やっと夏期講習が終わりました。これから通常営業です。
どうも星野です。今回は夏の美術館巡り・第二弾として渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催中の「みんなのミュシャ ミュシャからマンガへ――線の魔術」について書こうと思います。
会期は9月29日まで、9月10日(火)は休館です。金曜日と土曜日は21時まで、そのほかは18時まで開館しています。混雑状況は公式サイトで確認できます。写真撮影OKエリアがあるのでスマホの準備をお忘れなく。かなり混むので土日より平日のほうがオススメです。グッズも豊富です、お財布には一万円札を。ロッカーが若干少ないので軽装備のほうがよさそうです。
今回の展覧会のテーマは、「現代に生きるミュシャ」。
ベル・エポックの時代を生きたアール・ヌーヴォーの旗手であるアルフォンス・ミュシャのポスターから、日本やその他各国のアーティストがどのような影響を受けたかというのがよくわかる展覧会です。
ミュシャの様式のもとになったのは、日本の焼物、ハンス・マカルトの作品、装飾の図鑑や風刺画などでした。
日本の作品が影響を与えているのも驚きですが、ここでもきたかハンス・マカルト!! という、ウィーンモダニズムにも関連性があることがわかって面白かったです。やはり世界的な芸術史は勉強しておくべきであった……。
ミュシャにとって絵画とは、対象を観察し、理解したうえで行う自己表現だったようです。
生涯スケッチを続け、様々な装飾や独特の「Q型」(円形の装飾に人物を配する形式)の作品群を生み出したその手腕は、「広告を芸術に高める」ことに成功します。そして「美しく、分かりやすく、記憶に残る」ものに昇華されていくのです。緻密なスケッチ、数多くの研究を重ねてあの様式に至ったことは本当に素晴らしい発見というか、世紀の発明だったと思います。
そしてめくるめくミュシャのポスターアートの世界が展開されます。
私は個人的にサラ・ベルナールが主演の演劇ポスター「ハムレット」が非常に好きなのですが、その横顔を見た友人がぽつりと「昔の倉花千夏先生に似てる」と言っていて衝撃を受けました。
言われてみればそうだ、あの「うたの☆プリンスさまっ♪」シリーズのジャケットイラスト、何かに似ていると思ったらミュシャか!!
目から鱗が落ちるとはまさにこのこと、教えてくれた友人に感謝です。
カリグラフィと女性と自然が一体となった芸術は、大きなポスターだろうが小さいリトグラフだろうが、精密さは変わりません。
とにかく網膜に焼き付いて離れないのです。
そしてそれらの一大ムーヴメントは、ジミ・ヘンドリックスの公演ポスターや、日本の大正期の雑誌「明星」(与謝野晶子が発表していた雑誌ですね)の表紙イラスト、そして現代のアートにも息づいています。
例えば山岸凉子の「日出処の天子」や、天野喜孝の「ファイナルファンタジー」など。
先ほど名前の出た倉花千夏先生もその系列でしょう。
これらの作品を鑑賞して考えていたのは、「文化の継承」ということについてでした。
どんな芸術作品にも言えると思うのですが、失敗も成功も継承されなければそこで文化は途絶えます。
その文化が消えてしまうことの損失は、後世になってやっとわかるのでしょうが、今のうちからきちんと向き合うことが求められているのではないでしょうか。
作品の良し悪しを決めるのは鑑賞者や世間一般の評価でしょうが、どんなものにも「存在すること」だけは保障されていると思うのです。
たとえそれがどんな駄作であろうと、失敗例として教訓にすればいいですし、悪いものを「ここが悪いからこう変えたらよいのではないか」と考え続けることこそが創造性を養う方法のひとつではないかと考えているのです。
どんなひとも、ものも、存在していていい。
それこそが「肯定」の基本的な考え方なのではないかな、と思ったり。
夏休みももうすぐ明けますが(私が指導している高校生はもう今週の月曜日から学校でしたが)、文化の継承という意味で学校に通う意義はあると思いますし、存在の肯定が得られないなら学校には行かずとも代替手段を考えるべきです。
文化の担い手であるすべての人類に、等しく存在の肯定がなされることを願って、ここで終わりにしたいと思います。
次回展覧会は横浜美術館の「オランジュリー」、上野・東京都美術館の「コート―ルド」、横浜そごう美術館の「不思議の国のアリス」です、早めに行ってレポを書きますので……またお読みくだされば幸いです……
それでは、また。