ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

心に棲む「鬼」の話

今週のお題「鬼」

 

節分の日は特に何事もなく過ごしましたが、母は学校給食でイワシが出てしんどかったそうです(魚介類が食べられない)。どうも星野です。今日は節分にまつわる話をします。節分と言っても、そんな直球は投げません。桃ちゃんのセオリー。

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人間の心には「鬼」が住んでいます。それは形を持たず、常に心の隅っこの方でうずくまっていて、時折闇に手招きしてくる厄介な存在です。

鬼嫁、という言葉がありますね。怒ると怖い奥様をこう形容するわけですが、その形容をしたあなた(旦那さん)の心にも、鬼って住んでいますよね? と思うのです。

鬼とは何なのか。彼らは様々な文献に登場しますが、その姿形は様々であり、能力も文献や民間伝承によって異なります。「泣いたあかおに」のように、ピュアな心を持った鬼も存在している、というお話もあります。しかしおおむね鬼とは、昔から「得体の知れない畏怖の対象」のイメージが強いようにも感じられます。

私の心にも鬼は住んでいて、誰かの不幸を願ったり、誰かを妬んだりするとひょこっと顔を出します。誰よりも人情に詳しいそいつは、私の心の小さなひずみを必要以上に大きくして、心の安定を崩しにかかります。感情が暴走することを、人は「鬼に憑かれた」と呼んだのかもしれません。復讐の鬼、という言葉もありますし。

精神病理のお話では、「鬼」として知覚できる存在は「ヨソモノ」のことを指すのだそうです。「あいつは俺たちと違う」「あいつはおかしい」――そう思った瞬間に、「人間」だったものは「鬼」に変わります。差別意識は同化の意識と表裏一体に表れます。恐ろしいことに、小学校低学年の子どもでも差別意識の芽生えはあるそうで、いじめに発展することもしばしばあります。大人はそれを制御していますが、子どもの場合はそうもいかず、「鬼」をのさばらせてしまうことが多いのです。

「鬼」とは人だったもの、というのは昨年大ヒットした某マンガでも描かれていた内容ですが、鬼と人は不可分のものなのです。だからこそ私は、心の中に住んでいる鬼と、できるだけ和解しながら過ごしていきたいと思っています。力づくで押さえつけるのではなく、やまとうたのごとき柔らかな言葉で対話していきたいです。「目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ」ることができれば、きっと仲良くできると思うから。

「未来のことを話すと鬼が笑う」という言葉もあります。彼らはニヒルに「そんなの叶うわけないだろう」とあざ笑っているのでしょうか? 私はそうではないと思います。きっと、「ああ、そんな未来が訪れたらいいね」と肯定してくれる穏やかな微笑みだと信じたい。鬼だからと避けるのではなく、共に生きていく存在として受け入れたい。そんなことを思いながら、私は今日も「作業の鬼」と化して仕事をしていました。皆様もほどほどに力を抜きながら頑張りましょう。それでは、また。