久しぶりにお外に出ました。どうも星野です。お外に出ないと気分がふさいでいけませんね。休校中の児童生徒も同じ気持ちだと思うとかわいそう。
今回のテーマは「部活の思い出」。私は高校時代に文芸部に入った以外、特に部活動の経験はないのですが、そこでの記憶について語ります。
文芸部は教室と教室の間の渡り廊下に位置した(ほぼ外の)、小さなプレハブ小屋で活動していました。
年間で6冊同人誌を書いて発行し、図書室に置いたり文化祭で頒布したりしていました。
私がたまにnoteに投稿するオリジナル小説の原点はここにあるのです。
ちなみにpixivでも二次創作をしているので参考までに。
高校時代は徹夜でアニメを作ったり、ボイスドラマを撮ったりもしました。歌ってみた動画も作りました。とにかく型にはまらず何でも挑戦しました。
私がこの部活に入るきっかけになったのは、同じ中学から進学した友人が誘ってくれたからですが、その友人も含め最高の友と出会うことができた、貴重な場でした。
先生からの干渉もほぼなく、無法地帯だったので、学校内にゲーム機を持ち込んでみんなでモンハンをしたり、カードゲーム(当時はヴァンガードをやっていました)で熱くなったり。
くだらないけれどきらきらした、かけがえのない青春でした。
小説を書く活動もみんなで楽しくできていました。その一助になっていたのがTRPGでした。
きっかけは先輩が某動画を観てクトゥルフ神話TRPGに興味を持ち、うちの部活でやらないかと会を開いたことでした。
そこからストーリーテリングの技法を知らず知らずのうちに学び、物語の構成などをみんなで批評しあったり、予想外の発言をどう回収するか考えたり、まあとにかくなんでもありの話を何時間でもしていました。当時の顧問の先生が聞いたら卒倒しそうなほど好き勝手放題やっていましたが、そこで身につけた「物語と向き合う力」は高校で国語を教えている今に活きています。
部活動は顧問の立場から言えば、重い負担でとても面倒なものか、あるいは授業より熱を入れてやりたいか、二極化していると思います。
生徒としても私のようにマイペースにやりたいひととガツガツ指導が欲しいひとと、いろいろだと思います。
だからこそ「棲み分け」をしないといけないな、と常々考えています。
教師の本分は教科指導、そして生活指導にあります。ですから部活だけに力を入れるのは方向性が間違っているのではないかと危惧しているのですが、まあそういう先生も現場には必要なので措くとして、生活指導の面で部活が必要だという論もあります。上下関係の築き方、マナーなどを学べるとかそういうやつです。けれどそれって、部活だけで学ぶものなのでしょうか。私は授業でも普段の休み時間でも、学ぶ機会はあると考えています。だから部活は「ガツガツやりたい」派と「自由にやりたい派」でゆるくグループ分けをしたほうが、教師にとっても生徒にとっても幸せなのではないかと思うのです。
生徒指導が厳しい学校だったら、私たち文芸部は確実にアウトです。学校でゲームやってますからね。けれどそういうのを許容してくれる「緩さ」がある学校だったので、そんなに気づまりせず3年間楽しく過ごせたんだと感謝しています。
だめなものはだめだと言う芯の部分の厳しさと、ある程度緩く温かく見守る優しさと、匙加減が難しいですが、そういうバランスの取れた指導のできる教師でありたいと思う毎日です。
みんながみんなビシバシ言っていたら体罰も容認されやすくなるだろうし、何より教師が疲れます。だから私は高校時代の恩師たちのような「まったり」な先生でいようと決意したのです。
まったりな桃ちゃん先生は何部かな……文芸部もいいけれど、美術部とか手芸部とか家庭科部もいいな……といろいろ考えています。
父も教師なのですが、昔からプレー経験のあるバスケ部を「ゆるく・厳しく」コーチしているそうなので、いずれやってみたいですね。
そんな感じでこのお話は終わりです。それでは、また。