ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

「家族」って……(後編)

終わらない作業。
でも自分で始めたことばかりだから、楽しみつつ。
どうも星野です。


今回は「家族」について、後編です。
教育と切っても切り離せない「家族」の現代の姿と私の希望をお話しできればと。
ではいきましょう。

 

電車に乗るとだいたい80%くらいの確率で親子連れに遭遇します。
それ自体は以前と何ら変わりのない光景です。
しかし最近は、親御さんと子どもとのコミュニケーションが減ったように感じます。
私が幼かった頃はゲームもスマホもありませんから、親と出かければ必ず何か話すことになりました。
ですが現在は電車のなかでお互い別のことをしていて、目も合わせないこともしばしばあります。


別にスマホを使うなとか、ゲームをさせるなとか言うつもりはありません。
だって親御さんの苦労は計り知れないのですから。
よく動き回る、ちょっと目を離したらすぐにでも死んでしまうような非力な存在を、外に連れ出すことの勇気と努力は推して知るべし……といつも思っています。
しかし子どもの実態として、「発話には困難を抱えていないものの、学習ができない」というのがあるのです。
それも、外国にルーツを持つ子どもたちだけでなく、純日本人の子どもでも同じことが起きているのです。

 

その原因を考えてみることにしましょう。

 

まず、現代の文明の発達。
「やかん」を知らない子どももいるというニュースが飛び交うくらいですから、生活経験が乏しい可能性が高いです。
ちなみに文部科学省の調査では、生活経験の豊かな子どもほど道徳観が発達している、というデータがあるようです。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/old_chukyo/old_gakushu_index/toushin/1315191.htm

 

また、先ほどの文明(あるいは電子機器)の発達に付随して、昔以上に知らないことに対してすぐに答えを知りたがるようになったのも、昨今の子どもの特徴でしょう。
なんでも調べて終わり。情報をうのみにするだけ。
メディアリテラシー教育の必要性が今後の課題だと言われて久しいですが、それと同時に「学習言語」の定着というのもひとつ考えてあげなくてはならないでしょう。

 

人間の持つ「ことば」には、おしゃべりで使う「生活言語」と、学習など比較的論理を重視する思考を行うための「学習言語」が存在します。
子どものそれが固まってくるのが小学校高学年くらいなので、それ以前は具体物などで示さないと本当の意味で学習ができないのです。
これはピアジェなども指摘しているところです。

 

ですから、小学生がじっくり考えたり議論したりというプロセスをすっ飛ばして答えにたどり着きたくなるのは子どもの性なのです。
実際に私が接している子どもたちはその傾向が強いです。


しかしそのままで本当にいいのでしょうか。

 

高濱正伸著「本当に頭がいい子の育て方」という本があります。
そのなかでは算数の得意な子どもと苦手な子どもで、難しい問題を解くことになったときの反応の違いを記述しています。
算数が好きな子どもは夢中になって解くのに対して、嫌いな子どもはすぐに答えを知りたがるとのこと。
勉強に対して意欲が湧かない(面白さがわからない)ことが、この問題に潜むいちばんの理由だと思います。
この問題に対して、魅力的な授業をしていない教師が叱責されるのはある意味当然ではありますが、子どもの疑問を肯定し、共に学ぼうとする姿勢を「家族」やそれに準ずる存在が見せていなかったとしたら、どんなに魅力的な授業を展開しても無意味だとは思いませんか?
子どもは家庭で過ごす時間がいちばん長いです。
だからこそ家庭における基礎的な教育(しつけ、と言ってもいいかもしれません)の重要性が浮き彫りになるのです。

 

子どもたちが、自身の抱く疑問に向き合うちからをどのようにつけさせるか。
それは様々な方法があるとは思いますが、まずは親御さんが「会話してあげること」が大切だと考えます。
「あなたはどう思う?」「どうしてそう思うの?」と子どもの疑問を深く掘り下げてあげること。
「私はこうだと思うよ」「こういう考え方もあるんじゃない?」と多角的な視点を持つための足場作りをすること。
それだけで大きく変わると思います。
もちろんこれは、親御さんに限った話ではありません。
子どもを育てる立場にある大人全員で取り組まなければならないことです。
教育することは子どもにとって本当の幸せかどうか、常に考えろと私は大学で教わりました。
価値観の押し付けになることもあるからです。
それでも、私は教育が必要だと考えます。
それはその子どもの持つ、未来の可能性を少しでも広げることにつながると信じているからです。
勉強ができなくてもその子は困らないかもしれない、けれど確実に自分の未来を自分の手で狭めてしまっている。
大人だからこそわかることを、子どもたちに伝えていくことが大切なのではないでしょうか。

これは大人たちみんなで解決していく問題だと思います。
その責任が私たち全員にあります。
親御さんだけ、現場の教師だけが悪いのではありません。
社会全体で子どもをバックアップしていく体制が作れるといいのですが……と思うなど。

 

少々熱くなってしまったので、今回はここまで。
またお読みくだされば幸いです。
それでは、また。