ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

「原三渓」展 レポ【note・ブログ共通記事】

またも体調を崩しました。働くことに向いていない。

どうも星野です。今回は夏の美術館巡り・第一弾として、現在横浜美術館にて開催されている「原三渓の美術 伝説の大コレクション」について書こうと思います。

会期は91日までなので、気になっている方はお早めに!

横浜美術館は木曜日が定休で、金曜日と土曜日は20時まで開いています。

 

f:id:hoshino-momotaro-1616:20190829221429j:plain

ウェルカムボード

 

仏画、仏具、日本画、茶器、書などを展示している本展覧会では、個人的にテンションの上がる作品がいくつもあって、行ってよかったなあと思わせてくれました。

 

まず重要文化財の「愛染明王図」。三渓が「最古にして最良」と評した、迫力ある表情が楽しめます。

続いて最澄の自筆書状「尺牘(久隔帖)」。あたたかな人柄が文字から伝わってきます。

文字関連では藤原俊成が息子・定家に宛てた「消息」もよかったです。老練な歌人の堂々とした文字が味わえます。

藤原家のつながりはもうひとつ、行成の孫である伊房による(と伝わっている)万葉集巻第九残巻」も、能書家としてのプライドが感じられる逸品でした。

文学シリーズで見入ってしまったのは、「古今和歌集巻第五(高野切)」「伊勢物語図 武蔵野・河内越」「宇治拾遺物語絵巻」ですね。書画の美しさもさることながら、日本独特の人物描写や風景の描写に心惹かれました。

 

絵画や茶器もかなり勉強になりました。様々な茶道具にも「銘」があるのがとても興味深く、名を冠することでそのモノに何か霊的なちからが宿るような感じがしました。個人的なイチオシはお茶碗の「君不知」と「初風」です。繊細さと強さは共存するのだと感じた瞬間でした。

絵画では宮本武蔵の作品を初めて見られたので大変面白かったです。

何でもできたひとなんだろうな~と感心していました。

大好きな菱田春草小林古径の作品が数多くあり、あの輪郭のぼやっとした白昼夢のような日本画を浴びるように鑑賞できたので大満足です。

 

目利きとして美術品を蒐集し、自らも画家・書家・茶人として活躍した原三渓の、日本美術に対する情熱。

それは日本美術を支えるうえでとても重大な意味を持ちました。

国宝や重要文化財を数多く有するコレクションは、非常に見ていて面白かったです。

私は「原三渓」という人物に微塵も興味を抱かなかったのですが、彼の遺したコレクションは非常に価値あるものだと思いますし、日本美術の粋を集めたと言っても過言ではないでしょう。

その情熱を肌で感じて思ったことは、「美術品に人が魅せられるのは人が不完全だからである」ということでした。

人は誰しも欠落感や悲しみ、憂い、苦しさと共に生きています。

その量が多いか少ないか、どんなことで負の感情にとらわれるかの違いがあるだけで、大きく見れば皆悩みを抱えているでしょう。

そういうなかで、作品の持つ完璧さに無意識的に惹かれたり、あるいは自分の寂しさを埋めてくれる存在を見出したりするのだろうなと、何とはなしに思わされました。

そういう意味で、美術品は作る人や見た人の心を映す鏡のようなものなのかもしれません。

究極的に自分を救うのは自分の感性や思考、そして行動ですから。

解釈をしてはじめて作品は自己の内側にやってくる。

人が芸術作品に命や魂を込めるということは、誰かを救うことになる。

そして救われた人が何かをまた生み出して、世界は回っていく。

もしかしたら、原三渓氏も同じようなことを考えたのではないか、とも思いました。

 

多くの示唆をくれた本展覧会に感謝しつつ、ここで終わりにしたいと思います。

それでは、また。