ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

佐藤可士和展 レポ

今日は芸術の話をします。どうも星野です。すっかり遅くなってしまいましたが、4月に行った佐藤可士和展のお話を。途中で閉幕してしまったのが本当にもったいないくらい、すごい展示でした。

 

佐藤可士和。それは広告のグラフィック、アイコンなどを手掛ける稀代のデザイナー。ユニクロ楽天も、みんな彼の人の生み出した作品です。街中で見かけるものが六本木の国立新美術館の展示室にみっちりぎっちり詰め込まれていました。ちょっとカオス。「え、これもこの人の作品なの!?」と驚くばかりで、いかに人間の認知が固定観念に縛られている(むしろ、無意識的に集団が好むデザインの傾向がある)のかとびっくりしました。石岡瑛子が独特の世界観で圧倒するならば、佐藤可士和は日常生活に溶け込むことで不特定多数の支持を得ている感じ。どちらも異なる方向に、才能が尖っています。

私は個人的に「機能性」と「美」は両立すると思っています。それは、だいたい自分が見てきた美しいものは機能性を備えていたからです。アートの世界で言う「デザイン」と、機能性を求めた「デザイン」は異なることは理解していますが、重なる部分はある程度存在すると考えています。だからこそ、アーティスティックなデザインを見ることも、自分の板書や作品に活かせるのではないかと足を運んだわけですが、何より強く感じたのは「簡潔さ」が大事なのだ、ということでした。

教壇に立って3年が経ちますが、私の授業は回りくどい言い方や長すぎる説明が多くて、生徒になかなか伝わらなかったです。その理由が本能的にわかりました。つまり、「情報が多い」。これは何を示しているのか、単純な方がわかりやすいのは誰でも知っているはずなのに、何だかんだと余計なことを伝えてくる、あっちこっち視線や情報が行き来するものは、不特定多数の共感を得にくいのです。そうか、情報を絞ることも必要なのだと目から鱗が落ちる思いでした。(佐藤可士和のデザインで言えば、多くの色を使わないで、パキッとした単色で視線を引くことや、線の曲がり、角度が視覚的に心地よいものになるようにすることがそれにあたるのでしょう)

色彩・フォント・余白に気を配って、綿密に計算してデザインするという、本当にお手本になる代表作が展示されていて、絵画や彫刻を見ているときの「自分にはできないな」という感覚とは違う、自分の仕事に活かせる印象がありました。簡潔にして、鮮烈。デザイナーにも一般的な教養や、心理学のような専門知識も大事なのだと強く感じましたし、いわゆる「文脈を読む力」――何が今の時代に求められていて、自分のすべき仕事は何なのか、見極める力と言ってもいいでしょう、それが普遍的な美を生み出すのだと思いました。計算されているのに自然に見えるのが、デザインの本質なのかもしれない。そうして生まれたものは、訴求力が異常に高くなるのですね。非常にエキサイティングで楽しかったです。

次回は「ファッション・イン・ジャパン」やデザインフェスタギャラリーに足を運びます。それも勉強になると信じて。それでは、また。