春眠どころかいつの季節の眠りでも暁を覚えず。昨日は18時間、今日は15時間寝ました。どうも星野です。
今回のテーマは「音楽」。とあるアーティストの楽曲から考えたことを書き連ねていこうと思います。
ブログ・noteに似たような記事を残してありますので、併せてお読み頂ければと。
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真面目に定期が買えない。
音楽には興味がない、という方ももちろんいらっしゃると思います。それでも彼らの名前くらいは聞いたことがあるでしょう。
「ゴールデンボンバー」。唯一無二のヴィジュアル系エアーバンド。
そもそも彼らは何者なのか。
結成当初は楽器を演奏していたが、喜矢武豊の演奏があまりに下手だったという事と、耳だけでなく「目」でも楽しめる音楽を追求した結果、
パフォーマンスを取り入れた現在のエアーバンドという形となった。
エアーバンドの為、基本的にボーカル以外のメンバーは、楽曲に合わせ楽器を演奏する「フリ」をしている。
その代わりにライブではメンバーによる様々なパフォーマンス(ダンス等も含む)を行っており、そのパフォーマンスが魅力の一つでもある。
キャッチコピーは「うまい、早い、安い」。
2010年にメジャーレーベル7社からメジャーデビューのオファーを受けたが全て断っている。そのため、現在でもメジャーレーベルと契約をしていないいわゆるインディーズである。
バンドコンセプトは「ハイパー・ギガ・ハイブリッド・スーパー・サブカル・ハイパー・スーパー・ビジュアル・ロック」。
音源楽曲の演奏は、主に「中の人」とされるeversetのギタリスト・tatsuoである。
使用しているロゴはフジテレビの『ゴールデン洋画劇場』のロゴと酷似しており、鬼龍院自身もブログで言及している。
メンバー4人全員が各々個性的なパフォーマンスをライブ・テレビに問わず披露しており、奇をてらった発言(音楽に興味がない/演奏できない)をしている、
稀にライブで実際に楽器を演奏することもあるが腕前は壊滅的で学園祭レベル以下と本人たちも語っているほど下手である。
貼り付け元 <http://pc.goldenbomber.jp/>
(公式サイトより引用、この公式サイトも良く見るとどこかで見たことがある、いわゆるパクリになっています)
「音楽性がボーカルの鬼龍院翔にしかない」とメンバーに言わしめるほどに戦力の偏ったこのバンドは、ライブでかき氷・スイカの早食いをやったり人間書初めをやったりと本当にやりたい放題です。ボーカルの鬼龍院翔氏を除く喜矢武豊氏、歌広場淳氏、樽美酒研二氏は楽器が弾けないので、弾いているふり(それすら放棄する)。ただとてもファン想いであり、最初の収入はライブの最後に発射する銀テープにしたという伝説も残っています。元号の変更に伴い、1時間以内に作詞作曲・MV撮影をこなした楽曲「令和」は記憶に新しいです。47都道府県でライブを行い、果ては無人島でもライブを敢行。もうどこを目指しているのか私にはわからないです。
そんな彼らの楽曲は、大きく3パターンに分けられます。
①気弱な「僕」が調子に乗ったり騙されたりして女性関係で痛い目を見る(ギャグ調)
②純粋な失恋ソング(泣ける曲が多い)
③聴く者を奮起させたり涙を拭ったりしてくれるエールソング
※作詞作曲を担当している鬼龍院翔が苦手とするため英語はガバガバです
今回特にフィーチャーするのは③の曲です。代表的なものは「イヤホン」「101回目の呪い」「ドンマイ」「さらば」。
歌詞の中に頻繁に出てくるのは、「詞の語り手(鬼龍院翔とニアリーイコールの存在)がとても弱いこと」「相手をなんとか励まそうとしていること」ですが、ここに私はメタメッセージとして「語り手のことも語り手自身が無意識的に同時に励ましていること」を読み取りました。
例として「101回目の呪い」をみてみましょう。
生きられぬと嘆く君を救えなくて
差し伸べる手は何も掴めず
死のうとした過去を棚に上げこの世の
生きる価値どう伝えればいい
(部分抜粋)
どこか歪で、方法は間違っているのかもしれないけれど、献身的に、あたたかく「君」を見守り、「生きてほしい」ということを繰り返し伝えています。
ここで注目したいのは「死のうとした過去を棚に上げ」という部分。歌詞を書いている時点で自身も死を覚悟したことがあると、直接的に明かしています。
それでも「君」には生きてほしい、自分のことを棚に上げてでも、聴いている誰かのために「生きてほしい」とメッセージを伝えてくれるところに私はとても感動しました。
歌詞は全体的に(ひと昔前の)セカイ系を踏襲したような「君と僕vs理不尽な世界」の構図を保っていますが、セカイ系の作品がその作品内で完結するのに対し、作詞者が成長していることが少しずつですが分かってくるのが、彼らの音楽のすごいところです。少しずつ「鬼龍院翔」という存在のメンタルが強くなるところに、週刊少年ジャンプ的なロマンを感じます(私だけでしょうか……)。
それでも鬼龍院翔氏の書く作品は決して暗かったり生きろ生きろと押し付けがましかったりすることは全くなく、基本的にはギャグ調で、歌詞も「自転車盗まれた 慣れたよ(Dance my Genaration)」「年金痛い税金痛いローン痛い(首が痛い)」などと生活感に溢れています。そういう飾り気のないところがファンにもウケるのだろうと私は思っています。
「文学は飢えた子供を救うのか」という、哲学者サルトルが提示した問題があります。私はこれに対し、ゴールデンボンバーの楽曲がひとつの答えを提示すると思っています。つまり「明日を生きる勇気が出る」ということです。直接はお腹を満たせないけれど、何をしてでも生きることにすがりつくだけの度胸というかやる気というか、そういうエネルギーは貰えると思うのです。そのエネルギーがあればなんとかなるのです。
こんな「私」でも応援してくれる「味方」がいるのだ、と思えれば、明日を生きるハードルは下がる。
そういうことを知っている人にしか書けない世界を表現するゴールデンボンバー、今後も要チェックです。
次回は「ブダペスト展」のレポを書きますので、そちらもよろしければ是非。
それでは、また。