ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

【過去記事】第1~3回TRPG勉強会について

この夏はたくさんの「はじめて」に挑戦しているのですが、今日無事に自分で企画・実行した「TRPG勉強会」が終わったのでほっとしています。どうも星野です。TRPGは楽しいよ。みんなもやってね。という気持ちを込めて今日のシナリオ・反省点についてご報告したいと思います。

概要

本日は小学校教諭・大学職員・フリースクール職員等々、ひとくちに教育関係の仕事と言っても完全にフィールドの異なる4名で遊びました。シナリオは人気アイドルグループ・欅坂46のヒット曲「サイレントマジョリティー」から引用したもので、いじめをテーマに様々な背景を持ったプレイヤーが「自己と向き合う物語」を紡いでくださいました。
TRPGをやっていて非常に感じるのが、ひとつとして同じ作品にはならない、ということです。同じシナリオで遊んでも、プレイヤーによってキャラクターのメイキングから差が出ますし、当然と言えば当然なのですが、演技していくなかで勝手に物語が転がっていって、時に執筆者の想定を超える結末を迎えることもざらです。そこがTRPGの一番面白いところですし、最大の魅力と言っても差し支えないと思うのです。
今回は初心者の方もいたのでみんなでサポートしていたのですが、こうして協力できることもソーシャルスキルレーニングにうってつけかな、と思うこともあります。

今回のシナリオはいじめの問題を扱い、キャラクターたちが自らの過去を清算・昇華していく「自己再生」の物語だったのですが、フリースクールの先生からは「ケア」と「セラピー」というお話がありました。いわく、「セラピー」とは具体的な治療――すなわち「苦しいことに向き合って、そこから回復を目指すもの」であるとのこと。私も知らず知らずのうちに自分の過去を書いては、仲間たちに癒してもらっていた経験があったので、すとんと腑に落ちる感覚がありました。フリースクールの生徒さんの中には、いじめを受けて学校に行けなくなってしまった子もいるそうです。そういう子たちの顔が浮かんだ、追体験できたのかもしれないとプレイした後におっしゃっていたのが印象的でした。
語ること、というのは人間の本能的な欲求なのかもしれません。自分の身に起きたことを、何かの形で昇華させてのみこむことをしないと前には進めないのでしょう。実際にフリースクールの生徒さんは、語る機会を与えると真剣に自分のことを語るそうなので(私も闘病中、似たようなことがありましたし)、こうしてオブラートに包んでつらいことを吐き出せる場にTRPGがなればいいな、と思っています。

一方で小学校の教諭の方とは「評価」と「道徳性」についてお話ししました。TRPGの活動を評価する観点がない、という話をして、シノビガミなどにある「琴線に触れるロールプレイをした」というのはアリなのか、と聞いてみたところ、あれは評価にならないと言われて若干ショックを受けました。いい案だと思ったのになあ……。しかし、「考える姿勢を見せた」「考えるようになった」だけでも道徳の観点からいえば「十分評価できる」状態なのだそうです。その場で考えが変わらなくても、何十年も経った後に思い出すことになったとしても、「考える」という行為をしていれば十分なのだ、とおっしゃっていました。その観点でTRPGの評価規準を考えられないかな……と現在模索中です。道徳と国語は違うので、観点は異なるのは当然ですが、「考えること」「表現すること」を観察するのは国語科でも取り入れたい視点だと思いました。
また、ソーシャルスキルレーニングの観点(特別支援の観点)からは、誰かと協力して物語を進めたり、話し合いをしたりするのは重要なので、クトゥルフ神話TRPGというよりはソードワールドアリアンロッドのほうが向いているかもしれない、とのことでした。確かにクトゥルフ神話TRPGは小学校では難しいよなあ……。

大学職員の方からは、この大学のオンライン化の波に乗って、たとえば教育学部の学生さんに「オンラインセッションをやってみての考察」などのレポートを課すのもありなのではないか、というお話がありました。ただ、大学は大講義室で行う授業がほとんどのため、なかなかTRPGを授業で取り入れることは難しいかもしれない、というご意見もありました。ゼミのアイスブレイクや、就活などの補助にはなるかもしれないけれど……ということで、まだまだここは導入するために解決しなければならない問題がいくつもあるような感じがしています。

私は前回の記事にも書いたように、授業ではナラティブ――すなわち「じぶんごとにする」(物語でも、評論でも、詩歌でも、極論すれば自分自身の内面でも、それを語ってゆくなかでじぶんのことばにして理解を深めたり、問題意識を持ったりする)ことを目指したいので、そういう意味では「TRPGに教育的価値があること」に対する手ごたえのある会でした。
物語を楽しみながら学んでいくことに価値があると思うので、これからもTRPGを教育的利用していくために奔走する予定です。お力やお知恵を貸してくださる方がいれば、ぜひよろしくお願いいたします。それでは、また。

 こちらが第2回の記録です。すごく楽しかったので、参考にしてもらえたらうれしいです。

概要

今回の作品には、コンセプトとして「リアル《図書館》ロールをするクトゥルフ神話TRPG」というのがありました。
この《図書館》ロールとは、書籍がずらーっと並んでいる中で本を手に取り、開いて中身を読むという行為を指します。書物に書かれた情報を読み取る読解力、そして情報に優先順位をつけて整理する能力――それが《図書館》ロールです。それを教育利用する前例を、図書館総合展で知り合った格闘系司書さん(Twitter→@librarian3)に教えていただきました。学校教育で取り入れるのにピッタリの設定ですよね。国語科との親和性、図書館活用や読書教育にも活かせる。素晴らしいです。こちらの前例はシナリオのネタバレがあるので、ちょっとこの場で公開はできないのですが、格闘系司書さんのTwitterやブログに掲載されているので、気になる方はぜひ。それと一緒に「みんなで本をもちよって」というゲームの要素も一緒にしました。これは参加者が1冊の本を選択し、その中の言葉を使って場面にぴったりのフレーズを探し出し、発表します。その出来栄えを投票によって競うのがこのゲーム。「最後のシーンに『みんなで本をもちよって』の要素を入れる」ことを決めて、今回のシナリオ制作に至りました。シナリオはpixivとFantiaに加筆修正したものを掲載しています。いちおうリンクを貼っておきます。

遊ぶ時の注意点と反省

シナリオを遊ぶにあたり、プレイヤーが各自で1冊パートナーとなる本を選ぶのですが、詩歌や海外文学まで様々なものが出てきました。しかし詩歌を選んだ方はちょっと苦戦したようでした。あまりおすすめできないかも。それでも今回はプレイヤーの方が非常に素敵な発言をしてくださいましたので、なんとかなりましたが、ちょっと厳しいものがあると思いました。初心者向きではない。
そしてこのシナリオは、選んだ1冊の作者について詳しく調べるのも大事になってきます。詳しければ詳しいほど没入できるので、キャラクターの作りこみを頑張りたい方は《コンピューター》ロールで。
また、このシナリオはハンドアウト(クトゥルフ神話TRPGにおいては「特定のキャラクターに配られる、他のプレイヤーには秘匿された個人情報」という扱いです)があります。これがシナリオの中に生まれたのは本当に偶然で、あるプレイヤーの方が小説内のキャラクターを造形したので、私がその場でシナリオを改変したところ、大変好評だったのでそのまま公式設定にしてしまえとなったのです。非常にドラマチックな演出ができます。FF10とかペルソナ3が好きな方は絶対に泣いてくれると思う。

他にも、時間経過によるバッドステータスで、発狂演技を重厚にできるシナリオにしました。これもあるプレイヤーの方がかなり緻密に演技してくださったのがきっかけで、他のプレイヤーからも絶賛され、そして私のシナリオに組み込んでみたらどうかと打診があったので入れました。見ている側も演じている側も非常に楽しいです。恐怖感もあおれるし、クトゥルフ神話TRPGをやっているときの醍醐味って感じがします。

今回はリアル《図書館》ロールということだったので、様々な作品を読みこんでもらい、作者についても詳しくなれたし純粋に楽しかったというお声をたくさん頂戴して大変うれしかったのですが、忘れてはいけないのが「TRPGはみんなで作る物語」ということです。同じシナリオを遊んでいても、プレイヤーが変われば結末は変わるし、話が予想を超えて広がっていきます。この「物語がじぶんたちの想像力と、そして場の力学によって勝手に動いていく」感覚を強く感じてくださったプレイヤーさんもいらっしゃいました。作品を生み出す過程でどんどん話が転がっていく感覚を、作家は知っているのですが、なかなか創作をしない人には伝わらないので、こういう活動を通して理解してもらうのもアプローチとしてはいいのかもしれません。
作品や作者と向き合うことに繋がる、というご意見もいただいて、それはまさにその通り、と思っていました。私も各プレイヤーさんのパートナーになる作品と作者を徹底的に調べ上げ、そしてシナリオ中に登場するギミックの小説も一通り読み……と、制作にはひと晩かかりました。普段は1時間くらいでさらっと書くのですが。原稿明けの朝焼けが目にしみる(寝なさい)。それでもみんなで推理しながらひとつの物語を正しい終わりに導こうとしてくださったのは、作者冥利に尽きることだと思っています。私の執筆の過程でも、書籍やコンピューターで得た様々な情報を組み合わせたのですが、作中での推理でもそういった情報を組み合わせられる環境を整えられると良いな、と思いました。今回はオンラインでのセッションだったので、まだ何とかできました。学校だとやっぱり図書館でやるのが一番いいのだろう。同じ本(たとえば夏目漱石の「こころ」など、教科で扱う長編作品)を全員で使って、「もちよって」のフェイズで違う場所を持ってくるのも面白そうだし、参考文献としていくつか候補となる書籍を指定してしまってもいい、というご意見もありました。

勉強に繋がるTRPG

総合すると、読む・書く・話す・聞く、すべての技能を活用するのがTRPGなのだなと思いました。国語表現で実践したい。来年度こそ国語表現を担当できますように。その導入の仕方にもコツがあると思っていて、書くのが苦手な生徒にはどう対応するかとか、キャラクターを演じるのが恥ずかしい子をどうするかとか、今もいろいろ考えています。一番いいルートは、トランプの「ナポレオン」でウォーミングアップをして(このゲームのいいところは、学級内のヒエラルキーで下層にいる生徒がナポレオンになったとしても、補佐官をカードで1~2人選ぶので、勝ちたかったら嫌いな相手でもサポートしなくてはならないのです)、その後ワンナイト人狼だとかキャットアンドチョコレートだとか、ディベート形式でやりとりするゲームを遊びながら「雄弁に語る方法」と共に「しゃべらない方がいい時もある」という教訓を得て、最後に生徒だけでTRPGのシナリオを書いて遊ぶ……というもの。最悪学級にいじめがあったら……と思うと足踏みしそうですが、これをきっかけに仲良くなればいいのかなとも思います。

小論文や読解、国語科のほぼ全体をカバーできるのがTRPGの良さです。小論文もそうだが、この遊びも本質的には「対話」を重視した活動である、と語ってくださった参加者の方がいらっしゃいました。「対話」というのは、文学作品と向き合う、小論文の出題者と向き合う、TRPGのシナリオに向き合う、そして相手と向き合う……書くことや読むこと、話すこと聞くこと、そういったコミュニケーション能力を使う行為を「対話」と呼ぶならば、TRPGもまた教育に含まれるものとして位置付けることは可能なのではないか。私はそう思っています。これからもTRPG勉強会を実施する予定なので、気になった方はTwitterにて私とコンタクトを取ってくださればと思います。それでは、また。

 ここからが第3回、「TRPG勉強会の反省」です。実はやっていたのですよ。2回やったので、忘れる前にメモ書きしておきます。概要第3回はダブルクロスという、異能力バトルものを遊びました。これはキャラメイクに時間がかかるので、事前に作成されたサンプルキャラを使用してセッションスタート。そして私は珍しくプレイヤーでした。友人がシナリオを書き下ろしてくれたのです……ありがたや……
物語はアンドロイドの歌姫と、彼女をめぐる陰謀を解き明かし、最後に歌姫を救い出す、というもの。プレイヤー同士の交流も楽しかったですし、醍醐味のひとつなのはそうなのですが、NPC(ノンプレイヤーキャラクター。進行役が操作するキャラ)との交流も心温まる要素となっていて素敵なシナリオでした。アンドロイドの歌姫に人間の感情や生活を教えていくのですが、教員2人がプレイヤーのため、どんどん教育的な要素が入っていく面白展開をたどりました。ただ方向性が違ったので、それもまた、中の人がにじみ出る良い味なのかなと思わせてくれました。

論点の整理

ここで話題になったのが、「没入感」と「多様な能力」についてでした。
参加してくれた教師の方は、右も左もわからず、TRPGという言葉も知らないような人でした。だから最初はかなり不安だったそうです。何をするのか得体が知れない……これはどのTRPGのシステムも抱えている「作品世界の魅力をアピールできていない」あるいは「最近スポットが当たっているとはいえまだまだマイナーゲームである」という問題の発露なのですよね。こんな面白いなんて、時間が溶ける! と楽しんでくださったようで非常にうれしかったですが、この「敷居の高さ」だけはTRPGをプレイしているすべての人で協力して、何とか打ち破っていかなくてはいけない課題だと思いました。こんなに楽しくて教育利用できるなら、知られていてもいいのに!
また、TRPGは文脈を読む能力も求められるし、それに対してうまい切り返しをするスキルも要求されるし……と、国語科の4技能すべてを網羅したような形での授業が展開できそうだ、というご意見を頂戴しました。そうなのです、TRPGは与えられた物語を「読んで」そこに「書き加えて」さらに「演じる」ものなのです。だからすべての技能が伸びますし、扱うシステムにもよりますが話を書いたり読んだりという相互交流の最終形態のような部分もあるので、ぜひ国語表現の授業に取り入れて頂きたいと思っています。
ただネックになってくるのが「制限時間」と「評価」の問題です。50分授業だとしても1本シナリオが終わるかどうか、という感じなので、場面ごとに区切って演じるのはどうだろうか、というお話が出ました。それはシーンを切るシステム(アリアンロッドシノビガミダブルクロスなど)は有効なのではないかと考えています。戦闘とかね、長いし処理が面倒なのでね……
評価については、ただ発言したから良いというわけではないのがこのTRPGの微妙なところなのです。無言でも遊べるくらい自由度が高いからこそ、オンライン・対面等の場の整え方を工夫することや、発言も作品世界を壊してしまいかねないもの(いわゆるルーニーやマンチと呼ばれるプレイスタイル)は許容できないと線引きしなければならないことなど、どう評価するか・何を評価するかの規準が今の段階では整っていないのです。だから私の次の使命は、このTRPGの「評価規準をつくること」なのかな、と思っています。
もちろん相互評価・自己評価・教師の観察……でカバーできるとは思うのですが。

論点の整理②

そして第3.5回(小規模にやっていたやつ)では創作の難しさのお話が出ました。
オリジナルシナリオを書きたい(または書かせたい)けれど、どうやって書いたらいいのか、書かせたらいいのかわからないという方も多いと思います。そのため、10年で100本書いた私の経験を、ちょこっとだけお伝えします。 
最初に書いたシナリオは、粗が目立ってひどいものでした。目も当てられないし今さら掘り返されたら羞恥で死にそう。けれど、互いに交流することで次第に書く能力が伸びていきました。(うちの卓では遊んだ後に反省会をして、良かったところを悪かったところを伝えあう文化がありますが、これをやると自分のシナリオをもっと良くするために大事なヒントを得られるだけでなく、モチベーション維持にもなります。)
あとは数をこなす。ターゲット層の見極めやテーマ設定など、その人の心に突き刺さるテーマを考えなければいけないのですよね。それの勘どころがわかってくるまでに私は10年かかりました。学校でそこまで極めるのは難しいので、やるなら1回くらいになるのかな。それでも創作のきっかけになればそれで十分だと思うので、とにかく相互交流して意見交換をしていくことをオススメします。まだまだTRPG勉強会は続きます。あと数回あるのでシナリオを書きに行ってきます! それでは、また。