ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

2021年3月実施・第1回実践報告会について

 力量不足がお恥ずかしい限りです。どうも星野です。今日は19日に私が主催した「実践報告会」についてのレポを書きます。結局身内しか集まらなかったので、次回こそは教員の比率を上げたいです。今回は私の実践がメインになったのですが、以前の記事にも書いた通り、この1年で結構な数の実践をこなしたものの、すべてが中途半端に終わってしまった感じがありました。ラッキーディップも「面白かっただけ」だったし、古典の批評・鑑賞については「要求するハードルが高すぎてついてこられない生徒が出てしまった」とか……本当に、まだまだ未熟だなと思っています。実践について詳しく知りたい方は、直接聞いてくださっても構いませんし、いっそ次回(ゴールデンウイークあたりに2回目があります)に来てください。真面目に身内でしか盛り上がらなかった。面白かったですけれども。

TRPGを学校で行うにあたって

 

 

今回私が特に書いておきたいことが、「TRPGの教育利用」という私の来年度やってみたい実践についてのお話です。
TRPG経験者の方が多いので、ためしにこういうことがしたいのですが……と話題を振ったところ、かなり熱い議論になりました。まず、「ゲームだから企画書が通らない」問題について。
これについては「学校側には『ストーリーテリングのワークショップを実践する』とシラバス等で報告しておいて、生徒にはTRPGをやると予告しておく」という作戦をとることにしました。なかなか遊びを取り入れるというのに難色を示される管理職もいるだろうし、実践するためには多少企画書(あるいはシラバス)に細工をしておかないといけないというご意見がありました。ただ、生徒には真正面から「TRPGをやりますよ」と伝えておかないとフェアじゃないよね、というところで最終的に落ち着きました。生徒が授業を選択する際に、内容を確認したうえでどれを受けるか自分の意思で決めるのであれば、コミュニケーションを必要とする活動があることを予告をしておいたほうが、向いている生徒が集まりやすいから……とアドバイスを頂戴しました。ただ、TRPGを授業でやるとなるとハードルが高いことも痛感しました。
まず「向き不向きの問題」。発端は、TRPGを図書館で実践した際に、何も話さないけれどその場にいられるだけで楽しい子がいた、というお話を聞いたのがきっかけでした。そこから、たとえば面白い発言をして笑いを取りたい子もいれば、できるだけ関わり合いになりたくない子もいる、けれども結局TRPGって「身内でやるから楽しいよね」となりました。初対面の人とやって、仲良くなるツールではないと。それは確かに私も思い当たるフシがありますし、もう正論なので何も言えませんでした。さらに、ダイスの出目が悪くて迷惑をかけている感じがして何だか居心地が悪かったとか、ロールプレイになじまない生徒の存在(恥ずかしかったり、いじめの対象になってしまう危険性があったり……)だとか、いろいろとお話を伺っていくにつれ、自分のやろうとしていることが途方もなく険しい道であることに気付かされました。先人もおらず、道を切り拓いていくのが私なのだと、その責任の重さに泣きそうになりました。ただ、動画などで知っているからやりたいという子も一定数いるし、図書館で実施した際には居場所の提供にもなるという事例もあるそうなので、一概に無理だとは言えないし、言いたくないし、私はそれでもやってみたいです。

 


だから、多くの解決案を頂きました。ダイスに関してはすべてシークレットにして、GMが振るという作戦があります。たとえ出目が悪くてもこちらで「成功しましたよ」と言ってしまって、楽しく遊んでもらうようにするのです。また、スタッフを大勢用意しておけば、入れ替わり自由な制度にすることもできると伺いました。そうすると「楽しくない」と思ったら抜ければいい。それに加えてギャラリー制度も入れておき、見るだけの楽しみもあるようにすると良いかもしれない、と助言を頂きました。その際、いわゆる「クイズダービー」方式が面白い、とも教わりました。要は誰が勝つか予想するやつですね。勝ち負けが関わってくると、どうしても軋轢を生む可能性は出てきますが、そこは何とかシステムを工夫すると良いかもしれないですね。
他にも「みんなでダンジョン」というひとりに責任が向かないTRPGや、「いただきダンジョン」というすべてダイスで決まる(=自己決定が難しい生徒向けの)TRPGも教えてもらいました。「図書館とゲーム部」の面々は非常にお詳しいので、本当のところを言えば私の案をたたき台にして学校の先生からもご意見を募りたかったです……次回もありますのでよろしくお願いいたします。

そして何より心に残っているのが、前回TRPG勉強会をやったときに参加者の方に言われた「これができる生徒は国語の勉強がたぶんできる」というご意見と、「私の中にビジョンがない」というご意見でした。

国語の基本は、言葉の力(こう言うと漠然としていますが、たとえば論理的思考力だとか、コミュニケーション能力だとか、国語科で養う能力ですね)を磨くことです。そのツールとしてTRPGを選択肢に入れたい、と思っていたのですが、勝手に活動だけが先行してしまって、結局私はこの活動で何を伝えたいのか、何を学ばせたいのかが不明瞭だ、とご指摘を頂きました。もう本当に、その通りです……考えが甘かった。そこでいろいろ考えたので(Twitterにも投下しましたが)ここにも画像を貼り付けておきます。ご参照ください。スクリーンショット 2021-03-19 212052スクリーンショット 2021-03-20 151236スクリーンショット 2021-03-20 151540まず、最初の「TRPGができる生徒に国語の能力が備わっているか問題」については、一概には言えないけれど、確かにTRPGでは高いレベルのコミュニケーション能力を求められるので、頭の回転が速い生徒のほうが向いているかもしれません。というか実際そういう傾向はあります。しかし実際には、「読むのは苦手だけれど書くのはできる」というパターンの生徒も想定されるので、何はともあれ観察をして「このクラスの生徒たちはどのくらいの想像力があって、どのくらい語彙を知っていて、どのくらい読書をしていて……」というのを把握する必要があると思っています。そのためにリフレクションを毎回行うのが必須ですね。生徒と緊密にやり取りをしていくなかで、一緒に授業を受けている仲間との交流・教師との交流で絆を深めてから、最後にちょっと遊んでみようか、くらいならできないことはないかもしれない。たぶん。リフレクションについても記事がありますのでご参照くださいませ。

そして肝心の、「私がTRPGを通して何がしたいか問題」。私は「書くこと」でも「話すこと・聞くこと」でも、的確に情報を伝えたり、相手をうまく説得したりする対人交渉技能を養いたいのだな、ということに気付きました。もちろんそれには、TRPGじゃなくて別のものが教材として合っている場合もあると思います。議論することはTRPG以外でもやれますし。だから「無理だと思ったらあきらめる勇気」を持ちながら、TRPGは複数ある教材のひとつである(あくまでツール、手段であり目的ではない)ことを意識しながらやっていくべきだと思いました。私が勝手に思い入れがあるからってやすやすとやっていいものではないけれど、それでも「遊びの衣をまとって能力が高まる」のであれば、私は挑戦してみたいですし、それがもともとの興味関心というか、研究のテーマだったので、頑張って実践してみたいと思います。最後になりましたが、TRPG勉強会・今回の実践報告会にご参加くださった皆様、参加しようとしていたけれど無念の欠席となってしまった皆様、あることを知らなかったから次回こそはという皆様に、最大級の感謝をお伝えして、このおはなしをおしまいにしたいと思います。それでは、また。