識的に同時に励ましていること」を読み取りました。

例として「101回目の呪い」をみてみましょう。

 

生きられぬと嘆く君を救えなくて

差し伸べる手は何も掴めず

死のうとした過去を棚に上げこの世の

生きる価値どう伝えればいい

 

(部分抜粋)

 

どこか歪で、方法は間違っているのかもしれないけれど、献身的に、あたたかく「君」を見守り、「生きてほしい」ということを繰り返し伝えています。

ここで注目したいのは「死のうとした過去を棚に上げ」という部分。歌詞を書いている時点で自身も死を覚悟したことがあると、直接的に明かしています。

それでも「君」には生きてほしい、自分のことを棚に上げてでも、聴いている誰かのために「生きてほしい」とメッセージを伝えてくれるところに私はとても感動しました。

歌詞は全体的に(ひと昔前の)セカイ系を踏襲したような「君と僕vs理不尽な世界」の構図を保っていますが、セカイ系の作品がその作品内で完結するのに対し、作詞者が成長していることが少しずつですが分かってくるのが、彼らの音楽のすごいところです。少しずつ「鬼龍院翔」という存在のメンタルが強くなるところに、週刊少年ジャンプ的なロマンを感じます(私だけでしょうか……)。

それでも鬼龍院翔氏の書く作品は決して暗かったり生きろ生きろと押し付けがましかったりすることは全くなく、基本的にはギャグ調で、歌詞も「自転車盗まれた 慣れたよ(Dance my Genaration)」「年金痛い税金痛いローン痛い(首が痛い)」などと生活感に溢れています。そういう飾り気のないところがファンにもウケるのだろうと私は思っています。

 

「文学は飢えた子供を救うのか」という、哲学者サルトルが提示した問題があります。私はこれに対し、ゴールデンボンバーの楽曲がひとつの答えを提示すると思っています。つまり「明日を生きる勇気が出る」ということです。直接はお腹を満たせないけれど、何をしてでも生きることにすがりつくだけの度胸というかやる気というか、そういうエネルギーは貰えると思うのです。そのエネルギーがあればなんとかなるのです。

 

こんな「私」でも応援してくれる「味方」がいるのだ、と思えれば、明日を生きるハードルは下がる。

そういうことを知っている人にしか書けない世界を表現するゴールデンボンバー、今後も要チェックです。

 

次回は「ブダペスト展」のレポを書きますので、そちらもよろしければ是非。

それでは、また。

欲しがります負けたって【ブログ限定記事】

お題「ちょっとした贅沢」

 

予定が何もかも消え去ってしまい、おまけにすることが限られているので毎日noteとブログを交互に(共通記事のときは同時に)更新しようと決めました、どうも星野です。こんな状況になってしまったのは誰も悪くないのですが、絶対に許さない。

 

さて、今回のお題は「ちょっとした贅沢」。私の人生のテーマソングは東京事変の「キラーチューン」であり、「贅沢は味方 もっと 欲しがります負けたって 勝ったってこの感度は揺るがないの 貧しさこそが敵」というイントロに私の伝えたいメッセージがすべてが集約されていると思うのですが、少し具体的に話をしていきます。

 

私の趣味は多種多様でして、アニメも観れば映画もマンガもゲームもそれなりに詳しく、かと思えば美術館を巡ったりハンドメイドをしたり読書に耽ったり、本当に何でもやります。多芸多趣味を究めたいと思っているところなのですが、どうしてそんなに金のかかることをするかというと、ひとつのことに集中すると「イライラする」からなのです。ひとつのことにこだわると、それで失敗したとき他でストレスを発散することができません。ひとつしかないのですから。例えば私はゲームをやっているときに、完璧主義をこじらせて「フルコンボが取れなきゃ意味がない」とか「上位ランクに食い込めなきゃ意味がない」という感じで、己を過剰に追い詰めます。そういう場合はメンタルの調子が悪い証拠なので、さっさとゲームをやめて別の趣味に走ります。本を読むとか、授業の研究をするとか。何か他に気分転換できるものが無くなってしまうと、それだけでだいぶストレスを抱えてしまいます。だから「常に軸足多めに」、で生きています。

 

そんな私の最も金のかかる趣味、それは「おようふく集め」と「食事」です。

 

私は大学に入るまで自分の私服に頓着してきませんでした。何が似合うのか、何が好きなのか、全然自分でもわかりませんでした。けれど大学時代に出会ったブランドがきっかけで、クラシカルなものやガーリーなものが好きなのだと気付くことができ、以来そのブランドにお金を払っているのですが……年間総額は15万以上ですね。おそらく。でも後悔はしていません、なぜなら「コンテンツにお金を払うのはファンの務め」だからです(オタクの発想)。

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大好きなおようふくたち

好きなものは好きだと発信しないと、仮に大手の作品や商品であっても不況などで簡単に無くなります。今スマホのアプリでは数多のソーシャルゲームが毎日登場し、話題になっていますが、だいたい1年経ったらサービスが終了しています。ほんとうに。生き残っているのは重課金者がいるパターンが多いです。それはソシャゲに限った話ではなく、例えば私のやっているハンドメイドでも同じことが言えます。誰かに評価されたり、そもそも買ってもらえないとハンドメイド業界は成り立たなくなるので、廃業してしまうこともしばしば。現実はそんなに甘くありません。そういう「撤退」を避けるために、好きなブランドのおようふくにはお金をかけるのです。

 

私は特段美人だったり可愛い系の顔をしているわけではありません。けれど何を着ても自由だと思っています。似合う服を探すのも大事だけれど、それ以上にそのおようふくが似合うじぶんになる。そういうスタンスで生きています。

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最近食べた美味しかったもの

甘いものも好きなので、近所の喫茶店やお気に入りのカフェに入っては甘味を食すことも「お金のかかる趣味」のひとつです。けれどそれもすべては「撤退」「廃業」を避けるため。そしてじぶんがその経験や商品を糧にして生きていくため、すべては必要経費なのです。社会人だから積極的に経済を回すぞ! という、貧しくてもそういうことをする心意気だけは忘れずにいたいと思っています。

 

趣味は多い方が(お金はかかりますが)幸せに生きられる。そういう体験談でした。

それでは、また。

もう泣かせたりしない【ブログ限定記事】

今週のお題「大切な人へ」

 

世のバレンタイン商戦も落ち着いてきた頃にこんなことを書いています。どうも星野です。皆さんはどなたかにあげたり、どなたかからもらったりしたのでしょうか。私ですか? 後でお話しますよ……

 

皆さんにも大切なひとがいると思います。人間は誰かを愛し、誰かに愛されて生きていると信じているからです。親や友達、恋人。会ったことがない人、遠い存在の人でも愛することは可能です。愛の力は無限ですから、誰かのために、と思うとなんでもできそうな気がしますよね。今回のお題は「大切な人へ」、私信のようになってしまうかもしれませんが、ほんのしばらくお付き合いください、

 

私の大切な人は、ふたり。一人は高校時代からの親友Yちゃん。もうひとりは、まあ「彼」としておきましょう。

 

ふたりとも私が教師になりたくて大学に進学したこと、そしてその過程でうつと統合失調症を患ったことを知っています。深夜にもかかわらず励ましてくれたり電話してくれたり、たくさんの恩を感じています。欠けてしまったら私はきっと生きていけない、それくらいにいとおしく大切な存在です。彼らを悲しませるものは絶対に許さないし、彼らの味方であることをやめようとは思いません(さすがに悪事に手を出していたら止めますが)。

 

しかし私は、たった一度だけ、彼らを泣かせてしまったことがあります。

 

今の時期くらいだったかな、数年前の事です。

精神的に不安定で、何度か自殺未遂を繰り返していたときに、ぽつりと「いなくなったら悲しいから、もう二度とそんなことしないで」「死んだら地獄の果てまで追いかけてお説教するからね」と涙ながらに訴えられたのです。

私は別に自分が死んでもよかったのです。むしろその方がいいとさえ思っていたのです。しかしこの世界中でこのふたりだけが、私が生きていることを無条件に肯定してくれた。それがたまらなく嬉しくて、これ以上このひとたちに涙は流させたくないと誓いました。以来自殺未遂をすることもなく、希死念慮も薄まり、げんきに生活できていますが、それもひとえにこのふたりのおかげなのです。

 

Yちゃんも「彼」も、私と何もかもが違うけれど、なんだか居心地が良くて、離していると安心できます。誕生日やクリスマスにはプレゼントを交換し合うし、何かあればすぐ相談します。そういう、かけがえのない存在が私にもいてくれるというだけで、世界はモノクロからフルカラーへと変わりました。彼らとの思い出は過去を懐かしむためじゃなく、明日を生きる糧になってくれています。だから絶対に、「今までありがとう」は言わないのです。ずっとずっと、「これからもよろしくね」を言い続けるのです。死が私たちを分けたとしても、きっとどこかでまた会える気がしているから。

 

楽しいこと、苦しいこと、つらいこと、嬉しいこと。

全部分け合ってとっておきの笑い話にしていくのが、私たちの生き方です。

皆さんにもきっと、そういう「仲間」「愛しい人」がいるだろうし、これからできるだろうと思います。私は教師で、未来ある子どもたちの相手をしているのですが、そんな「大切な人」を見つけて生きていってほしいと思っています。

 

「愛してる」の響きだけで 強くなれる気がしたよ

 

とはスピッツの曲ですが、ある意味で真理を突いていると思います。

愛はひとをつよくする。

そう思ったバレンタインデーでした。

昔話はこれにて終了です、それでは、また。

 

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愛しい人との食事風景。アランチャもいとしいねこちゃんです

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今年のバレンタイン、もらったものとあげたもの

 

教壇に立ったその日から・番外編フィフス【note・ブログ共通記事】

いつにも増して働いている。どうも星野です。今回は高校生を惑わせている「新共通テスト」について、最近考えたことを述べたいと思い筆を執りました。

出典となる文献は雑誌「中央公論 20202月号」、文科省の最新の告知PDF(https://www.dnc.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00038188.pdf&n=%E4%BB%A4%E5%92%8C3%E5%B9%B4%E5%BA%A6%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E5%85%A5%E5%AD%A6%E8%80%85%E9%81%B8%E6%8A%9C%E3%81%AB%E4%BF%82%E3%82%8B%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E5%85%A5%E5%AD%A6%E5%85%B1%E9%80%9A%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88%E5%87%BA%E9%A1%8C%E6%95%99%E7%A7%91%E3%83%BB%E7%A7%91%E7%9B%AE%E3%81%AE%E5%87%BA%E9%A1%8C%E6%96%B9%E6%B3%95%E7%AD%89%EF%BC%88%E4%BB%A4%E5%92%8C2%E5%B9%B41%E6%9C%8829%E6%97%A5%E4%B8%80%E9%83%A8%E5%A4%89%E6%9B%B4%EF%BC%89.pdf)です。

遅ればせながら、以前話題になっていた「中央公論」を手に取る機会があり、129日に新しく告知された内容も検討しながらつらつらと書いていきます。

 

まず「中央公論」の総括から。

全体的に反対派のご意見が多かったですが、どの方も違った切り口から批判されていて勉強になりました。

「学力の三要素」だけで説明しきれるものが「将来求められる資質能力」ではないこと。

PDCAが回らないのは失敗を認めないでいるからだということ。

まかり間違っても受験生や保護者を振り回したり不安にさせたりしてはいけないはずなのに、そういった配慮がなく、「改革しないといけない」の一点張りで、本当にいいのか。

社会にはびこる反知性主義の恐ろしさを体感しました。考えることを放棄してしまう弊害は非常に大きいです。

 

なかでも特に苅谷剛彦先生のお話を興味深く拝読しました。

後発近代化、メリトクラシーの大衆化など……とにかく「改革ありき」というか、「(何の根拠もないままに)有用そうだから試す」からこんな迷走を繰り広げているのだということで、とても参考になりました。

日本が近代化するために追い付け追い越せで西洋を真似たのは歴史の事実でしょうが、そこと能力主義が結びついてしまったのが諸悪の根源なのではないかと。

厳然とした格差とコストパフォーマンスの板挟みになって教育がめちゃめちゃにされている現実からも、それは読み取れるでしょう。

新学習指導要領、高大接続、e-ポートフォリオ……トップダウンの改革で何かいいことがいままであったのだろうか……と考えてしまうほどに、教育界におけるエリート主義とは根深い問題なのだと感じました。

 

個人的にはセンター試験も完璧な問題を提供しているわけではないと思うので、のちのちブラッシュアップが必要になるでしょう。しかし国語で「実用文」を入れたのはちょっと違和感というか、正直いただけないなと感じました。

なぜなら内容が吟味されていないからです。要は、「試行テスト」のときのように出題者の意図を忖度することが目的になってしまう問題になるのではないかと危惧しているわけです。

国語に関して言えば、出題者・(本文そのものの)作者・解答者が関わって問題が作られて解かれるわけですが、誤解してはいけないのが「作者の気持ち」が問われることはほぼない、という点です。

それはあくまでも推測の域を出ないものであり、本文中に根拠がないことの方が多いです。だからそんなものは問うても仕方がないのです。

しかし「出題者の意図」は明確に表れます。たとえば京都大学の問題はほぼ記述です。これはおそらく「文章の要点を自分の言葉で説明できる学生を求めている」からだと考えられます。

(京都大学以外も有名難関校の半分くらいは記述を取り入れていますが、毛色がすべて違います。文章の正確な把握を求める学校、自分の意見を述べよと出題する学校など……)

その意味ではある意味「忖度」しているのです、出題者がどんな答えを要求しているのか考えることが求められているのですから。

しかしこれには、「試行テスト」の問題とは決定的な差異があります。

「試行テスト」の問題はもう問題文が(日本語が)読めれば答えがわかったり、逆に一意性がなかったりするのです。かなり質が悪いと言わざるを得ません。

思考力を問うはずが、ただの言葉遊びになってしまっていると言われても致し方ないと思います。

それならば現行のセンター試験の精度を上げて、二次試験でそれぞれの大学の特色に合わせた出題をすればいいと考えています。

 

しかし、です。今回令和3年に実施されるテストでは「実用文」の出題があると書かれています。それなのに試験時間は80分。どう考えても足りないです。

それだけでなく、これは選択(マーク)問題にしたのだとしても、また「思考力を測るはずがただ言語運用能力をみるためのものになっていた」というパターンになりかねません。

そもそも「実用文」を授業で扱うのは、悪くないと思うのです。私の勤務する高校は半分の生徒が就職しますから、そういった意味でも実用的な文章に触れておくことは必要だと考えます。

しかしテストで問うほどのものか……? と疑問を呈したくなるのです。進学を希望するような生徒の実態に合わない問題、あるいは言葉の綾で済まされてしまう問題が出されていいのかと。

一度でも作問していればわかるはずです、「こう訊いたらこんな答えが返ってくるだろうな」とか「こんな力をつけさせるためにこういう問題にするぞ」とか、いろいろな想いがあってテストは作られます。

それを「改革したから入れる」というだけの、後付けの理由で一点刻みの受験に持ち込んでいいのか。

実用文も含めて、基礎的な教養、社会に出るための知識を身につけてもらうのは必要ですが、それをすべて学校や塾に委託するのか。(家庭で、地域コミュニティで教えるということはないのか、ということです)

反知性主義のくせに、学校には何でも押し付けてくるあたりが私はどうも気にくわないのです。

それに加えて、受験しない生徒(受験できない生徒)も確実にいて、そういう子たちは経済状況や障がいなどがあるのでしょうが、そういう生徒たちは高度な教育を受ける権利すら得られないのか、ということもあります。

有名な大学に入っても何のために勉強したのかわからないという学生と、自分でお金を貯めて将来大学に入りなおしたいと考える高卒の社会人だったら、どちらに「主体性」があるのかは明白でしょう。

教育の在り方が問い直されているいま、課題は山積していますが、現場はこぼれ落ちる生徒が少なくなるよう必死に動いています。

教えることが変わっても、信念を貫こうという先生方もいらっしゃいます。

そういう現場の声を聞いてほしい、反映させてほしいという願いを込めて、ここで終わりたいと思います。

それでは、また。

教壇に立ったその日から・番外編フォース【note・ブログ共通記事】

最近安定して眠ることができています。どうも星野です。異例となる今月3回目の更新。

今回は少しTwitterで話題になった「学級運営」の話をしたいと思います。

事の発端は、怪しげなセミナーに感化されないで……という注意喚起。

そこから「小学校教諭に求められる専門性」と「高等学校教諭に求められる専門性」の差についておはなししていらっしゃる方がいたので、大学生活を教育実習(小・中)に費やした私から何か発信できることはないかと思い、執筆に至りました。

 

正直な話、高校の先生と小学校の先生では大違いです。

対象とする子どもの学齢、発達段階、ニーズ、規模……両者がまったく違う環境にいるのは確かです。

しかし初等の免許も取った私から(控えめに)申し上げますと、高校の先生にもある程度の知識は必要だと思います。小学校で何を学んでいるのか、どのように児童生徒および保護者に接するのがベターか、等々。教科の専門性だけでなく、学級運営のテクニックも知っていれば、うまく立ち回れる場面は多いと感じています。

実際のところ私は机間指導などで生徒に接する際に初等の実習で得た経験(タスクを複数用意して手持無沙汰の生徒を出さないことや、書いたり繰り返し表現を変えたりして指示を明確に伝えること、間違いは正しても意見を否定しないことなど)をもとに話をしていますし、他の先生方もこまめに生徒の家庭に連絡を取って不登校予防に努めています。

他にも私の勤務する学校では、生徒間の学力格差の問題や、心身の様々な困難(軽度の障がいやメンタルヘルス)に関する問題がかなり大きいため、初等教育の免許取得のために学んだ児童生徒理解の方法や学習の理論、発達、教育心理学などが役に立っています。

高校生にもなればある程度難しい話をしても理解してくれますし、いきなり喧嘩を始めるようなことはありませんが、それでも授業中に教室の前と後ろで大声で会話することはままあります。そういうときにうまく「叱る」ことができるかどうかで授業の質も変わるでしょう。

私はいまだそれらが完璧にできているわけではありません。しかし「知っている」から「どうしたらいいのか」がわかります。

 

例えば今日こんなことがありました。

ある生徒が「席替えをしたい」と言い出し、席順をくじ引きで決定することにしたのですが、やっぱり浮ついた気持ちになりやすいので、席替えの後にちょっと雑談できるクールダウンの時間を取りました。それと、会話の苦手な生徒や学級内派閥の問題を考慮し、グループワークなどは自発的に起こるのを待ちました。その結果、なんとかいつも通りの(むしろ発言をよくするようになったので普段よりもよいかもしれない)授業を展開できました。視力の弱い生徒、教室の席配置なども考慮していったのもよかったのかもしれません。なんにせよ、最大公約数の幸福は実現されたのではないかと思っています。

こういう生徒の言うことを「何でも聞くわけじゃない、しかし意思は尊重する」先生であることを実現するために、初等の知識は活かせるのです。だから個人的には教職志望者は初等の知識も頭に入れた方がいいと思うのですが、負担などを考えると公的に実現は不可能そうなので、勉強会に参加したりボランティアなどで補うのがよいと考えます。私も小学校13年生の学習指導教室でフィールド研究をやりました。

これは私の場合でしかなく、主観的であり、個人の経験知(大学の授業や学会・研究会参加、授業参観、フィールドワーク、信頼のおける書籍で得た知識)の話なので、万人に当てはまるわけではないことは重々承知の上です。それでも私は初等教育中等教育が分断されていいとは思わないので、初等専攻のひとも中等専攻のひともお互いに情報共有しあいましょう、と提案したいのです。

そして最終的には、自分で実践しないと身につかないし意味がないのです。私の方法も、たまたま目の前の生徒の特質を私なりに解釈したのが当たっていたというだけで、毎回同じ結果になるはずがありません。それでも、私にとっては今日の席替えが「自分でやってみることに意味があるのだ」と強く感じるきっかけになりました。

 

この時助けてくれた他クラスの先生方のご意見も多く入っているので、完全に自分の手柄ではないことも付記しておきます。困ったら先輩を頼るのも大事です。私は何でも我流になってしまうので、そこは反省しないとなと考えています。

 

まとめます。

 

①初等科と中等科の分断は避けた方が良い、お互いのために

②お手本は身近なところにある、先輩や同僚、研究会や授業参観で知識を得たら実践

 

こうしてシェアした情報が新人の先生や、教職志望の学生さんに届くことを祈って。

それでは、また。

わたしはたぶん、こんなふうに学んできた【ブログ限定記事】

まさに私の独壇場のようなお題が来ましたね。どうも星野です。

迷える子羊のために、勉強法を……というわけですか。(違う)

そんな冗談はさておき、私が今まで教えてきた生徒の中で「特に伸びた勉強法をしていた生徒の話」も交えながら、私なりの勉強法について持論を述べさせて頂きます。

 

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わたしの勉強ノート

 

まずは得意科目から。私の場合は国語や英語ですね。

得意なのには理由があって、好みだとか適性とか興味だとか、そういうのがあると思いますが、自分の強みは何なのかを把握することはとても重要です。

「得意」には必ず理由があります。それを突き詰めて、自分に合った勉強法に繋げていくわけです。

私の場合、言語化することが得意だったので「他の人(親でも友人でも誰でもいいです)に教えてあげる」という勉強法を取りました。

自分だけが分かっても、伝えられるように説明してみないと、それがもしかしたら感覚でわかっていただけ(表面的な理解)にとどまっているだけなのかもしれないから、という理由でオススメなのです。解き方や要約の仕方など、自分なりのことばにするというのが大事です。特に国語などは「自己解釈」ではなくあくまで「求められている答え」だったり「この場にふさわしい答え」だったりをひねり出す必要があるので、自分はどう考えたか→どうしてこの解答が正解になるのか、を自分が納得いくまで分析するのです。やり方は図式化でもひたすらしゃべるでも何でもいいと思いますが、とにかく自分の中で「明確に答えを分析する」ことを怠らないようにすることが重要かと思います。

 

続いて苦手科目。私の場合は数学。これだけがセンター試験でも足を引っ張りました。

これも今になってわかるのですが、ただ漫然と解説を聞くだけではなくて、自分のことばに直して納得できた問題は解けるようになった印象があります。

最近数学の中でも論理学を勉強していて、ことばを扱う問題なのになぜ解けないのか受験生だった当時は不思議だったのですが、何のことはない、ルールを理解していなかったのです。

数学は「ここでこの公式を使うよ」というサインが比較的見えやすいと思います。パターン化しているからだと思います(数学がご専門の方には怒られてしまいそうですが)。あとはセンター試験では綺麗な流れができていましたからね。あれはなかなかわかりやすい誘導があったと思います。それにどう乗っかるか、が勝負の分かれ目です。私の最大の敗因は「そもそも何をしていいのかわからない」ということにありましたから、この解き方は「どうしてこのタイミングで使うのか」「どういう意味があるのか」「どういう結果が導き出せるのか」の三点が理解できていれば……と今更ながら後悔しています。

 

最後に、生徒の中でもかなり伸びた子たちの勉強法をお伝えしておきます。

まず「自己管理が出来る」。これは受験に強いですね。今日はこれをやる、どのくらいの時間をかけてやる、というのを自分で決められる生徒は志望校に受かっていた傾向があります。たぶん自分の中でうまくサイクルを見つけて、そこに勉強を組み込んで地道に努力していた結果だと思います。わからないところはそのままにしないで質問するというのも大切です、だいたいの場合「分かった気になっている」のが一番危ないですから。

そういう時に使える作戦が「分からないところを探して、基礎からやり直す」ことと「跳べるハードルを極限まで下げる」ことです。

嫌になりますよね、できないことがたくさん積み重なってしまうと。私の数学がそうでした。何から手を付けていいかわからない。そういう場合は四則計算のあたりからでもいいのでやり直しましょう。そして「できた」という達成感を得るのです。やったぞ、という実感がないと長続きしませんからね。そして少しずつ積み上げていくのが勉強だと思います。

 

ローマは一日にして成らず。しかし千里の道も一歩から。

試験当日まで(あるいはもっと先を見据えているひとはその目標まで)準備してきた量でだいたい結果は決まります。勉強は長期戦です、地道にコツコツ努力した者が勝つのです。新しい共通試験の内容が何になるにせよ(学習指導要領の内容に変化があるにせよ)、試験がある事実は変わりません。そして勉強することで身につく能力も汎用性が高いです。勉強はしておいて損はないですし、いつでも始められます。そこから積んでいく修練の先に、新しい世界が広がっているのでしょう。勉強が楽しくなってきたらこっちのものです、どんどん知識を吸収していくとよいと思います。

それでは皆様、よい勉強ライフを。  

はてなブログ特別お題キャンペーン #学び応援WEEK

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by ギノ

今まで書いてきたライブレポ集①【note・ブログ共通記事】

発狂した星野が見られるのはここだけ!

どうも星野です。

今回は写真の投稿です。今までのライブレポをまとめました。

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枕草子

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aikoちゃん

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EARNIE FROGs

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UNISON SQUARE GARDEN

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うたの☆プリンスさまっ♪関連

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ST☆RISH ファンミーティング

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須田景凪さんライブレポ


物書きの端くれですので、ことばでお返しができればと思ってここまで書きためてきました。楽しくて、嬉しくて、涙が出るくらい素敵な思い出をくださった皆様に感謝を込めて。



それでは、また。