大阪の帰りの夜行を逃し痛い出費を経験した星野です。
つらい。
今回は現在東京都美術館(上野公園内)で開催中の「グスタフ・クリムト展」についてレポートしたいと思います。
会期は4月23日(火)~7月10日(水)、開館時間は9時30分~17時30分(金曜日は20時まで開館)です。
5月7日(火)・5月20日(月)・5月27日(月)・6月3日(月)・6月17日(月)・7月1日(月)は休館です。
最後にフォトスポットがあります、クリムトの作品と一緒に写真が撮れちゃう! インスタ映え間違いなし!
そして音声ガイドはスペシャルサポーターの稲垣吾郎さんです、ファンの方は550円でレンタルできるので是非。
6月8日(土)と6月15日(土)の14時からは特別トークも予定されています、もっとクリムトを楽しみたい方はこちらも検討してみてください。
私がクリムトに惹かれるのは何故なんだろうと、バックナンバーにあります「ウィーン・モダン」展を鑑賞した時に考えていたのですが、その装飾性と研究熱心さ、そして精密な下絵に感動したからだ、ということに気が付きました。
今回はそれに焦点を置きながら述べていきたいと思います。
今年はクリムトの没後100年、オーストリアとの国交樹立150周年という節目の年。
それもあり、会場は大盛況でした。六本木の「ウィーン・モダン」を鑑賞してから向かうのが個人的におススメです。あと1時間30分だと絶対最後が間に合わなくなるので15時までの入場を推奨します。
グスタフ・クリムト(1862-1918)は7人兄弟の長男でした。
父・弟と死別し、母と姉は精神疾患に苦しんでいるという、かなり壮絶な経験をしています。
それが作品にも影響を与えている、という話も後々していきます。
ウィーンの芸術アカデミーに入学し、マッチュと共に創作を開始、在学中から仕事の依頼を受けて美術作品を手がけていたというからすごいです。ちなみに弟さんも彫金師。芸術一家です。
また生涯独身を貫いたものの子どもは18人いるらしく……モデルの女性や、最も愛したと言われるエミーリエ・フレーゲとも関係を持っていたと言われています。
余談ですが、いつ見てもおんなじスモックを着ているので、ファッションセンスを……疑う……
次第に方向性の違いからマッチュとは仕事をしなくなりますが、独自のテーマ性に基づいた創作を行っていきます。(そこから分離派に繋がった模様です)
彼の初期の作品は、後年の作品に比べて輪郭もはっきりとしたものを描いています。
マカルトの急逝の際には作品完成のために尽力するなど、画風を超えて作品をつくろうとする熱意や、ティッツィアーノの模写をするなどの研究に励む姿勢に強い感動を覚えました。
マッチュは写実的で時代考証を徹底した宮廷画家でしたが、クリムトは装飾性を意識し、保守体制に不満を持っていたこともあり、分離派を立ち上げることとなりますが、この展覧会の見どころは「クリムトの思想」だと思うのです。
ポスターに起用されている「ユディト」「女の三世代」「ヴェートーベン・フリーズ」「ヌーダ・ヴェリタス」を通して考えてみます。
錦絵や琳派の作品から影響を受けたクリムトは、金箔を多用した作品を手がけるようになります。
「ユディト」もそのひとつです。
はっきりした装飾と、ぼんやりした人物のメリハリ(コントラスト)、そして敵地で大将の首を討ち取ったという女性の、恍惚的な表情……何かのメッセージが込められているようにも見えます。
元ネタは旧約聖書の外典らしいので、そこから例えば「狂気性を下敷きにした美しさ」などのテーマを感じ取ることができるかと思います。
同様に「ヌーダ・ヴェリタス」も鏡と裸婦は真実を意味し、足元のヘビは罪の象徴なのだそうです。
シラーの詩をタイポグラフィで画面に取り込み、「真の芸術を目指すために大衆には迎合しない」という強い意志を感じます。
このようにストーリーを考えさせるというか、「何かを語ろうとする作者」であることがクリムトの魅力なのだと思います。
作品を見て何を受け取るかは人それぞれですが、単純に美しさを表現したいという画家が多くいた19世紀の絵画の潮流の中で、それでも普遍的な「愛」や「死」といったテーマを描き続けていることに、魅力があるのでしょう。
(複製ですが)壁一面に展示された「ヴェートーベン・フリーズ」も第九から着想を得ており、「悪と戦って詩の女神と諸芸術(の擬人化)に導かれて幸福な世界へ導かれる」という、クリムト自身の思想性を色濃く反映させた作品となっています。この作品は螺鈿や宝石を嵌め込んでおり、圧倒的な荘厳さを誇っています。これがきっかけでクリムトは名声を得るのですが、きっとそれは彼の本意ではなかったのだろうな、となんとなく思っています。
クリムトは、色彩や構図の独創性、絵画に隠された寓意、メッセージ、そういうものに目を向けてほしいと願って作品制作をしていたのではないか。
そう感じたいちばんの理由は、本展覧会の最終章で語られた「生命の円環」というテーマがきっかけです。
ここに「女の三世代」が展示されているのですが、ここでクリムトは頂点に達したような気がしているのです。
というのも、晩年の作品には妊婦や死人を描いたものも多く、生きることと死ぬことを強く意識していたことがうかがえるのです。
死があるからこそ生が輝く、死を忌み嫌うのではなく真摯に向き合うという、独自の世界……クリムトの「ユニバース」とでも言うべき概念を構築しきったのが、展覧会最後の作品「家族」だったのかもしれない、と個人的に思っています。
やはりこういう考えを持つようになったのは、幼少期からの経験の積み上げなのでしょうが、クリムトはそれを決して暗い方向で描いたのではなく、白や金という装飾的な描き方と丹念な描写で表現し、昇華させたのです。
クリムトは知れば知るほど面白いので、是非足を運んでみてください。
それでは、また。