ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

わたしは親じゃないけれど【ブログ限定記事】

怒涛の1週間が終わりました。帰りがけにスタバに寄ってフラペチーノを飲んだのでまだ生きています。どうも星野です。今日は4時半に起きたよ。今回もお題消化です、子育て経験はないけれど、生徒指導という一種の「子育て」をしているので、いろいろと書いていきたいと思います。

今回は先に宣伝!

お仕事 → 

ハンドメイド → 

同人活動 → 

お好きな桃ちゃんの活動を応援してくださると泣いて喜びます。

 

私の仕事は教師です。現在2年目、ルーキーです。アルバイトで塾講師をしていた時代から数えると、教育実習にも3回行っていますし、小学生・中学生から高校生までを7年の間で教えてきたことになります。教師になることしか頭になかったし、いまも仕事が楽しくて仕方がないので、精神を病んででも教職の専門の大学に行ってよかったなと思っています。天職ですね。またどこかでぷつんと切れないように気を付けなければなりませんが……(実際今週は緊張の糸が切れかけました、電車に飛び込まなかった私、えらいぞ)

 

定時制から全日制、私立、公立と多種多様なところで教育に携わってきて、ほんとうに様々な児童生徒を見てきた経験からいうと、家庭教育って非常に大事だなと思うのです。

何も習い事をさせろとか、幼児期の教育だとか、そういうことが言いたいわけではなく。

親や周りの大人の背を見て育つ子は確実にいるのだな、と強く感じることが多かったので、こういう言い方をしています。大人の行いを、児童生徒はよく見ているのですよ。

個人的には、習い事だとか旅行の経験だとか、生活のなかで多くのものに触れたという経験がある子ほど学力が伸びるな、と感じています。

実際にあった話なのですが、「海」を見たことがない生徒がいました。その子は小学校の遠足で海を見てひどく感動していました。

そういう「貧困家庭」「育児放棄家庭」の子どもが、定時制に流れてくることが多いです。その子たちにいかに教養を身につけてもらうか、そしてこの社会でサバイブしていくための技術を身につけてもらうかがポイントだと考えています。そうじゃないと貧困の再生産になるので、なんとかして情報へのアクセス方法だけは学んでね、と日々格闘しています。

一方私学の全日制でも、「有様」を人名だと思っている生徒って結構いるのですよ。私もびっくりしたのですが、実話です。進学校といっても内部推薦やスポーツ推薦、AO推薦で進学していく生徒の方が多いところだと、勉強はあまり真面目にやらないので、これまた社会の荒波に揉まれてドロップアウト、ということが多々あるそうです。

私の役目は、そんな児童生徒たちに教養を身につけてもらうこと。そして「勉強って結構楽しいのでは?」と思ってもらうことです。

現代社会の核家族では、もう子どもの面倒を見きれていないのです。親もかまってくれない、学校の先生は叱ってくる、塾の先生は冷たい……みたいに感じている生徒は多いと思います。だからこそ私は、せめて私だけは、そういう生徒の味方でありたいと思って毎時間真剣勝負の授業をしています。それでも家庭教育には勝てません。素地が違いすぎる。働いていて疲れているのはわかるけれど、読み聞かせのひとつでもしてあげたらいいのに、と思うことが多々あります。現代語や古語を調べても、そもそも辞書に書かれている平易なことばの意味がわかっていない生徒がいるのは、そういう「読書体験」の少なさが一因(※すべてではないです)だと思いますし、社会科、数学、理科、その他実技教科もまんべんなく学んできた生徒のほうが「話をしたときに脳内で『引っ掛かり』ができやすい」から伸びるのだろうと推測しています。

要するに、脳みその中でただの点だった知識が線に、あるいは立体になるのです。知識同士が繋がり、理解度が深まり、さらに知りたくなる。そういう好循環を生み出すのも家庭教育で培われる「社会経験の差」だと思うのです。

だからこそ働く保護者の皆様には、お子さんと接する時間を大切にしてほしい。

周囲の大人も、子どもは社会全体で育てるものという意識を共有してほしい。

私はいつもそう願っています。

 

私は子育て経験こそないものの、いまは家事をこなしながら仕事(という名の一種の子育て)をしています。母は小学校で、父は高校で実際に児童生徒を教えながら、高校生の弟と社会人になった私の面倒を見ているので、どれだけ苦労してきたか今になってわかるようになりました。だから親にこれ以上負担をかけまいと、家賃を入れ家事を積極的にやるようになったのですが、まあそれは置いておいて。

私自身幼少期に読み聞かせや外出(動物が好きだったので動物園や水族館によく連れて行ってもらいました)をさせてもらいましたし、映画もたくさん観させてもらいました。本が欲しいと言えば買ってもらえたし、不満はないです。たとえ親から怒られたことがあっても、かつてのそういう「家庭教育の徹底」があったから、ちゃんと恩返ししないとなと思うくらいにはなったのですよ。現状、そこまでやっている家庭は少数派だと思います。なんとかして働く保護者の方に、「お子さんの教育の第一歩はあなたたちにかかっているんです!」とお伝えしたいなと思って、この記事を書きました。

 

長くなりましたが、こんな感じで終えようかと。それでは、また。

 

働くパパママ川柳×はてなブログ 特別お題キャンペーン #仕事と子育て

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by オリックスグループ

「ロンドンナショナルギャラリー展」レポ【note・ブログ共通記事】

講演会の日付を1ヶ月間違えて記憶していたため、楽しさのキャリーオーバーが発生しています。どうも星野です。定期更新日は火・金・土です(昨日は力尽きてしまったので今日書いています)。この2週間、土曜日は美術展のレポを書いていきます。今回行ってきたのは、上野の国立西洋美術館でやっと開催された「ロンドンナショナルギャラリー」展です。日時事前予約制、優待券を持っている場合は追加料金200円で鑑賞できます。通常料金で大人1800円でした(e+さんでチケット販売中です)。会期は延びたものの、人気の展覧会のためお早めのご予約をオススメします。平日は17時30分まで、金曜・土曜は20時まで開館中。会期中の休み等は公式サイトにて。リンクはこちら。

https://artexhibition.jp/london2020/

参考までにこの展覧会の予習ができる動画の紹介をしたこの記事も貼っておきます。

https://note.com/hoshino1616/n/nccf0b58089b1

ロンドンナショナルギャラリーは、ヨーロッパ諸国・各年代の絵画を集めた一大コレクションが見どころです。イタリア・ルネサンスからフランス近代絵画まで、そのカバーしている領域は多岐にわたります。なんと数年前に同じく上野の東京都美術館で開催されていた「コート―ルド美術館」展ともかかわりがあるのです。イギリスの絵画に対する審美眼というか、「よいものは徹底的に集める」という感じが強く出ていますね。
その中でも気になったものをご紹介していきます。

やたらとFGOに出てくる英霊の作品が多かったな、というのが最初の印象でした。最初がゲオルギウスさんでしたからね。やはりルネサンス期は宗教画、神話のモチーフがたくさんありました。ティントレットの「天の川の起源」は図鑑で見た記憶があり、実物を見られるとは思っておらず、感動しました。最初の方からずっと疑問だったのは、なぜ日本ではここまで精密かつ写実的な(そう、まるで写真のような)絵画が生まれなかったのだろう、ということでした。鳥獣系の絵画は結構写実的で、人物画はそうではない理由や、西洋画との根本的な違いを感じる展覧会だったなと思っています。

レンブラントの自画像については解説動画もありましたが、誰かのために(=依頼されて)絵を描くことが主流だった当時において革新的であり、なおかつその技巧の凝らされ方にも一流の気概のようなものを感じ、見入ってしまいました。
オランダの17世紀絵画は黄金時代と呼ばれていますが、オランダ絵画の特徴は「海景画」が多いことと、少し光がぼやけていること。海運で経済を回していたから、やはりオランダの方は海の絵が好きなのだなと感じました。光のとらえ方はヤン・ステーンとフェルメールでかなり差異が際立ちました。フェルメールはかなり鋭いスポットライトのような光を得意とするのに対し、ヤン・ステーンは曇天のごとく鈍い光を画面に落とし込んでいました。同じ国の出身でもこんなに光に対する考え方が違うのかと勉強になりました。

イギリスは肖像画を愛した国だそうですが、ヴァン・ダイクをはじめとする宮廷画家の描く人物は、皆いきいきとした表情を見せていました。女性の着ているドレスなどのファッションにも注目した鑑賞も楽しいエリアです。所持品や内装などにもこだわり(あるいはメッセージ)が含まれていて、見ていて面白かったです。ドレスの色などに意味があるとのことで、そういうところは日本にもあるよな、白無垢とか、紫は高貴な色とか……と考えていました。やはりこういう時に、知識が点から線へと変わる瞬間があっていいですね。そろそろ美術関連の書籍も買わねば……。

そして18世紀頃からイタリアを訪れる「グランド・ツアー」が流行し始めます。だから今まで見てきた展覧会の絵画の中でも、この頃の作品はイタリアの海岸とか運河とかが多かったのか……とひとりで納得してしまいました。その当時は絵葉書の代わりに「絵画そのもの」を購入していたとのこと。なんて洗練された生活なんだ、と思った矢先に「そうか、ブルジョワ階級が行っていたからお金はあったのだろうな」と合点が行きました。それらの描き込みもかなりのもので、大きめのカンヴァスに細かな背景までみっちりと描かれていて、やっぱり写真のなかった当時「風景を記録する」という意味で絵画を使っていたのだな、と思いました。日本はそれがおそらく和歌だった、ということなのでしょう。

そして場所はスペインへ。エル・グレコやベラスケスなど、宮廷画家の人物画の展示に変わります。かなり武闘派のキリストの絵などもあって愉快でしたが、なんというか、パキッとした色使いと陰影が特徴的な国だなと思いました。特にゴヤ
また、イギリスはベラスケスを再評価したとのことで、絵画も小説もそうですが、時代を先取りしていたために存命時には鳴かず飛ばずということも往々にしてあるのだな、と実感しました。いや、ベラスケスは宮廷画家なので売れっ子だったでしょうが。ベラスケスについては、厨房画と呼ばれる「労働と祈り」をテーマにした作品もありまして、スペインの宗教画としても、寓意としても興味深かったです。

写実からだんだんと離れ始めた美術界は、「ピクチャレスク」(古典的な調和より不規則な自然を志向する動き)を求めます。そこで羊飼いの絵や、ぼんやりとオレンジがかった空の幻想的な絵画が登場し始めます。構図もだいぶ大胆になってきたし、神話からモチーフを採っていてもそこまで直接的な印象は受けませんでした。美術が「美」を求め始めたのかもしれないな、と思い始めました。

アカデミックな古典派を墨守していたイギリスも、コート―ルドの影響でフランス近代絵画を集めるようになります。そこでバラの画家・ラトゥールや(この絵はめちゃくちゃきれいです)、モネ、ドガルノワールを蒐集し始めるのですが……なんとこの展覧会のラストを飾るのは、あのゴッホの「ひまわり」です。これはもう感動でした。ゴッホはアルルでゴーガンとの共同生活を始めるにあたり、ひまわりの絵を2枚描きました。そして直筆サインを入れ、ゴーガンの寝室に飾ろうとしていました。その1枚が展示されているのです。これだけでちょっとテンションが爆上がりでした。ゴッホはアルルで太陽光の黄色に魅了され、ひまわりの絵を7枚描きます。「自分はひまわりの画家になる」――そんなことも言っていたそうです。ゴッホは悲劇的な運命をたどったひとですが、確かに後世では「ひまわりの画家」として認知されていて、本当に良かったなと思いました。

枯れたものから咲き誇るまで、あふれんばかりのいのちの黄色。嫉妬の色とされる黄色のイメージを覆したゴッホの名作でこの展覧会は幕を閉じます。
そこに学芸員さんの演出の素晴らしさや、西洋絵画の持つ歴史を感じることができました。
ひまわりは夏の花。日本らしさも求めたゴッホのひまわりが、この夏、あなたを待っています。

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フォトスポット

 

「古典×現代2020」レポ【note・ブログ共通記事】

雨音が強くなったり弱くなったり、まるで気まぐれな猫ちゃんみたいです。我が家のネコチャンぬいぐるみ・アランチャくんは、「はれたら、おふろね」と梅雨明けを待っています。ぬいぐるみ用シャンプーを買ってからというもの、お風呂に入るのが気持ちいいと知ってしまったらしい。乾かすの大変なんだぞ。どうも星野です。定期更新日は火・金・土。今日は連続投稿日、ふたつめは今日行ってきた「古典×現代2020」展(国立新美術館)のレポです。こちらも事前予約必須ですが、時間指定の料金はかからないのでチケットとオンラインで予約できるQRコードがあれば入ることができます。待機列が形成されるほどの盛況ぶりなので、平日夜を狙うのがオススメ。今回は「古典との向き合い方」というテーマを掲げて鑑賞したので、その話もできたらいいな。

 

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チラシとチケット

 

日本のアート(美術)の根源は、おそらく縄文時代の土器などでしょう。装飾は呪術的な意味を持ち、なおかつ実用品でもあったわけですね。

それがゆくゆくは仏像、経文などの宗教色を強め、そして刀剣や器などの実用品に変わり、そして庶民のものとなるのです。

いわゆる近代的な審美眼で見ていた人もいたでしょうが、どちらかといえば日本の美術は「質素ながらも美しく、便利である」ことに重きを置いていたように私は思っていました。

この展覧会では、8人の現代アーティストが様々な方法で古典作品と向き合い、オマージュしています。ただ、古典への接し方が全員違う、というのが面白いポイントで、国語科教育界隈で言われていた「古典を学習する意味」みたいなものに似た何かを感じ取りました。

古典はただ置物として愛でるだけのものでも、実用的なものでもない、そのさらに遥か高みを行く「古典の味わい方」を教わった気がします。

 

最初は仙厓の作品を再構成した菅木志雄。円や三角形の中に「空」、すなわち仏教におけるすべての否定と、その縁起を見出した仙厓に対して、「円は円です」と言い切る菅の淡白さは、小気味よいものがありました。そうです、古典はただ礼賛すればいいというものではないのです。まずは斜に構えて「本当にこれにはそんな意味があるのか?」と問いかけたり、疑問を持ったりすることからきっと鑑賞は始まるのでしょう。菅の作品は様々な種類の石を円形や四角形に並べたもの。菅はそれに特段の意味をつけるというよりも、仙厓のいる高みには自分は行けないなと感じつつも「すべてが在る」ことを表現するためにあえてこの「円」と「四角」を配したように思えてなりません。自分と仙厓の見ているものは違うけれど、伝統の中に位置づけられていくうちに意味は生まれてくる……そう考えているのかもしれません。

 

次に花鳥画を写真で表現した川内倫子花鳥画といえば群鶏図の伊藤若冲が思い起こされますが、それを意識したニワトリさんの写真、そして今まさに産まれようとしている卵のなかの雛鳥の写真もありました。生々しいほどの生と死を切り取る写真と、美しい部分だけを抽出したような花鳥画ではだいぶ趣が違いますが、四季のなかでめぐりゆく「いのち」の輝きがありありと表現されている点では同じだな、と思いました。川内は「私も絵筆を握っていただろうか」とコメントを寄せていましたが、ファインダー越しの世界も絵画と同じで「現実ではない」。何か思惑があって切り取られたものであることを思い出させてくれました。表現方法は違っても、見えているものは同じというのがなかなか面白かったです。

 

続いて円空の仏像からインスピレーションを受けた棚田康司。古来から山だとか木だとか、そういう自然物に対して「紙の依り代」という考えを持っていた日本人は、「一木造り」を編み出します。要は一本の木から仏様を掘り出す技法のことで、日本で作られた多くの仏像がこの形式をとりました。円空の仏様は豪快な鑿使いで温かみのあるユーモラスな仏様をたくさん彫っていたようです。実物を見ても「かわいい」と率直に思いました。木の特徴を活かすのがうまいのですが、それは棚田も同じです。木目の美しさや、割れ目さえも作品の中に取り込むその技術は双方ともに卓越しています。夏目漱石の「夢十夜」に「運慶が仏像を彫っている話」がありますが、私はあれを思い出しました。明治の木の中には、仏様は眠っていない。近代化される前の日本の、「木は神が宿るもの」という発想の欠落から夏目漱石はそう書いたのでしょうが、棚田の作品も円空と同じように一本の木から作っているとは言っても、どこか装飾的だったので、時代を超えて受け継がれるものと、失われていくものもあるのだと、そしてそれを無理に復活させる必要はないのだと考えるきっかけになりました。

 

続いて刀剣の美を独自のインスタレーションにした鴻池朋子。牛側に描かれた生命の脈動、ゆらめき、そういったものは鴻池が刀剣を持ってバランスをとったときに発した「地球の中心とつながった」という言葉に集約されるでしょう。ありとあらゆる「いのちの歴史」の根っこには、地球の存在があります。違う惑星だったらこういう表現も文化も生まれていないだろうし、(文系の学問である)歴史のもとは(理系の学問である)地球にあるのだと思うと、古典の世界の包摂するものはこんなにも大きいのかと感動します。ここは唯一のフォトスポットだったので、写真を。

 

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フォトスポット

 

次に、日光・月光菩薩と祈りについて考えさせてくれる田根剛の展示。ここでは天台声明という仏教声楽が流れているのですが、私は本能的に「畏れ」を感じました。何かよくわからないけれど不安になる。けれどそれが、光と仏像の姿を見ることによって感動に変わる。帰依しそうになりました。ちょっとしたカルトでもやりそうなことですが、その威力は計り知れないものがあると感じました。光は祈り、というフレーズが、なんだか米津玄師の「Lemon」の一節みたいでした。この世の森羅万象には、計算されたものも無意味なものもあるなかで、自分が祈ることによって(=意志の力によって)意味づけができるのならば、それってすごいことだなと。

 

「今でもあなたは私の光」――Lemon/米津玄師

 

続いて人気をかっさらっている北斎のオマージュ・しりあがり寿北斎の描いた作品、「富嶽三十六景」を面白おかしく改変しています。風刺や諧謔の精神は江戸っ子の人情なのかもしれませんが、それを見事に現代にアレンジしているのが素晴らしかったです。「アンテナバリ立ち」は声を出して笑ってしまった。FGO清少納言先輩みたいで。北斎の「北」は「北極星」という意味だそうで、不動の道しるべとしての敬意を込めていたようなのですが、それが本当に叶っていることが、「古典」の為せる技なのかと思いました。葛飾北斎は江戸の絵師として名を馳せ、そして不朽の名作になるようにと世に送り出した。そしてそれは果たされていることが、「歴史」や「文化」の重みであり、「古典を学ぶ」ことの重要な部分でもあるのだなと体感しました。古典と「遊ぶ」「戯れる」くらいの感覚で、学んでいくことも大事なのかもしれませんね。

 

次に、デザインで魅了する尾形乾山皆川明。ふたりは共通項があったというか、お互いに愛されるデザインを作り出していて、美のの普遍性を感じさせる展示だったのです。温かみのあるタッチ、渋い色、幾何学的配置、動植物のモチーフ。どれも「千年愛されるデザイン」の鉄板です。私もハンドメイドで服を作ったり作品を製作したりしているのでわかるのですが、そういうのは「ハズれない」のです。今も昔も変わらない普遍性は確かにあるのだと肌で感じました。古典を専門に学んでいる方は、もしかしたらこう言ったら怒るかもしれませんが、「現代でも通用するから残るし、その時代に生きた人たちも愛したからこそ残っている」のだと私は思います。

 

最後に、奇想天外だった蕭白横尾忠則のぶつかり合い。とにかく大迫力。古典の持つイメージは「遺産」でもあることを教えてくれた展示でした。自分が衝撃を受けた絵師の作品のオマージュに悪意を込めているというのもいろいろな意味ですごいですが、惹かれ、反発し……という悪魔的魅力があるのが古典なのかもしれないと思うようになりました。きっとこうして書いている私の文章も、いつかは古典になるし、横尾の作品も後世で何と言われるかはわかりません。ただ、衝撃を受けたことは間違いなくて、それを原動力として作品は連鎖的に生まれていくのだと確信しました。

 

私は古典文学を教えていますが、そこにも通ずる「古典を多角的に見る」ことが学べたという意味でも、いい時間でした。

私にとっては、この世界には意味があるものしかないのだと、そしてそういう気持ちで作品を作って、文化のバトンリレーができたらいいなと、そう願わずにはいられませんでした。

サッカー大好き星野家の1年【ブログ限定記事】

お題「#応援しているチーム

 

連続投稿でごめんなさい、書ける時に書いていくスタイルなもので。どうも星野です。お題消化、今回は「応援しているチーム」。遂にこの瞬間がやってきましたよ、J2・J3の開幕! 地元にもサッカーチームがあるのでうれしいですね。私はJ1ばっかり観ているので、その話になりますが、お付き合いいただければ。

 

私のひいきのサッカーチームは「川崎フロンターレ」です。別に川崎在住ではないし、なんなら横浜の方が近いけれど、それでもフロンターレファンです。なぜというと、中学生の頃に観に行った試合がきっかけでした。

 

弟がクラブチームに所属して練習している関係で、よくJリーグの試合を観ます。国内戦は地元の応援や、クラブ同士の意地が見えるし、最近は海外からイニエスタをはじめとするスター選手がやってくるようになったので、見ごたえがありますよね。代表戦も結構真剣に批評しながら観ています。ほかのスポーツのルールはわからなくても、サッカーだけはわかるので、家族と「あのプレーはよくない」「ここでこうしたらいいのに」とあーだこーだ文句をつけながら観戦しています。岡目八目という言葉がありますが、たぶんそれは私以外の家族には言えるでしょう(私はドがつく文系ですが、他は体育会系な家族なのです)。

 

そんな私が初めてスタジアムで観戦したのが、川崎フロンターレ名古屋グランパス。場所は等々力スタジアム、真夏の暑い日のナイトゲームでした。薄暗い中を家族とドキドキしながらスタジアムまで歩き、ごはんを購入していざ観戦。初めてのスタジアムは、選手との距離の近さや、応援の熱量が伝わってくるすごいところでした。そしてテレビでしか観たことのなかった、田中マルクス闘莉王中村憲剛がしのぎを削って争っているところを間近で見られた興奮が、私のからだを駆け巡っていました。その日川崎は4-0で快勝。サポーターへのファンサービスも手厚く、出待ちもしたのですがサインをもらうことができました。それがいまでも鮮明な記憶となって残っていることと、川崎フロンターレの「サポーター愛」「地元愛」に感動したことがあって、いまでも川崎ファンを名乗っています。最近はスタジアムに行けていないのですが、定期で行けることが分かったので、お金が……あるときに……行きます……ちょっとこの数か月は無理かも……。ファン失格。

 

川崎は数年前やっと悲願のタイトル獲得を達成しました。それが分かった瞬間(塾での勤務中だったのですが)後輩に思わず「川崎が獲った!!」と報告し始めるくらいにはうれしかったです。そこからはまた苦戦していますが、着実に力はついていると思うので、今年も頑張ってほしいところです。大島僚太小林悠など実力のある選手が揃ってきているから、夢じゃないはず……! 川崎フロンターレTVKで番組をやっているので、それもたまに観ていますが、結構ギャグ要素多めで好感が持てます。全力でバカやっている感、だいすき。

 

今年は無観客で試合が始まりますが、シーズンを通していい試合をして、年末年始の天皇杯など各タイトルを目指してほしいです。頑張って~~!!

 

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ちまちま更新しているのでぜひ応援してください。チーム桃ちゃん(構成メンバーは1名)も頑張っていますので。それでは、また。

夏の思い出とあの味【ブログ限定記事】

今週のお題「私の好きなアイス」

 

遂に朝8時出勤が始まり、既に疲労困憊の桃ちゃんです。私は朝に弱いんだ。この間は急いでいるのにすっ転んで、膝をひどく怪我してしまうし、住民税の支払いをしたらこの1ヶ月は1000円で生活することになってしまうし、ほんとうにツイていないです。普段の素行が悪いのか……?

今日はお題の消化です。「好きなアイス」について。あまりアイスを食べないのですが、その理由も含めてお伝えしたいなと思っています。

 

私はあまり間食をしません。

するとしたら仕事で疲弊して脳みそに糖分が足りない時くらいです。

だからお腹にたまるもので、なおかつ甘いものを食べるのですが、お腹が弱いので常温のものでないとすぐお腹を壊してしまうのです。そのため、アイスとは長年相性が悪かったのですが、最近腸の調子を整えるようになってから、そんなに重篤な腹痛が起きなくなりました。そして暑い日はアイスを堪能できるようになったのです。

 

出かけた先でよく食べるのは、コールドストーン・クリーマリーのイチゴのアイス。私はイチゴに目がないので、果実の感じが楽しめるコールドストーンのアイスが好きです。あとコンビニで買うならお高いけれどハーゲンダッツ。あれのイチゴは幼い頃からの好物です。

 

弟はケーキよりもアイスを食べるので、弟の誕生日は(4月なのですが)サーティワンアイスクリームのアイスケーキでお祝いすることもしばしばありました。弟はホッピングシャワーのぱちぱちする味が好きだそうですが、私はイチゴとチーズケーキのやつ一択でした。最近サーティワンに行っていないので、新しい味にも挑戦してみたいと思います。そして何やら「推しカプアイス」なるものがあるらしいじゃないですか……聞くところによると、それは推しのカップリングのイメージカラーのアイスを二色選んで、サーティワンでダブルで頼むものだそうで。やりたい! 非常にやりたい! 桃ちゃんはBLも百合もイケるクチなので、真面目にお腹がおかしくなるまで推しカプアイスを食べたい! 給付金は今年で10周年のうたプリちゃんに使うと決めたのですが、夏のアイスにも使っても……いいよね……?

 

宅配でおいしいアイスもあります。高知アイスというやつなのですが、栗とほうじ茶とか、玄米抹茶とか、イチゴとか、バリエーション豊かですし、とにかく和風でそこまで甘ったるくないです。大人の味わい。けれどすごく良い素材を使っていることがわかる、濃くてしっかりした味です。これもおいしい。私はくりほうじが好きです。ほうじ茶ラテ感覚で食べちゃいます。太るね。

 

最後に一店だけ紹介します。横浜、桜木町駅すぐのランドマークのなかにある「ジェラート フィレンツェ」。ここは本格的なジェラートが楽しめるお店です。据わるところがないので食べ歩きになりますが、それでも私は夏に横浜に行くといつもここで食べています。オススメはラムネとミルク。ラムネは爽やかで、粒のラムネも入っています。ミルクは濃厚で、甘くておいしいです。私はここをひいきにしているので、この騒動でお店が潰れていなければいいな、と若干心配しております。原宿に遊びに行った時も、お店の入れ替わりがあったので……皆さん、推しには課金しましょうね……すぐになくなってしまうのでね……。

 

そろそろ梅雨明け、アイスの季節の本番がやってきます。

コンビニアイスもおいしいけれど、お取り寄せアイスやお店のアイスも応援してみてほしいなと思っています。

 

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近況報告と父について【ブログ限定記事】

今週のお題「お父さん」

週の半ばにしてすでに疲労困憊。こんな状態で、私は本当に5時の電車に乗れるのか。(来週から通常出勤に戻る関係で5時の電車になりました)どうも星野です。今日のお題は「教師生活と家事および趣味の両立」。父の日の話と関連するので、ちょっと遠回りしますがお付き合いください。父の日のプレゼントが買えないほど困窮している。というわけで商品を買ってくださる方のためにminneとFantiaのリンクも。新作続々、ちまちま細々やっています。現在3万円ほどの赤字、全国一律送料無料、即日発送可。夏らしいアイテムも揃えますので頻繁にチェックしてくださいね。

 

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事の発端は、父が心不全で倒れたことでした。今はもう退院して、家で療養しているのですが、来週から仕事に復帰するそうで、ちょっと心配です。心不全で倒れたのは6月上旬、朝から調子が悪かったのを弟が病院へ連れて行ってくれて心不全だと判明したのです。そこから一気に生活が変わりました。

母は小学校で常勤講師をしており、7時に家を出て18時半に帰宅するのが平日の生活です。父も私学で教師をしているのですが、一気に老け込んでしまって、もう以前のような威厳はどこへやら……という感じです。


父が入院している間から、私と弟で家事を分担してやることにしました。弟はまだ分散登校で、しかも単位制の学校に通っているため、不定期に授業があって時間の融通が割と利くのです。そのため、最初の頃は弟に任せきりにしてしまいました。疲れていたとはいえ、申し訳ないことをしたなと思っています。そのせいで、いまだに口を利いてもらえないのですが、さすがにお姉ちゃんは悲しいよ。多感な時期の男の子に声をかけるのもよくないけれど……。


閑話休題。話を戻します。

 

家事を本格的に手伝うようになって、私が一番感じたのは「1日って短い!」ということでした。お皿を洗ったり、食事を作ったり、それだけで平気で2時間とか消えていくのはいったいどういうことなのでしょう、私はまだ理解が追い付いていません。それでも母との会話が増え、連絡をこまめにとるようになったので、家庭内の緊張感は薄れました。息がしやすい。しかしここで重大な問題が立ちはだかります。それは、「教師の仕事がまったくできないこと」。時間の使い方の悪さもあるのですが、こうして執筆するのも限界に近いです。母も働いているし、弟にばかり迷惑はかけられないので私も頑張っているのですが、手伝いをしていたら22時になって、そのまま就寝。私の場合精神疾患のこともあり、十分な睡眠時間を取らないと希死念慮に襲われるしくみになっているので、採点が追い付かないのです。これは困った。趣味に生きる桃ちゃんにそんな無茶なことをさせるなんて、学校はなんてひどいんだ。愚痴を言っていても仕方がないので、私が考えたのは「短時間で採点するために、指示を明確にする(再提出者や遅れは容赦なく点数を下げ、指示通りにやっていない場合も点数を下げる)」「提出の頻度を下げる」「似たようなミスをしている生徒には、多少改変しつつ基本文言をコピペで使いまわす」などの時間捻出作戦です。それでも時間は足りないので、今日も3時間ほど残業してきました。非常勤なので完全にサービス残業です。学校が遠方にあり、通勤にも時間がかかるし、なかなか趣味もできずに苦しんでいます。

(おかげでハンドメイドの資材を買ったのに製作が追い付いていないのです。ごめんなさい)


生徒がどれだけ私のコメントを見ているかはわからないのですが、明らかに友達のノートやアイデアをパクったものがあり、それはさすがに注意したのですが、私もさばききれていないので、たぶん見落としがまだあるのではないかと思っています。そこは何とか時間をかけて対処したいです。何度か見ていれば字の癖がわかりますし、コメントのみの提出物は一気に見るためコピペは絶対にバレます。もし学生さんが見ていたら気を付けてほしいのですが、剽窃とかって案外簡単に見破られますよ。

 

そんな父ですが、昔から私のことを溺愛していたようで、絵本を買い与えたりディズニーランドに連れて行ったりと、家族サービスを欠かさないひとでした。弟のことももちろん大好きです。昔は私をたくさん可愛がってくれたのに! と私が若干嫉妬するくらいには、父は家族想いの優しいひとです。誕生日も6月なので、何かお祝いを……と思っているのですが、自分にできるのはお裁縫くらいなので、何かつくってあげたいなと思っています。

 

最後に宣伝です。

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これからも桃ちゃんと仲良くしてください。それでは、また。

雨の日はなんだか【note・ブログ共通記事】

今週のお題「傘」

 

梅雨入りしてじめじめ暑い日々ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。私は雨でもずんずん出かけてゆくタイプの人間なので、お構いなしに遊んでいます。どうも星野です。今日はお題消化。「雨の日」というテーマでエッセイを書こうと思います。雨、皆さんはどんな思いを抱いているのでしょうか。ろまんちっく大暴走の今回の記事では、たくさん「雨」にまつわるエピソードを書けたらいいなと思っています。noteにて、1日1本プロジェクト進行中。現在98日目です。我ながらここまでよく続けたな……。minneとFantiaはこちら。

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今日新作を追加します。ハンドメイドも楽しいです。

「雨だれ たんたん 我をわらうよ」――太宰治

雨。朝、うねって言うことを聞かなくなる髪の毛を整えて、鈍い頭痛が襲ってくるのに耐えながら朝食を食べる。最近は頭痛に負けなくなってきましたが、それでも雨で動けない日も多少あります。体調不良、傘が邪魔、移動が面倒……そういう理由で、雨が嫌いな人も多いかと思いますが、私は雨が好きです。いろんな思い出の中に、「雨」があるからです。そして一日の始まりや終わりに、「今日は雨」と考えるのは、なんだか「まじめに生きている」感じがします。

私が生まれたのも梅雨の時期。愛するねこのぬいぐるみ・アランチャをおうちに迎えたのも梅雨明け間際。そして私が何かにつまずいて、病んだのも雨の降る時期でした。雨の中傘をさして歩きながら、泣き顔を隠すこともありました。雨にはそれなりにご縁があるようです。いいことも悪いことも、雨が包んでくれた気がします。
雨の中カフェに行って、雨音とジャズを聴きながら読書したり、泣ける映画を観たあと、夜に雨の匂いがすると胸が苦しくなったり。「天気や自然の様子が、登場人物の心情を表すことがある」……という国語の定番読解法も、あながち間違いとは言えないと思っています。下人は雨止みを羅生門の下で待っていましたが、あの雨が下人のSentimentarismに影響したのも無理はないでしょう。冒頭で引用したのは太宰の言葉ですが、悲しかったり切なかったり、雨には人間の流す涙のような作用がある気になってくるフレーズで、とても気に入っています。雨はひとを立ち止まらせ、何かを考えさせるちからがあるようにも感じますね。「晴耕雨読」という言葉も、人間がものを考える頭を養うために雨の日くらい読書しようよ、ということなのかもしれません。
雨水が跳ねて服の裾に掛かるのは嫌ですが、それでもレインシューズや傘を選ぶ楽しみはあるし、突然の雨にも何となく季節の変化を感じることだってあります。雨は恵みでもあり、災厄でもありますが、個人的には一切合切すべてを洗い流してくれる存在だと思っています。
今もこうして外の雨の様子を見ながら執筆していますが、昼夜逆転せず日中の天気を五感で感じながら作業をするのは、昼夜逆転しがちなモグラ娘にとっては「まじめに生きている」「まっとうな生活をしている」というように感じるのです。こうして雨を楽しむのは、いわゆる「ていねいな暮らし」なのかもしれませんが、個人的にはそんな高尚なものではなく、ただ日常を彩る色彩の中に、雨の薄いブルーがあるのかなと。

「花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に」――小野小町

長雨で色あせるものもありますが、私の中では思い出が強化されていきます。雨が降っていて、品物を濡らしちゃわないかな、ちょっと面倒な客じゃないかなと思いながら、お気に入りのブティックに足を運んだら、店員さんに「お客さんが来てくれてうれしかった」と喜んでもらえたこと。彼とふたりでひとつの傘に入って、なんでもない話をしたこと。親友と雨の日の鎌倉の建長寺へ行って、そこでお庭の景色を眺めながら悩みを話したこと。雨の音、匂い、空気の流れが、ひととひとのつながりを強くしてくれました。ちゃんと生きている、まじめに生きている。ゆっくり、しっかり、たまには立ち止まって振り返りながら、いろんな思い出と気持ちを抱きながら、今日も生きている。そんなふうに、何気ない日常の中に感じる風流のようなものを、雨は思い出させてくれます。小野小町は千年前に、花が散って色あせてしまう儚さ、自分が老いる悲しみをうたいました。千年後の日本に生きる私は、雨の中で生きる喜びを感じています。まだ二十歳そこそこだからかもしれませんが、うれしいものでも悲しいものでも、思い出とはじぶんが前へ進むための原動力だから、雨を愛しながら、これからもたまにずるして、基本真面目に、日々をのんびり生きていくのだなと思っています。

思い出と雨が強く結びついている私にとって、雨はこれからも仲良くしていきたい存在なのです。あ、雨が止んだみたい。
じゃあ、このおはなしもおしまいにしましょう。それでは、また。