最近は読書の時間をまともに取れているので、精神衛生にとてもよい効果をもたらしています。どうも星野です。
今回は特別編として(ナンバリングはしますが)「国語のこと、読書のこと」というテーマで執筆したいと思います。
というのも、前回に引き続きPISA型読解力の話をするためです。しつこくてすみません。
PISAの調査では、読書を日常的な趣味としていない生徒(15歳)が45.4%であったとしています。これはOECDの平均値より+3ポイントとのことでした。
この対策として、「読書習慣をつけること」が必要不可欠であると様々なメディアで報じられています。
私もこれにはおおむね賛同できるのですが、どのように読書習慣をつけさせるのかという議論がなされていないことに少し疑問を抱きました。
魅力的な本があれば、児童生徒は手を伸ばすのでしょうか?
読売新聞の朝刊(12月7日のものです)のコラムでは、読書と結び付けた国語科の取り組みとして、過去の大学入試センター試験で出題された小説を扱い、物語の続きを創作して批評する授業が取り上げられていました。
これもベタだなあ、読書経験の多い生徒と少ない生徒で理解度にばらつきが出るから、その差をどう埋めるかが問題だなあ、と思いながら読んでいたのですが、私はその続きの「小説を味わうことは多角的な見方や批判的な思考力を育成する」というような文言に目がいきました。
文学を教えることにの意義や価値が問われている現状に、このひとことで「だから文学は学ぶ価値がある」と言うのは少し暴論じゃないかと思ったのです。
多角的な見方や批判的な思考は、(2022年度から変わる新学習指導要領で言えば)論理国語でも扱う内容でしょうし、極論すればどの教科でも学べるのではないでしょうか。
何も小説(文学)にこだわる必要はない気がするのです。
では文学を教えることにどんな意義や価値があるのか?
私は個人的に「教養は人生を変えるから」だと思っています。
前にもこの連載で触れたのですが、中等教育、こと高校の教育は「種まき」なのです。
いつ芽が出るかとか、そもそも芽が出るのかとか、そんなのはわからないです。
未来は分からないけれど、たとえ大学に進学しなくても、大学で文学を学ばなくても、その生徒の生きる未来で何かの役に立ったり、何か慰めになったりする可能性が1%でもあるのなら、読書習慣をつけたり文学を教えたりする意義はあると私は考えます。
そのうえで国語科を中心として教養を深めるためには読書習慣、あるいはメディアリテラシーを身につけてもらう必要があります。
本が嫌いで、勉強も嫌いで、けれど大学に進学はしたい。あるいは、就職するけれどキャリアを積みたい。
そういう生徒にとって読書は進路を決める助けになるだろうし、手っ取り早く技能を習得するためにも必要です。
教室には行けないけれど、図書室になら行ける。あるいは、外遊びは嫌いだけれど、本を読むのは好き。
そういう生徒の居場所として図書館は機能することもあるはずです。
だからこそ私は、「各教科で図書館を活用する授業」を実践する必要があると思います。
まずは図書館のしくみを知ってもらう。ざっくりとでいいから、NDC(日本十進分類法)の区分けを知ったり図書館のサービスを学んだりしてもらう。
そのあとで教科横断的に図書館を利用してみるとか(教科横断については別記事を参照ください)、TRPGに繋げてSSTだとかストーリーテリングに持っていってみるとか……可能性は無限大だと思うのです。
別記事リンク http://hoshino-momotaro-1616.hatenablog.com/entry/2019/12/19/011710
これの実現のためには他の教員の理解と学校司書・司書教諭のアドバイスが必須です。
他の教科の先生方も、図書館利用や読書は国語の領域だとは思わずに(大学時代、きっとたくさん本を読まれましたよね?)、ご自身の授業で図書館を利用できないか考えてみてください。
図書館利用と学力向上はきっとセットです、だからこそAIに司書の業務をやらせようなんて思わない方がいいことも付記しておきます。
それでは、また。