ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

じぶんだけの成人式【ブログ限定記事】

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

 

今年は飛躍の1年となりますように。どうも星野です。ブログ記事も更新していなくて申し訳ないです、頑張って書きますので今後ともご愛顧のほどよろしくお願いします。このとんでもない騒動の中で成人式を迎える方に、エールを送るため、というか、ちょっとした昔話をしたくてこの記事を書いています。お付き合いくだされば。

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私は成人式に行きませんでした。もうかれこれ6年前の話です。

持病の統合失調症うつ病がひどくて、しかも小中学校の頃はいじめられていたので、同級生と顔を合わせたくなかったのです。それに、病気を抱えたまま大学の勉強も続けていましたが、さすがに就活と卒論提出と教育実習を同じタイミングでやったら死ぬだろう(比喩ではなく文字通りに)……ということで、1年自主的に留年することを決めた矢先のことだったので、前撮りもせず学費にぜんぶ回してもらいました。この留年も非常に家族の中でもめたので、もう思い出したくないですが、今ちょっとそういうわけにもいかないので、こうして書いています。

私は教師になりたくて、でもなれないかもしれなくて、非常に不安定な20代前半を過ごしていました。誰かに話をしても、誰にもこの苦しみは伝わらないんだろうなと悲しく独りで部屋の隅っこにいました。

そんなときにぬいぐるみのアランチャくんに出会って、私の心の友達(兼、我が子のように愛する存在)ができて、少ないながらも親身になってくれる貴重な友達に恵まれて、なんとかいま生きています。死ななくてよかった、と思うことばかりです。

成人式に行かなくても、前撮りなんかしなくても、自分が自分の力でお金を稼いで楽しく暮らしていることが親に伝われば「大人になったね」って言われると思うのです。実際に私はそれで言われました。母も父も小中学校の時のいじめのことや、私の病気については知っていましたし、成人式にまつわるあれこれを、強制もされなければ悲しそうな顔もしませんでした。いつか振袖は母のもの(祖母やその前の代から引き継がれる、年季の入ったものです)を受け継いで着てみたいと思いますが、それは別に成人式がどうこうという枠ではなく、ちょっとしたパーティとかに着ていく感じで使いたいのです。

両親も写真にこだわらないし、成人式も行けとは言われませんでした。ただひとこと、「好きなことをしてお金を稼いで、幸せになってね」とだけ言われました。当時は仕事しながら家事をこなすなど、両親には本当に負担をかけてばかりだったので、そのひとことに救われた気がしました。だって、どんなにつらくても弱音なんか吐かずに「私の幸せ」を願ってくれていたのですから。その後私は夢だった教員になって、今も生徒と毎日格闘しています。

そんな両親も老境に入り、今は私が稼いだお金を一部家に入れながら、家事手伝いもしています。いずれ親友とルームシェアしたいので、独立する予定ですが、それまでは家族と限られた時間を過ごすことで恩返しをしていきたいと思います。「成人」とは、「大人」とは、きっと「誰かに対して感謝ができて、自分も無償で誰かに尽くすことを厭わないひとのこと」だと思うのです。もちろん私は家族と確執があるので、いじめてきた過去(私を追い詰めたこと)を清算することはできませんが、それでも大事な血のつながりがあります。それを乗り越えて「ありがとう」を伝えないといけないな、と思っています。ひとまず今月の給料で、アップルパイでも買おうかな。家族みんなが好きなのです。月末が楽しみになってきました。それでは、また。

2021年が来たぞ!【ブログ限定記事】

謹賀新年。あけましておめでとうございます。旧年中はお世話になりました。今年も楽しいことを好きなだけやっていく、まったりとした1年にします。どうも星野です。一年の計は元旦にあり。ということで目標をガシガシ書いていきます。言霊というものもあるし、もしかしたら実現するかも。それはうれしいことですよね。

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年間計画

まずは生きる。死なない。メンタルヘルスに問題を抱えている私にはそれがいちばん大事。生きるためには逃げてもいいし、ずるしてもいい。とにかく生き延びろ。そのうえで研究と修養の1年、学びと実りの多い1年にします。すこやかに精進します。

仕事のこと

今現在の職場からちょっと転職することを考えておりまして、それがいつ実現するかはわからないのですが、ちょっとずつ環境のいい職場に移動する努力をしていきます。教師としての仕事はもちろん手を抜かないです。それに加えて、執筆業やハンドメイドも収益化に向けて動き出したい。なんというか、自分の作品が評価されるようになるまでに時間はかかると思うけれども、応援したいと思ってもらいたいのですよね。そのうえで質のいいものをお届けできればいいなと。もちろん定期的な更新や新作発表も大事だし。やりたいことが多すぎるので、少しずつ、地道にやっていきます。ゆるく、ゆかいに、ゆっくりと。我が家の基本方針です。

今年はこれを実現させたい

今年もTRPGのセッションを定期的に開催したいです。そうじゃないと私のメンタルが死ぬ。かまってちゃんなので、どうしても誰かと遊びたくなるのです。けれども今はそんなお気楽なことを言っていられる状況でもないので、オンライン・リモートでの活動を増やしたいと思っています。シナリオもいっぱい書きたいし、いっぱい遊びたい。

あとは引きこもって本を読みたい。年間でも昨年はそんなに読めていないので、今年は100冊目指して読んでいきます。積読は徳だから、少しずつ積み上げて、少しずつ読んでいきます。本棚が倒壊の危機を迎えていますが、そんなことはどうでもいいんだ。読みたい。読ませろ。頑張るぞ。

そうそう、筋トレ(ヨガとピラティス)を始めたのですが腰痛に効きますね。でもどうしてもさぼりがちなので、毎日続けるのを意識します。そのためには早く寝る支度をすべき。規則正しい生活を送ります……桃ちゃんは夜更かし大好きさんなんだよう……けれども21時に寝ると肌がきれいになることを発見したので、なかなか睡眠は侮れませんね。

欲を言えば家事を極めたい。父が入院してから家事の手伝いを真面目にするようになったのですよ。洗濯物はもうノールックで秒で畳める。今度は料理にも挑戦してみたい。最近は味噌汁とポテトサラダは作れるようになりました。桃ちゃんのお料理戦闘力はたったの5です。スカウターを使うまでもない。

そして最後に、親友とルームシェアしたい。今年一番叶えたい夢はこれです。私の貯金が少なすぎるせいで、引っ越しができないのがネックになって今までできなかったのですが、今年こそはお金を貯めてばーんと引っ越したい。親友と朝までグダグダしゃべって、ゲーム実況したりTRPGしたりごはん食べたりしたい。親友と書いてベストマッチと読むくらい大好きな親友なので、一緒に暮らせたら幸せだろうな……その幸福を掴み取ってみせます。

皆様もどうか健康第一で、叶えたい夢に向かって邁進してみてください。2021年を良くするも悪くするもあなた次第、頑張っていきましょう。それでは、また。

「嵐にしやがれ」を観ながら【ブログ】

年の瀬ですね。どうも星野です。もうすぐ活動休止となる「嵐」の番組を目にすることが多くなり、その感想をぽちぽちまとめています。

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2020年はコロナのこともあり、世間が騒がしい1年でした。個人的には2月から始まった一斉休校で授業時間数が足りないとか、短縮授業で内容が進まないとか、とにかく大変なことになって、助かったんだか疲れたんだかよくわからない仕事になりました。

ハンドメイドも少しずつやったり、たくさん執筆したり、個人的に活動の幅も広がった1年でした。父の病気の悪化や財政難に見舞われ、自分も体調を崩したけれど、メンタルの崩れはそんなに無くて、まあまあ元気にやれたのかな、頑張ったな、と思っています。

クリスマス前後くらいから、嵐の特別番組が放送されるようになって、私はファンというわけではないけれど、気が向いたら土曜の夜は「嵐にしやがれ」を観るし、音楽番組でもたくさん彼らの姿を目にしてきた、いわゆる「世代」の人間です。ファンクラブのメンバーの人には失礼かもしれませんが、彼らがエンターテイナーとして、すごくクオリティの高いものを見せてくれていたことに私が気付いたのはつい最近。なぜもっと早く気づかなかった。こんなに素敵な人たちは国宝ですよ、もう。だから今この番組を観ながらめちゃくちゃ泣いています。なんにも彼らのことを知らないのにね、変な話ですよね。わかっているのです、私はにわかというかそれすらもかすっていないくらい彼らのことを知らない。けれど歌唱もダンスも一級品で、バラエティにも真剣なのはわかります。それぞれが個性的で、仲良しで、見ていてほっこりする人たちで……そして21年間の間、苦難の時期を乗り越えてトップにのぼりつめて、誰一人欠けることなくここまで来たことがもうすごいことですよね。そんな彼らの活動休止で悲しむ人が大勢いて(私はゴールデンボンバーのファンなので、MJの熱烈なファンである歌広場淳さんのショックは計り知れないと思いました)、そこまで愛されるひとっていないからこそ、私は彼らの決断を受け止めたいし、一度充電してからまたテレビで姿を見せてほしいなと思いました。もう涙で画面が見えない。打てているのかこれ。

令和という時代が来て、私の生まれ育ってきた「平成」が去っていく感じがして、寂しい感じもします。けれどここから先、私は、私たちは、この災厄を乗り越えて生きていかなければならない。時代の変化で様々な神話――「大きな物語」が崩壊を迎え、寄る辺なき存在となった小さな個人が繋がりを求めていた時代の中で、そのかすがいになっていたのは時に文学作品やアニメだったわけですが、この「嵐」というチームも同じくみんなを団結させる力を持った本物の「アイドル」です(アイドルの語源は偶像、ですからね)。これは源氏物語のテーマだとTwitterでたらればさんがおっしゃっていましたが、「どんなにつらくても、それでも生き続けるための物語」がある。というのは、嵐の姿勢にも繋がるのだと勝手に想像しています。5人の元気な姿がまたお茶の間で拝見できる日が来るまで、待ち続けていようと思います。

皆様の推しも、病や事故、その他ありとあらゆる災難から守られ、ずっと愛し続けられますようにと願っております。それでは、また。

「琳派と印象派」レポ【note・ブログ共通記事】

足がふらふらになりましたが、それでも行けて良かった展覧会のお話。どうも星野です。今回はアーティゾン美術館の「琳派印象派」について書いていきます。

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11月14日から開催されている本展覧会ですが、来年1月24日まで開催されているそうです。12月28日から1月4日は閉館。1月11日(月・祝)は開館するので翌1月12日は閉館します。開館時間は10時から18時までですが、事前予約制なので電子チケットをお買い求めください。広々とした空間で、ゆったりと鑑賞できます。カフェやショップも充実しています。アクセスは東京駅から京橋のほうへ行くとあるので、反対方向の三菱一号館美術館から行ったときは高架下をくぐってさまようことになりました……お時間には余裕をもって行きましょう(反省)。写真OKの作品もたくさんあるので、記念にするのもよいかと。

 

後期展示の見どころは「風神雷神図屛風」。これの周りは人だかりができていました。教科書で見たアレ、CMでも観る機会の多いアレ、そして国宝クラスの名品を鑑賞できるとあっては当然か。私も本物を見るのは初めてだったのですが、ユーモラスでありながらも迫力のある筆致で描かれた風神と雷神に、琳派の極致を見た気がします。琳派の特徴として、華やかな草木を描くこと、伊勢物語源氏物語の作品世界をモチーフにしてその場面を描くことなどがありますが、風神雷神も「神を祀る」という宗教性に根差したものなのかもしれないな、と思いました。美術作品の中で宗教性を帯びたものは数あれど、日本の作品では仏像や来迎図などがメインです。しかしこの作品は、それよりももっと昔から存在すると考えられていた神様にスポットを当てた、という意味で意欲作であり、新風を吹き込んだ画期的な作品であると言えます。それにしてもこの風神雷神は背景が金で、中央に広い「間」があります。その間が緊張感を生んでいて、画面の構成に非常に気を使った作品です。俵屋宗達……美術の新体系を構築した存在……侮れん奴じゃ……(誰目線なのだろう)

個人的には、孔雀と花の屏風と、伊勢物語の初冠(ういこうぶり)のシーンが好きです。もちろん草木のこぼれんばかりの麗しさも素晴らしいですが、何より現代から1000年ほど前、江戸期でも800年前に誕生した物語の一場面を描いた一帖が、現代にも残っている、そして江戸期の人物にも好まれていたのはありがたいことだと思うのです。私が国語の教師だから、というのもあるのかもしれませんが、遥か昔の人々も、我々と同じ文学作品の面白さを享受している、それは文化が途切れずに現代まで連綿と続いてきてくれたおかげ……と考えたらうれしくなります。現代に息づく古典の世界はこんなにも美しい。

 

一方で印象派は、光をとらえること、人々や静物に透明な光と空気をまとわせて描くことを目指しました。私は印象派の絵画(特にルノワールドガ)と、日本画のあの幽玄とも言えるうすぼんやりとした雰囲気が、とてもゆったりとしていて好ましいと感じるのですが、その幻想的な世界にも浸ることができます。個人的にはベルト・モリゾも展示されていて好感が持てました。あの時代の女性の画家は少ないですからね。印象派の魅力は何と言っても画面の明るさと色彩。輪郭をあえておぼろげに描くことで、かえって対象物の持つ柔らかな部分を――これをかの画家たちは印象、と呼ぶのかもしれませんが――余すことなく表現するのが印象派の真骨頂です。今まで印象派の画家の描き出す澄んだ空気に惹かれて、様々な展覧会を観に行きましたが、このアーティゾンb術間でもその温かさを感じられる逸品が広々とした空間に展示されています。至福の時間でした。

ルノワールセザンヌの人物画、ほかにも都市景観・静物(ラトゥールの花の絵が大変お気に入りなのですが、そのひとつが鑑賞できてとてもうれしかったです)などが展示され、そこにも琳派との共通項を見出すことができます。前述した「間」の取り方もそうですが、東西で違いは結構あって、たとえば静物(日本では花鳥図とかですね)も描く対象そのものが同じ「花」であっても、主題に込める意味や構成、平面的か立体的か、写実かどうかなど、差異が強く感じられる展覧会でもありました。この展示ではどちらかといえば共通項を見出したいようでしたが、私はかえってその違いが際立っていたな、と思っています。

 

東洋と西洋では価値観も違いますし、もちろんそれぞれの画壇が歩んできた歴史も違います。本質的に違うことは明らかです。それでも何らかの共通項を見出そうとしたのは意味のあることですし、鑑賞する我々の目に映る絵画が、今までとは異なる印象をもたらすこともあるので、そこに異論はないです。コンテクストの中に位置づけられる美術作品、文学作品の話は昨日もしましたが、日本という国の持つ古典文学をモチーフとした作品群と、西洋の神話をモチーフにする芸術作品では意味合いが異なるのは当たり前です。文脈が違うのですから。そこに現代の我々の価値観、あるいは最先端の芸術批評の視点で共通項を探し出そうとするのは新しい時代にふさわしい展覧会なのかもしれないな、と思いました。

 

高校の国語の教科書の多くに「水の東西」というエッセイというか評論というか、分類の難しい文章が掲載されています。それは水のとらえ方、水に対する物の見方が東洋と西洋で異なる、というような内容が書いてあるのですが、現代ではその「西洋と東洋」「私たちと彼ら」といった二項対立は古いのではないかと思わされるような場面が、この展覧会でもありました。水の描き方、同じような主題……歴史として続いてきたコンテクストと作品は、切り離せない(というか切り離してはいけない場合もある)ですが、新しい見方をしてコンテクストを編み始めることも必要だと痛感したのもこの展覧会で得た収穫です。今までとは違う時代をこれから生きていくのか、と気付くきっかけをくれました。会期はあと1ヶ月をきりました、皆様ぜひ。それでは、また。

「1894 Vision」レポ【note・ブログ共通記事】

楽しいことはおすそ分けしないと、バチが当たります。どうも星野です。今日は展覧会のレポです。三菱一号館美術館で開催中の「1894 Vision」に行ってきました。

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展覧会の概要から。この企画展は三菱一号館美術館の開館10周年を記念して行われているものです。10月24日から始まっていて、来年1月17日まで鑑賞できます。コンセプトは、丸の内初のオフィスビルとして三菱一号館が竣工した「1894年」に活躍していた画家の軌跡です。二大巨頭は、この美術館のコレクションの中核をなすオディロン・ルドンとアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック。そして日本でも西洋画を学び始めた時期でもありますので、それらの作品も複数展示されています。開館時間は10時から18時、祝日を除く金曜日と第2水曜日は21時まで開館しています。第2水曜日には17時以降のお得なチケットも発売中。12月31日と1月1日は閉館、12月28日と1月4日は開館するそうです。この美術館はショップもカフェもおしゃれで、料理もおいしいし、おみやげものも洗練されているし、私は1日中いられると思っているのです。そう、最推し美術館。

私が初めてルドンの絵画を見たのが、確か数年前の「怖い絵」展。そのクトゥルフ神話っぽさのある世界観に引きずり込まれ、狂気的すぎる! 怖い! めちゃくちゃ創作意欲が刺激される! と大興奮しまして、果てはルドンをモチーフにシナリオを書くところまでいったのです。そんなルドンは特段好きな画家、というわけでもありませんでした、昨日までは。
今日出会ったルドンの絵画のなかには、もちろん暗い昏いもの(真っ黒なリトグラフの作品、夢の世界の一場面を描いたもの)があり、やっぱりどこか恐怖をかき立てるのよね、なんて思っていたのですが、見事にその先入観を打ち壊してくれました。
本展覧会の目玉作品の一つ、「グラン・ブーケ」を見たときに、私は静謐な、それでいてもの凄い威力の感動の嵐の中へと放り込まれました。
キャンバスいっぱいの花、ブルーの花瓶にめいっぱい活けられたカラフルな花……今までのルドンへのイメージが一変したのです。ちょっと精神的に弱っているのではないかと思うほど怖い作品を描いていたルドンが、真っ黒な版画、リトグラフの世界からパステルの世界へと移行し、その全身全霊すべてをかけて描き出した生命感、透明感、何より光の輝きに目を奪われました。
ルドンの心境に何の変化があったか、私は知る由もありません。今から100年も前に生きていた、自分とは似て非なる存在の考えたことなど、わかるはずもありません。それでも私は、彼の心の中を覗いてみたくなりました。どうしてあの真っ暗闇の世界から、一筋の光を見つけて、それをたどっていけたのか、私はとても興味があります。ルドン、いいですね。光と闇の落差が素晴らしい。人間の中の混沌、神秘の世界、夢の世界を描いたルドンのことが一気に好きになれました。数年前のルドン展も行けばよかった。

もう一人の巨匠、ロートレック。レタリングの文字が好きな画家第2位です。1位はもちろんミュシャ。しかしそのアールヌーヴォーの旗手・ポスター制作の名手である「画家としてのミュシャ」の誕生に至るまでには、やはりロートレックがいたのだなと思いました。
その当時次第に力を持ち始めていた中流階級の心をつかんだ作品を多く生み出し、版画(カラー刷り)で夜の街の人間を情緒あふれる筆致で描いたロートレック。特にムーラン・ルージュの場面を描いた作品が気に入りました。いるいる、大衆向けの居酒屋とか歌舞伎町あたりの場末のスナックとか、そういうところに……という人々の姿を活写していて、鋭い観察眼に唸りました。それをおしゃれな芸術作品に仕上げてしまうところも天才たるゆえんでしょう。36歳での夭折が本当に惜しまれる人です。ロートレックの作品に出てくる人々と、それを描いているロートレック自身の、なんというか、人間の中にある綺麗な部分と穢い部分と、清濁併せ吞む感じが好きです。ロートレックも決して人間嫌いじゃないと思うのですよね、あれだけ人間に批評的な目を向けて、風刺っぽい作品も残しているけれど、やっぱり人間を描くことをやめなかったのはそういう理由があるからだと思います。

文学作品と同様に、歴史や文化を種とする美術作品も、その時代・国家・文化のコンテクストの中に位置づけられます。ルドンがパステルの世界へと飛び出し、ロートレックが「ディヴァン・ジャポネ」や「コンフェッティ」などを制作していた頃、日本でも抑圧されていた洋画家たちが反撃に出ていました。山本芳翆の「浦島」が制作されていたのもこの時期です。この「浦島」ですが、あの浦島太郎の物語をモチーフに、西洋画の手法で描き出すというなかなかロックなことをやっているなと感じました。その後「明治美術会」が発足し、日本の画壇でも洋画家の占める位置が少しずつ増えました。西洋と東洋、交わることのなかった世界が出会って、新たなムーヴメントを起こすって、なんだかとってもかっこよくて素敵だと思いました。

絵画を見るときに、その時代の人はどう評価したのか、という観点も重要だと思うのですが、後世の人間、そして何より主観の「わたし」がこの作品とどう向き合っているかを考えるのは重要なのだろうな、と考えました。私はルドンの「グラン・ブーケ」を崇めるような気持ちで見つめていましたが、それは私がルドンの人生や心境の変化に興味を持ったからで、それを形作ったのは今までの経験で……そして、ルドンやロートレックが絵画を描くのも、誰かの影響だったりするわけです。その「運命の交錯」みたいなものを感じられる、充実した展覧会でした。会期残りわずかです、皆様ぜひ。それでは、また。

「STARS」展 レポ【note・ブログ共通記事】

ゲームのイベントが三つ重なりました。うたプリ刀剣乱舞FGOです。うれしい悲鳴。どうも星野です。先に写真だけアップロードしましたが、六本木・森美術館で開催中の展覧会「STARS」展に行ってきました、というイベントレポを書こうと思います。
この展覧会は7月から開催されていたのですが、私がこの存在を知ったのは人気バラエティ番組「嵐にしやがれ」で大野さんが奈良美智さんと対談しているのを拝見したとき……だから11月くらいだったと思います。奈良美智さんとの対談で興味を持って、今まで何のために芸術鑑賞にいそしんできたのだ、「日本が誇る現代アートのオールスター」が集まっている展覧会ならばぜひとも足を運ばねば、と思った次第です。会期は来年1月3日まで、夜20時まで開館しています。ただ日時指定券をネットで取らないと入場できないのでご注意を。現在は「ミッキーマウス」展、「約束のネバーランド」展なども同時開催されているので、二つ以上鑑賞できるお得なチケットも販売中です。しかも館内は基本的に写真撮影OKです。SNSで発信するのも公式が応援しているのでばんばん拡散しましょう。それだけの価値ある作品が目白押しでした。

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入り口の様子

現代アートはなんだか難しい、よくわからない……と思っていらっしゃる方もいらっしゃるかと思います。けれども、実際は身構えて観るものではないと思うのです。要はジャッキー・チェンの教えの通り、"Don't think, feel!"でいけばいいのです。私もプロではないので、正直作品のことがよくわからなかったり、その含意や願いに気付かずに通り過ぎてしまったりすることもあるはずです(まあ、批評家の方でもそういうことはままあるのかもしれません)。それでも行けば毎回何かしらの収穫はあるので、自分のアンテナに引っかかったもの、感じ取れるものを大事にするのが美術鑑賞のポイントなのかな、と思っています。今回の展覧会では各アーティストの年表とそれに対する評価の文言や、過去に各アーティストが参加した海外の展覧会の詳細なども確認できるので、そのアーティストに詳しくなくても楽しめるし、勉強になります。

私は今まで現代アートというものにも縁遠く、そのなかでもいわゆる「日本現代アートの王道」的なものを鑑賞した経験が乏しかったです。写真で見たことがある、とかはありましたが、実物を見るのはこれが初めて。この展覧会に行くまでは、そこまで正直思い入れもありませんでした。しかし、この展覧会では「現代アートの持つ普遍性」に気付かされました。
アーティストの言葉やイメージの根源を垣間見たときに、私が感じ取ったのは「時空を超えて永遠に残したい何か」と「生と死を超える何か」でした。
人間は今のところ、寿命と呼ばれるものがあっていずれ死にゆく存在です。限られた時間、リソースの中で何を成すか、歩む人生によってそのMISSIONは代わると思います。この展覧会に出品されているアーティストの皆さんは、そのMISSONの向かう先が違っていても、根っこにある想いは同じなのではないかと考えました。
各アーティストの活動の指針は前述したように様々です。自分の作品を通してたくさんの魂を安らかに眠らせたいと願った人、大昔の人が見た景色を自分は見られているのだろうか、と考えた人、あるいは自分の作品を永遠に残し続けたいと思った人、そしてすべての出来事や作品を「関係性」の中に位置づけようとした人……メッセージも方向性もばらばら、そして表現方法もすべて異なります。ただ、その根っこにあるのは「日本」という国の文化をアーティストの皆さんなりに受け取って、彼らの目で見た形で批判したり賛美したりして、次の世代にバトンタッチしようとする意志だったり、生と死の間に何か意味づけをしようとする祈りにも似た想いだったり、普遍性があるのです。
どのアーティストも、独自の表現方法で自分の世界観を描き出して、他の人間に「私はここにいる、ここで君に伝えたいことがあるからこうして作ったのだ」とでも言うようなメッセージを発しています。制作に命を懸けていることがすごく伝わってくるし、観ていて心が落ち着いたりざわめいたり、まるでジェットコースターのような感覚に襲われました。

来場のきっかけになった奈良美智さんは、子どもを描く中に神聖さと親しみやすさ、あどけない残酷さなど両面性を描いていて、どこかほんわかした雰囲気なのに緊張感漂うインスタレーション作品を展示されていました。草間彌生さんなどは、特徴である反復・単一の表現を前面に押し出しながらも、いつもの水玉模様やかぼちゃを封印して「今もなお進化し続けるアーティスト」としての矜持を見せつけてきます。村上隆さんは日本のオタクカルチャー・ポップカルチャーを批判的に描き、そのいびつさを明るく表現する手腕が光っていました。Lee Ufanさん(すみません、漢字が入力できなかったのでローマ字表記にしました)は「もの」をどこまでも簡潔に表現しながら、個人や社会がそれをどうとらえるのか、どう関係性の中に取り込むのかということに目を向けて製作されているように感じました。杉本博司さんは時を超えて残るものや歴史の厚みに目を向けながら、変化していく時代、時間の流れに真っ向から挑もうとしていてとても感動しました。宮島達男さんは人間の命をタイマーとして表現して、生まれて死んで生まれて死んで……という太古の昔からの営み、悠久そのものをデジタルで表現されていたところが非常に興味深かったです。

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それぞれの作品群

現代アートと言っても、過去の作品――というよりむしろ、時間の積み重ねで生まれたのだから、時間をどうとらえるか、というのは永遠の「アートの課題」なのかもしれない、と思いましたし、作品の在り方は国家・社会・共同体の持つコンテクストに依存するのは、音楽や文学と似ているなとも思いました(オタクカルチャーについて批評されている村上さんなどはその傾向が顕著ですね)。
意外と現代アートって、身近に存在するものなのかも。私はそんなことを思いながら、この展覧会を堪能してきました。会期残りわずかです、行けるときに行っちゃいましょう。それでは、また。

禁欲的生活【ブログ限定記事】

今週のお題「自分にご褒美」

桃ちゃんは基本的に、自分にも他人にも厳しい。そんな生き方をしています。ごきげんよう、夜更けに仕事をしています。

はたらけど はたらけどなほ 

我が暮らし 楽にならざり ぢっと手を見る(石川啄木)

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今年はクリスマス手前まで仕事が詰まりに詰まっていて、もう死ぬ思いで働く(しかしお賃金が少ないのであまり生活は変わらない)のですが、ちょっとしたイベントを計画しています。それは、美術館探検。2日間かけて、アーティゾンと三菱一号館美術館、そして森美術館に行く予定です。もちろん取材です、レポもしっかり書きますよ。ただちょっと、ついでに貰ったお給料でちょっといいアフタヌーンティーを食べると決めているだけで、れっきとした業務です。

美術に触れるようになったのは、ちょうど大学生の頃。精神面でも大きな転機が訪れ、ゆっくり美術品と向き合って対話することで心の傷を癒していた記憶があります。

最初は中学の卒業制作で描いたルノワール(印象派)から始まりました。高2に上がる春の日に、箱根のポーラ美術館で本物のルノワールの絵画を見たときに、雷に撃たれたような衝撃を受けました。まさにあれは落雷であった。全身がびりびりと何かを受信していて、けれどその当時の私には理解ができなくて、非常にもどかしかったです。それを探しに行こうと、大学のキャンパスメンバーズで安くなる展覧会に足しげく通うようになりました。

アールヌーヴォーの旗手・ミュシャ、そして20世紀の天才・クリムトあたりが好きなのですが、美術も文学も、「時空を超えた推し」を見つけられる素敵な教養だと思うのです。だって、私たちが生まれるずっと昔の画家の絵や彫刻が、とても良い状態で保存されていて、それが格安で観られるって、こんな贅沢は無いですよ。学術はこの世界が秘めている最高の「未開拓の地平」です。自分の知識を総動員して、作品が生まれた背景や、作品に込められたメッセージを、それこそ千年単位で考えて感じて受け取れるって、ほんとうに良い時代に生まれたなと思っています。

だからこそ、地獄のような採点業務から解放されて(もちろん3学期の教材研究は残っているけれど)、趣味の延長の仕事に向き合える時間が、とても貴重なのです。学んだことは全部授業やレポなど様々な場面で利用するので、無駄もないですね。交通費と格安の入館料だけ持って、あとは身一つで自由にふらふら好きな絵を探しに行ける……是至上の幸福也。私は別に美術科の教師ではないし、専門家でもないので詳しいことはわからないのですが、それでも学んできた知識すべてで芸術に向き合ってきます。その経験が、今年のクリスマスプレゼントです。本当はお着物を仕立ててもらおうかとも思っていたのですが、予算の都合上春先に延期になりました。悲しい。それでも生きる理由になるから、それもまた良し。

努力したぶん、楽しみは増えると信じて、また仕事に戻ります。それでは、また。