ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

教壇に立ち続ける・番外編 生徒を「カルチベート」する【note・ブログ共通記事】

やっと今、提出課題の採点をオンラインでしてみました。前向きに取り組んでいる様子で嬉しいです。どうも星野です。

近日中に、noteに以前アップロードしたpptxに、声を吹き込んでみたものを再度アップロードしてみます。ツイキャスもできたらいいな……余裕はあるのか……?

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来月のクレジットカードの明細を見て卒倒しそうになりました。分割払い……分割払い……。minneFantiaはこちら。今はエアコミティアもやっていますのでぜひ。

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今日のテーマは、今まさにやっている「オンラインでの採点でわかった、私のやりたい教育」についてのお話をしたいなと思っています。

私の勤務校ではgoogle classroomを使っているのですが、なかなかどうしてコミュニケーションが取れない。私はすべての生徒にコメント(提出してくれたことへのお礼としてのお返事)を書いているのですが、まあそこでもいろいろと曲解してとらえる生徒があとを絶ちません。

私の物言いの問題もあるかもしれません。いいところを褒めますが、「余力があれば調べてみてね」とガンガン高負荷なことをさせまくるので。しかし彼らは教師の言うことが絶対で、自分は言われたとおりにするだけ、と思考停止しているような節も見受けられました。そのなかでも食らいついてきた生徒もいましたが、ごく少数派です。

私はそれが残念でなりませんでした。自ら考えるために、成長するために、勉強をするのに……。

そこで今日のお昼頃リツイートした、太宰治の「正義と微笑」を引用します。

https://twitter.com/ha_suuuuuu/status/1261833139099283457

 

ここでは終始「勉強とはいいものである」と、太宰は語っています。人格の完成、教養の深まりで身を助けられたことがあるひとにしか紡げない言葉で、太宰は「カルチベートされることが大事」と説きます。

cultivate――すなわち農耕すること。耕すこと。そしてそれが「カルチュア」すなわち文化のもとになると太宰は考えていたのだろうと、私は読み取りました。

私はいろいろな記事でさんざん言っていますが、教育は農業と同じだと思うのです。いや、太宰に感化されたからというわけではなく。

勉強したことが役に立つかどうかはわからないし、役に立つだけが勉強でもないだろうし、それより職業訓練のために学問が存在しているはずがないし。

けれど確実に、私たち教師が蒔いた知識や技術、教養という種がいつかどこかで芽吹き、大きくなって児童生徒たちに花や果実などをもたらすことになれば、教師は本懐を遂げたことになるのだと私は常々感じていました。だから教育は農業と同じで、畑を耕す(学びの土台作りをする)、水をやる(知識や資料を与える)、雑草を抜く(生徒指導などの人格の陶冶)といった活動が根っこにあると考えています。

それをこうして、敬愛する太宰が書いていたことに(遅まきながら)気づいてうれしくなり、と同時に自分の今置かれている状況を考えて悲しくなりました。

生徒たちは自分に与えられたものを、たいして咀嚼もせずに丸呑みして、自分の力でかみ砕いて理解しようとしていません。

というか、それまできっとかみ砕く必要がないほど柔らかい、耳ざわりの良い量産型の知識や技術しか与えられてこなかったのでしょう。それは教師側の責任です。

私は全日制では新任です。非常勤で立場も危ういです。しかし横並びと確実な進級を絶対視し、生徒の実力が本当についたかどうかを測ろうともしない、勉強は二の次の学校を、私は許すことができそうにありません。そんなことで生徒を大学や就職先に送り出していいわけがない。過度に厳しくはしません。それは自分に課した制約です。しかしやわやわの知識と教養を与えられ、温室育ちをしている生徒に、何かひとつでも「自分の力で学び取ったこと」を身につけてほしい。そう願わずにはいられませんでした。

 

だから私は、今年度こんなことをやります。

①自分の力で考える力を養う(全日でも授業の終わる直前の5分で、ノートにリフレクションを書かせ、単元ごとに提出・採点)

②机間指導の徹底(今年度は45人いる学級もありますが、自分の頭でひたすら考えることをさせるため、発問数を増やし、それをノートに書かせるか、発言させてマインドマップを作る)

定時では場面緘黙症の生徒もいたので、書くことに比重を置きましたが、全日は活発な子が多いと聞くので、発言させてみたいと思います。

彼らの常識をぶち壊す授業をします。横並びもある程度大事にしますが、絶対に生半可な知識で外に出すことはしません。そう誓いました。

生徒を「カルチベート」する授業を構想していきたいと思います。それでは、また。