ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

教壇に立ち続けると決めた日【note・ブログ共通記事】

朝から大掃除大会をやりました。すっきり。どうも星野です。今日は「国語教育と批評」という視点で語っていこうと思います。

11本プロジェクト進行中。いいなと思って頂けたらサポートをお願いします。お賃金は相変わらず少ないです……。

minneはこちら、Fantiaはこちら。

 

テクスト理論を応用した授業を、昨年度手探りながらも実践してみて、個人的には手ごたえがありました。具体的には生徒の作品に対する見方の変容、あるいは価値観の更新があったからです。それがほんとうに生徒にとってよいものなのか、一概には言えないと思います。しかしそれによって楽しく国語を学び、かつ社会に出ても通用する批評的な視点を身につけられたと考えています。ですがこの度、改めて古田尚之氏の著書「国語の授業の作り方」を読み直しまして、批評することが目的になることの危うさを感じたことが執筆のきっかけです。

その本によれば、文学批評を授業に取り入れることについて、「理論の援用をすることはよい」としたうえで、「『テクスト』は、ある作業、ある生産行為の中でしか経験されない」という一節を引用し、テクストを構成する運動は横断的であるとしていました。私の教えたことは批評のやり方でしたが、そこから先の「目標達成」の部分が抜けていたな、と反省した次第です。理論はあくまでもサポートで使用するのがよい、というか、理論の効果を自覚的に利用するのが大切なのだ、ということで、少し方針を変えました。

 

文学批評の手法を利用するという基本的な方針は変わりません。勤務校の生徒の半分は大学進学しないため、教養を身につけてもらうこと、そして批評的にものを考える力を身につけてもらうことは必須だと考えているためです。ですが理論に頼りすぎる・教えすぎるのではなく、何かに気付くためのきっかけにするようにしようと思います。掲載された作品を工夫して教材にする、そしてその先に教材と出会った生徒がいる。そのことを忘れずに「生徒が出会ったうえで何を考えるのか」を引き出す授業にしたいなと。ただ、知識をつけることもそうですが、「社会的秩序」の枠にはまることとそこから自由になる方法も教える必要がありそうです。その関係で目標を再度見直すことにしました。

 

目標は「批評的な視点を生活に応用すること」。ちょっと初等ちっくですが、勤務校の生徒のレベル的にはこれがいちばんいいのかなと思っています。批評を学び、応用した結果自分がどんな思考のフレームを持っているかに着目させることが狙いです。思考のフレームに自覚的になったら、今度は様々なフレームを使い分ける。そこまでいけたらよいなと考えています。

 

具体的な授業の案です。現代文の場合。

小説から詩歌、評論まで様々な作品を読み、一学期は批評の方法を学びながら自分なりに読んでみて他者と交流する。目標は「批評するための思考法を培う」こと。二学期以降は批評のフレームを応用したり疑ったりする題材を読んで「自己を見つめなおす」能力と「ことばへの敏感さ」を高めていく。最終的には思考のフレームを疑ったり拡張したり、自分で使いこなせるようになってほしい。そんなことを考えています。

 

古典の場合。

古文単語や文法を理解しながら、物語を味わうことで「作品の価値」を自分なりに構築していくのを目指します。必ず文学史や読解(単なる品詞分解に終始するのではなく、読み取った内容を現代の価値観・自分の価値観と照らし合わせて、作品の「メッセージ」を理解する)活動を入れるつもりです。今年は古典の持ち時間が多いので、全日の生徒のレベルやモチベーションがどの程度なのかまだわからないながらも、知的に高負荷なことをさせたいと考えいます。ただしちょっとだけ背伸び、を徐々に長くさせるようにしたいです。

 

古典の批評本も買い集めたので、読み進めながら教材研究に努めたいと思います。今週職員会議があるので、方針のすり合わせもできればいいなと思いながら職員会議に向かいました。

 

9時から17時まで飲まず食わずで会議しました。ヤバさしか感じない職場ですね。しかしお賃金は少ないという。そこで得られたいくつかの情報をもとに検討してみました。

 

私の勤務校はとにかく面倒見がいいのが特徴です。良くも悪くも。

課題提出期限も容易に伸びるし、補習もたくさんやらせるし、生徒に対して厳しく規律を守らせる一方で「絶対に見放さない」のがうちの基本方針です。

そのため入学者数が増えたらしいのですが、その面倒見の良すぎるところを逆手にとって、大部分の生徒はずるいことを考えるようです。小テスト実施も、生徒の救済策のひとつではあるのですが、その実施日がずれようものなら内容を流出させるわ、自己採点させれば全部〇にするわ……現代っ子らしく甘やかされて育っています。

そして全日制は部活の盛んな学校なので、生徒は基本的に授業より部活をやりたいと思っています。そのためどうしても授業に対するモチベーションが低いです。

定時制の生徒はまた事情が違っていて、単純に外的・内的要因で学習への意欲が削がれてしまっているだけなので、「勉強って意外と楽しいかも?」と思わせたら勝手に勉強してくれました。それは他に特にすることがなかったからかもしれません。しかし全日の場合はちょっと違います。

部活という目的があるから学校には来るけれど、学業には身が入らない。勉強をしないと進学もできなければ就職もできないのに。学校の制度として、正直言って歪だと思います。

それでもご縁があったので働いていますが、内心もっと勉強のしっかりできる学校に就職したかったな、とはちらっと考えますが、贅沢は言っていられないので。

 

私の現在の課題は「毅然とした対応」と「学びの面白さを伝える」の二点です。

まず私は生徒になめられやすいので、周囲の先生方と連携して「絶対に許さないライン」を越えさせないことが大切になってくるかと思います。

そのためにまず自分が(嫌われるとか場が荒れるとか、そういう日和った態度ではなく)明確に「叱る」ことを訓練していきます。そのうえで他の先生方に相談したり報告したり、できることをやっていこうと考えています。

「学びの面白さを伝える」ことに関しては、1年間培ったノウハウを活かして、①達成感を得させる、②少しだけ背伸びを指せる、の方向でいきます。

小さな目標をひとつずつクリアして、最終的に一歩高みへとのぼらせる。それが理想です。ただ10クラス近くを横並びで指導するので、私だけリフレクションシートを書かせるという感じの授業は展開できないと思われます。単元ごとにノート提出と合わせて、書く活動をさせるならアリかもしれませんが……そこは未知数なので。

そこに気を付けながら指導していく予定です。

 

ただ心配なのは、睡眠障害が極まっている状態で5時の電車に乗らなくてはならないことと(勤務先が遠いのです)、鬼門の中学国語を担当することになったということです。

睡眠障害に関してはこれから治療の余地がありますし、まだ時間割も確定ではないので相談できそうなのですが、中学国語に関しては、中学校で経験した学級崩壊と、教育実習で遭遇したパワハラ指導教諭のせいでトラウマなのですよ……私に1年間中学生を任せる判断を下した主任には申し訳ないですが、正直に言うと怖いです。生徒が怖いし、授業が成り立たないことも怖い。心を開ける自信がない。殺伐とした授業になりそう。

それでも私は教壇に立ち続けます。何かが変わるかもしれないし、生徒によっては相性がいいこともあるかもしれないし。希望的観測ですが。私もトラウマと向き合うときが来たのですね。ここで変われなかったら教師の名折れだと思って頑張ります。まずは早起きからかな。それでは、また。