ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

多様性と私の仕事

ジェバンニ再来。久しぶりに音楽を聴きながら作業しているのですが、本当にノリノリになるので注意しなければならない。とにかくやらなきゃいけないことだけやろうと思ったのですが、その「すべきこと」が原稿10本くらいあって、自分のタスク管理のガバガバさを恨みました。

私は現在、うつ病を抱えながら仕事をしています。職場はそれなりに理解のある場所で、私の欠勤について責めたりクビにするぞと脅したりすることはないです。ありがたいですね。まあ、もともと多様なバックグラウンドを持つ生徒を受け入れている学校なので、精神疾患に関しても専門のスタッフがいるくらいには設備も充実しています。そんなところに転職できたのはすごく幸運なことだと思っていますし、その環境をこれから自分が整えていくのだとも感じています。

今週はあまり仕事に行けておらず、自分でも気に病んでいました。かなり落ち込んで、ふさぎ込んで、強めの向精神薬を処方してもらうなどして、今日やっとの思いで出勤したのですが、突然上司に呼び出されまして。もうバクバクですよね、遂に私はこの職場を去る時が来たのか――そう思ったのもつかの間。

「君が欠けたら学校としても困る、君もそれは本意ではない。ならば段階的に仕事に慣れてもらい、長期的に戦力として育成したい」

要約するとこのようなことを言われました。私は長らく不安定な雇用条件のもとで、授業の腕一本で働いてきました。だからこんなふうに「必要とされている」と言われたのがすごく、もう本当にうれしくて。思わず泣いてしまって、泣きながら詫びたら「謝ることじゃないよ!」なんて言われて。この職場に来てよかったな、と心の底から思った瞬間でした。

それでも、仕事の量を減らすのは他の人にしわ寄せがいくということでもあり、自分にしてみれば「お荷物」として捉えられてしまうということでもあり。それが不安で、怖くて、いろいろな人に相談したり、自分で考えたり、現在大変混乱した状態にあるのが星野の脳内です。できることなら分掌も部活も授業も、フルで頑張りたかった。けれどそれはできなかった。だからできるようにする、今できなくてもいつかできるようになるために。ここに至るまでに実に6時間を要しております。私は月曜日に結論を出さなければならないのですが、頑張り続けて再起不能になるまで潰れてしまうよりは、今はパワーをためるのでもいいのかなと思い始めています。

これは別に精神疾患で生活に支障が出ている方に限定された話ではなく、たとえば性的マイノリティとされる人々、身体的な障がいをお持ちの人々、女性、それらのカテゴリ以外に属する人々、みんなが考えなければならない問題です。私はたまたま精神疾患だったけれど、今でも偏見はすさまじいし、私は母にも人格否定を受けたので、世間様に対してはもう生きていてごめんなさい、ってレベルだと思っています(※個人の感想です)。けれど、「迷惑をかけあえる関係の方が豊か」だと思いませんか? 持ちつ持たれつお互い様で、一緒に考えて一緒に行動して、声を上げて、自分たちの権利を主張して、自分はこんなことに困っているんだって助けを求めて、頼って頼られて……そういう社会がこれからのスタンダードになればいいな、と思っています。

理由は簡単。だって、「社会のお荷物」だって思っている人がいたら、「そんなことないよ」って言ってあげたら気分が良いじゃないですか。自分の得意なことで誰かを救えたら、それだけでヒーローですよ。誰でも簡単にヒーローになるために、私はできるだけ多様な社会の実現を望みます。

私もいつか、精神疾患を持った生徒の夢を応援する教師になりたいと思っています。それでは、また。