ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

なぜ本を読むのかについて

今週のお題「読書の秋」

なぜ人は本を読むのか。そこに本があるからだ。そんなことを言っていても仕方が無いので、私の大好きな読書について語らせていただきます。

活字離れから独学ブームへ

若者の活字離れが叫ばれた2000年代から20年が経ち、現在では「鈍器本」と称される分厚い書籍が売れているという話もあります。そして誰も予想していなかったであろう、復刊ブームも現在来ております。私は辞書のように使っている読書猿氏の「独学大全」「問題解決大全」などはお金を出して買ってよかったと思える本でしたし、以前の記事で紹介した「クリティカルワード」などもお金を出した以上の価値がある一冊でした。その流れで「現代文解釈の基礎」も購入予定です。それでも話題になっているのは一部だけで、大部分の学生は本を読まずYouTubeTikTokなどで時間を潰している現実があります。この温度差は何に起因するか、ちょっと考えてみたのですが、思うに「学ばなければならない何か」をいかに持ち続けられるか、というところにあると結論付けました。

本を読むための素地

本は通読しなくてもいい、積んでもいい、とにかく読みたくなる時が来るから……という大勢の先人による知恵もむなしく、学生はみんな動画で手軽に得られる情報で満足しています。彼らと話をしていると、あまり上昇志向がみられないのですよね。仲間内で通じるネタとノリで生きている。だから、別に賢くなろうとか上に行こうとか考えたりしない。千葉雅也氏の「勉強の哲学」を読ませてやりたいと何度思ったことか……生徒たちは狭い世界に生きているのです。大学もだんだんと就職の予備校みたいになってしまっていて、我々が知識の大海に漕ぎ出すきっかけが、もう失われつつあるのかもしれないと思うようになりました。悲しいけれど、それが現実。しかし、現場の教職員の多くはそれを看過せず、なんとか子どもたちに学んでもらいたいと様々な方法でアプローチしています。

本を読むのは自己変革のため

狭い世界に安住できなくなった時、人は本を手に取るのだと思います。それがビジネス書であれ、自己啓発本であれ、その内容と質についての議論は措くとしても、何かのきっかけになって本を読む習慣がつけばいい。私はそんなふうに思いながら国語を教えています。他にもくずし字解読アプリ「みを」の開発などで古典の世界は大きく変わりましたし、それをきっかけにして古典籍に興味を持つ子もいるはずです。些細なことからでも本を読むように、大人が姿勢を示さなければならない。きっと大人だってわかっているのでしょう、本を読まないといけないということは。けれど読まないのは、時間が無いからとかではなく、「変化が怖い」からだと思うのです。読んだら読む前の自分のものの考え方には戻れない。だから読まない、知ろうとしない。私はそれに異を唱えたいと思います。変化を恐れていては時代に取り残されるばかりです。学ばなければならない何か、はなんでもいいのです。カッコつけたいからでもいい、とにかく学ぶことの抵抗を減らしたい。そのチャンスが、独学ブーム全盛期の今なのです。だからこそ私は、「本を読むこと」を推奨するのです。本が唯一の情報源でなくていいから、とにかく多様なメディアに触れて、自己を成長させてほしい。そんなことを思いながら、今日も教えることに向き合っております。変化が怖くても、飛び込んでみたら案外面白いかもよ? 怖いと思うから及び腰になるのであって、自分を変えたいなってプラスの方向で考えてみるといいのかもよ? と、私は読書をしながら生徒に伝える仕事をしています。大人の皆さまも、ご自身が本を読む姿勢、本を買う・図書館に行く姿を見せて、本に触れてみてください。きっとあなたを待っている一冊があります。