冷房をガンガンに効かせた部屋で寝起きしていたら、遂に喉をやられました。
どうも星野です。げほげほ。これでも仕事には行きますよ……ええ……
今回は2019年8月18日に横浜で開催された垣内玲さんプレゼンツ「現代文を考える会」についての自己省察を書き記します。
様々な発見があったので、皆様にも共有します。
詳細は垣内さんがnoteに投稿されると思われますので、大まかな流れだけお示しします。
長田弘の『失われた時代』という随想(※今回は評論として扱いました)が、2011年に京都大学の入試で出題されました。
それを題材に、どんな授業ができるかというのを考えて、模擬授業をして、討論をしました。
私の考えた授業案はこんな感じです。
想定した学年は高校3年生だったのですが、2年生でも読める子はいるだろうというご意見もありました。
また、こちらには詳しく書いていませんが、アニマシオンを活用して読解の導入をすることも考えていました。
具体的には、かぎ括弧つきの部分(帽子屋のセリフ)を音読させ、そこにどんな意味が込められているのか演じることを通して感覚をつかむ……というものです。
また、書くことにも重きを置きたかったので、具体例部分の要約や、最後は生徒自身がこのメッセージを受け取ってどう考えたかを記述させることもやろうと思っていました。
正直かなり盛りすぎたかなと反省しております。
ですが4技能を活用した授業にすること、主体的・対話的で深い学びを行うことを目標とし、生徒の最終的なゴールも「筆者の主張を要旨をつかんで、『なぜ一所懸命に、ひとは生きて、死ぬのか。』という問いに対して自分はどう答えるか考え表現する」としていたので、必然的に扱う時間数も多くなる予定でした。
模擬授業では個人的に様々な反省が出ました。
かなり問いかけや換言が私自身の解釈の押し付けになってしまっていたところや、問いかけたことに対してもう一段広げたり高めたりした問いを投げ返せていなかったところ(要は安易に答えを教えてしまうところ)、板書を無計画にやってしまったところなど、言い出したらきりがないのですが、他の先生方の授業スタイルを参考にしながら、「もっと身近な例にして話そう」とか「板書は必要最低限にしよう」とか、いろいろと吸収できたのでとてもよかったです。
いろいろな先生方の授業を見て思ったのは、私の展開する授業はあくまでも「学校教育」的で、受験指導ではなかったなあということです。
私は塾でも6年働いているので、受験指導をしようと思えばできるはずなのですが、どうしてもそれをいちばんにやりたいというわけではないようだ、ということが分かりました。
向き不向きや捉え方・考え方の違いなどはありますが、全体に対しての受験指導もこなせるようにならなくては、と思った次第です。
アニマシオンやTRPGなど、一見勉強には関係のないような、面白い活動を入れて指導案を書くとすれば、こんな感じでしょうか。
対比の構造、繰り返しの主張などを押さえたうえで最終的に面白かったなあと感じてもらえる授業をつくっていきたいですね。
アニマシオンについては今後の連載で徐々に触れていこうと思っていますし、過去に掲載した記事も参考になるかもしれないので、是非お読み頂ければと……
今回はここまでです。
それでは、また。