ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

好きなもの着て生きていく。【note・ブログ共通記事】

いろんなことしたいのに体がひとつしかないの不便です。

どうも星野です。

今回は日本のファッションカルチャーについて、考えたことをしたためようと思い筆を執りました。

以前私のブログ「ゆったりまったり雑記帳」(http://hoshino-momotaro-1616.hatenablog.com/ )で、ファッションについてアイデンティティ形成の側面から考えましたが、今回は文化の潮流という大きな動きについて私見を述べたいと思います。

 

まず、ファッションの中心地について。

世界的に見ればいまだフランス(パリ)アメリ(ニューヨーク)が主要な発信地であることに変わりはありませんが、そこで開催されるトップブランドのコレクションを見ると、アジアンテイストやアフリカンテイストを盛り込んだ作品も少なくありません。

グローバル化の波を受けて、均質化していく社会に反旗を翻すかの如く、各文化が持つ服飾の特徴を前面に押し出し、多様なあり方を発信しているようです。

中国の上海も主要なファッションの発信地として頭角を現しつつあり、市場も活発だと言われています。

 

じゃあ日本はどうなのかというと、1990年代~2000年代に流行した「ギャル文化」(ミニスカート、ルーズソックス、厚底靴、小麦色の肌などが特徴でしたね)の中心が渋谷であったことに対し、2010年代からはきゃりーぱみゅぱみゅさんに代表される「原宿系」(パステルカラーを中心にしたファンシーなゆめかわ系が分かりやすいと思います)にシフトしました。

現在も原宿はファッション発信地として世界にその名を轟かせていますが、今度は少しずつ高円寺に寄っていっている、という調査結果もあるそうです。

それはなぜか。

流行に敏感だとされる存在のなかでも、特に青文字系(ボーイッシュでラフなスタイルや、飾らない素朴なスタイル、女性ウケのいいスタイル)を好む人々は「古着」「一点物」に価値を見出している傾向があると感じています。

実際に青文字系の雑誌「mer(メル)」を読むと、「古着をミックス」などの文言が毎回どこかしらに躍っています。

1年間この雑誌を読み続けていますが、本当に「古着」率が高いのです。

一方で赤文字系(清楚で「モテ」などの男性ウケを狙うスタイル)の雑誌では、あまり「古着」の文字を見かけません。

以前ブログで書いた記事でも触れたのですが、ひとが特定のジャンルの衣服をまとうとき、そこには「社会的な属性」が立ちのぼります。

いわゆる「シューカツスタイル」(リクルートスーツ)は没個性的画一を目指し、社会の求めるカタチに自分を押し込めるという効果があるのも、赤文字系だったり青文字系だったり、好きな服装の傾向があるのも、「社会的な集団に帰属する」という意識の表出に他なりません。

この視点から「古着」「一点物」を解釈すると、

 

「誰とも違う、独自性を演出したい」

 

という願望が見えてきます。

古着や一点物はその場でしか出会えないもので、「誰にも縛られない『わたし』らしさ」を下支えするものと考えてよいと思います。

その流れで前述した「ギャル文化」と「原宿系」を比較すると、みんな同じ服装をしていた「ギャル文化」では、同質性が何より重視され、「この集団に帰属しているのだ」という意識が強かったと推測されます。

一方「原宿系」は「従来の型に縛られない新しいファッションの形態」を作り出し、独自性をどこまでも追及していると言えそうです。もちろん、「原宿系」という型にはまるという選択をしている時点で、無意識的な集団帰属はあるでしょうが。

様々な神話(例えば、いい大学を出たら就職は安泰だとか、結婚すれば幸せになれるだとか)が崩れ、集団に帰属できるだけの信用性が揺らぎ、「個別性」(イコール、個人がそれぞれのアイデンティティを保てるような、小さなよりどころ)を求めるようになったことも、このファッションの変遷に影響していると考えられるでしょう。

 

そんななかで、「原宿系」のうち最近私が注目している系統に「ロリータファッション」があります。

パニエでふわふわ揺れるスカート、ひらひらのフリルにファンシーな柄。

男性ウケは最強に悪いと言われるアレです。

これは日本が生み出した「ファッション文化」であり、実際に海外からも注目されているのです。

この系統を好む人たちは、親類縁者・彼氏・見ず知らずの他人から偏見の目で見られるそうです。

「いい歳してなんでそんなの着るの?

相手はそう言いたいわけですね。

ですがここに、私は次世代を切り拓くファッションのちからを感じるのです。

 

私は「レトロ・クラシカル・ガーリー」を信条として服を選んでいますが、それを否定されたことが数多くあります。

人権侵害ともとれる言葉を受けたこともあります。

ですが、この服装を変えようとは思いません。

理由は簡単、カッコ悪いからです。

好きなものを好きだと言って何が悪い、という開き直りもありますが、他人がどう見てくるかで装いを変える時代ではないと考えているのです。

もちろん、人間は視覚から得る情報が8割を占めるので、見た目から判断することは本能的に避けられません。

差別意識はする人にもされる人にも多かれ少なかれありますし、個人レベルの考え方なので変えられません。

好きな服装で出歩くならば、覚悟を持つ必要があるとも思います。

大人ならば相応のふるまいを要求されてしかるべきです。

しかし、見た目で判断することの弊害を看過してよいのか、と私は考えるのです。

インクルーシブな社会、多様性を認める社会の実現が叫ばれる昨今、障害を持つ人、外国にルーツを持つ人、性的マイノリティなどなど、ありとあらゆる「違い」を認め合って、それぞれに対し合理的な配慮をするのが基本にならなければなりません。

そのような時代において外見から差別するのはおかしいじゃないですか。

私はロリータやパンクなどのマイナーな服装を好む、優しくて立派な方をたくさん知っています。

外見は時に武器にもなりますが、足枷にしてはいけないと思うのです。

好きなものを堂々と主張し(もちろん相応のふるまいや責任は果たしたうえで、の話ですが)、みんなが「違うこと」を楽しめる社会が実現するために、私は私にできることをしていく所存です。

 

文化と社会が中心のファッション考察でした。

来月のお賃金が入り次第、各展覧会や映画・舞台などのイベントレポートもしていきますので、気長にお待ちください。

それでは、また。

 

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