地味なハロウィンすらなかった。連日栗やかぼちゃのスイーツを堪能しています。
どうも星野です。
今回の内容は、現在上野の東京国立博物館で開催されている「正倉院の世界―皇室が守り伝えた美―」展に行ってきたよ、というレポです。
会期は11月24日まで、金曜日と土曜日は21時まで開館。月曜休館、ですが11月4日は開館します(その代わり翌日が閉館日)。
歴史の授業でなんとなく覚えている、というひとのために正倉院についておさらいを。
奈良・東大寺にある宝物保存庫が正倉院です。聖武天皇の崩御後に、光明皇后が御霊を慰めるために創設したものです。
つまり皇室ゆかりの品々が、一堂に会しているのです。
東大寺のなかでも火災リスクが低いところに正倉院は位置しています。
そのため現在にまで貴重な品々が残っているそうです。
めちゃくちゃカッコイイ鍵の展示と、森鴎外の「封勅の 笋の皮 切りほどく 剃刀(はさみ)の音の さむさあかつき」という正倉院によせた短歌から開幕します。
宝物の力で御霊を救う、と先ほど書きましたが、その内容は多岐にわたり、天皇皇后の遺愛の品からお経、香木など本当にいろいろなものがありました。
献物帳などもあり、厳重に管理されていたことがうかがえます。
また、写真がないため現物の様子を絵に表した巻物などもあり、管理に必要なことはすべてやっていた、その努力が素晴らしいなと思いました。
螺鈿細工の鏡や、『水龍剣』と号された刀剣など、清浄で邪気を払うタイプの宝物から、囲碁の合子や碁石、鳥毛の屏風などの日常生活の様子が垣間見える宝物など、どれも素晴らしい逸品ばっかり。
ただ金銀宝石で飾り立てるのではなく、すごくシンプルな中に美しさが宿っていました。
金属の薄板をはめてから漆を塗る技法(平脱)や、揮毫した文字に鳥の羽を貼り付ける技法など、「どうやって細工したの!?」と驚かされるばかりでした。
ペルシアからの渡来品も多く、青いガラスの器に「これが瑠璃か~!!」と感動したり、花せん(いわゆるフェルトです)のエキゾチックな文様に異文化交流の息づかいを感じたり。
個人的には香木のエリアがとても面白くて、蘭奢待(黄熟という香木の別名、天下一の香りとして珍重されたもの)の文字には、よく見ると「東大寺」が隠れていると聞いて、「天才か……」と嘆息しました。
白檀や沈水などもあって、本物の香りを感じてみたくなりました。
なんでもお香を焚くことは仏に対する最上の供養なのだそうで、現在のお線香などもそういう文脈から生まれたのかなと思うなど。
香炉も丸くてきらきらしていてかわいいです。普段使いしたい。
平安以降歴史が途絶えてしまった五弦琵琶の、世界で唯一現存するものの展示や、雅楽で用いる笙を間近で観られる展示など、かなりレアな体験もできます。
音も会場内で流れているので、風情があります。
仏教的な伝統に、音楽も位置付けられるのかもしれませんが、単に経典を残すだけでなく、雅楽を中心とした「音を楽しむ習慣」も天平から続く文化として重要なのだなと思った次第です。
そういうたくさんの品々は、名も残らない誰かがその価値を認め、大切だから残さなくてはならないという信念を持ったからこそ今に伝わっている、そういう「人間の意思」をひしひしと感じられました。
現代の技術でよみがえった楽器なども展示されていましたが、屏風の裂、塵芥から「何が保存されていたのか」「どういう姿をしていたのか」を調べたり再現したりしたひとたちがいて、今の正倉院は成り立っているのです。
最初は天皇のための、高貴な人々による贅を尽くしたものだったのかもしれません。しかし時代を超えて、その価値ある品を守ろうという想いのもとに、おおぜいのひとが力を合わせ知恵を出し合って繋いできたバトンが、この展示された品々なのだと思います。
だから私は、その貴重さをこうして伝えるとともに、未来へと託してくれた名もなき先人の努力と、現在復元や補修に携わっているひとびとの熱意をお届けするために、こうして執筆しています。
私の文章も何かの灯になり、それが後世のひとに渡すバトンとなることを祈っています。
最後に、森鴎外による展覧会最後の短歌を引用して終わります。
「夢の国 燃ゆべきものも燃えぬ国 木の校倉の とはにたつ国」
それでは、また。