ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

そんな珍妙な食事はしない!【ブログ限定記事】

今週のお題「ピザ」

本当に昔の話です。クリスマスの夜、某宅配ピザ屋さんに注文して届いたピザが、致命的に美味しくなくて、悲しい気持ちになった記憶があります。どうも星野です。食事の話題をことごとく拾うのに、全然食事の話にしないことに定評があります。今回も食事の話にはしません。

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イタリア発祥の料理にして、アメリカのジャンクフードとして不動の地位を築いているピザ。私はあまり好んで食べはしません。マルゲリータは好きだけれど、日本人ナイズドされた「テリヤキ」とか「カルビ」とか、そういうのが嫌いなので、食べないのです。

私の家の近所に美味しいイタリアンバルがあって、そこで食べるピッツァは非常に好きなのですが、先ほどの2種類との差はどこにあるのか。

それは「国民の伝統」に関わっていると思うのです。

マルゲリータピザは、イタリアの国旗の色を表していることからもわかる通り、イタリア人の口に合うようになっています。THEイタリアの国民食。美食の国としての誇りすら感じます。そしてアメリカのジャンクなピザも、イタリア人が見たら真っ青になるくらいのカロリーとボリュームでアメリカ人の心を鷲掴みにしています。そして日本はというと、何でも折衷してしまう魔法の国なので、照り焼きチキンなどを乗せてしまうわけですね。

高校時代に聞いた話なのですが、その土地の食べ物によって言葉の「癖」が変わるそうです。例えばよくチーズを食べる国は、もったりとした巻き舌や伸びる音が多い。中国の四川料理等の辛い食べ物を食べる国は、発音もはっきりと、短く、鋭い音が多い。日本はというと、「しょうゆ」の国なので、さらさらと引っ掛かりのない静かな音が多い。何かの本に書いてあったそうです。

この話の真偽は措くとしても、それに似たような経験はあります。日本語教師の資格取得を目指して勉強していた大学時代に、言葉や文化の違いに直面する場面が多かったのです。

例えば中国人の同級生は、「不味い」とはっきり言います。気に食わないものは何でもストレートに「嫌い」と言います。それは日本人から見たら「オブラートに包んでほしい……空気を読んで……」と言いたくなるところでもあるのですが、中国は人口が多いので自己主張が激しくないと埋没してしまうそうなのです。だからあの子も、あんなにキツイ言い方をしていたのかな、と思い返すようにもなりました。

勤務先にも以前ネパールから来た生徒がいて、英語のスピーキングはかなり上手かったのですが、国語の成績はビリから数えた方が早いくらいにひどかったです。彼は日本語のなかでも、書き言葉を学ぶことにあまり意義を見出していなかったようで、どうせこの先は就職するし……みたいな感じで授業を受けていました。しかしそういう生徒にどうかかわってあげたらよかったのか、今でもたまに悩みます。なぜかって、学歴社会の極まった現代において「書き言葉がするする出てくる」というのはひとつのステータスだからです。書き言葉を武器に働いている教え子もいますし、書くことを重視した授業を今までやってきてよかったな、と思うことも結構あります。

国民性の違い、お国柄の違い。そして、そういう異なる文化的背景を持ったひとたちが日本にやってきて、できるだけ幸せに暮らすためにはどうしたらいいのか。ピザに照り焼きチキンや焼き肉を乗せ、ハンバーガーではなくご飯にきんぴらごぼうを挟むような国で、彼らは果たして自分の国の料理を口にして「美味しい」と感じてくれるのか。そういうことを最近考えています。

もともと私が日本語教師(これも資格の要る専門職なのです)の勉強をしていたこともあり、私はできるだけ「海外にルーツを持つひとたちの持つ、固有の文化を尊重する」ことをしてあげたいなと思っています。そのためにはまず、私が「照り焼きチキンの乗ったピザ」を許容しなければならないわけですが。道のりは遠い。

ピザとお国柄のお話でした。それでは、また。