ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

フェルメール展レポ【note・ブログ共通記事】

やりたいことと時間とお金が釣り合わない。

どうも星野です。

今回は11月30日に行ってきた「フェルメール展」についてレポを書くことにしました。

時間帯指定で入場するので、事前にチケットの詳細を確認してみてください。

駅ナカのチケット売り場は無くなるスピードが早いですが、現地販売はわりと残っているのでそちらが狙い目かも。

めちゃくちゃ混むので平日夕方の来場をオススメします。

20:30までやっている(入場は20:00まで)のでゆっくり楽しめますよ。

チケットが通常の展覧会に比べてお高いですが、音声ガイドは石原さとみさん、各展示品に関する詳細のパンフレットを無料配布するなど取り組みがとにかく豪華でした。元は取れる。

 

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外壁の広告(暗くてすみません)

 

ヨハネス・フェルメール(1632~1675、オランダ)

世界各地に散らばる、彼の作品だと認められた絵画は35点のみ。

いまだに論争が続いている作品もふたつあるそうです。

そんな彼の作品の魅力はその希少性にもありますが、「光」を鋭く捉えた作風にもあると言われています。

「光の魔術師」とも呼ばれる彼の作品には、窓などから入り込んだ光が、さながらスポットライトのように人物の上に降り注ぎ、陰影を際立たせます。

フェルメール43歳にして没すると、一度世間から忘れ去られてしまいます。

それに再び価値が見いだされたのは数世紀の後のことでした。

 

今回の展覧会では同時代に活躍したハブリエル・メツーやピーテル・デ・ホーホ、ヤン・ステーンなどの作品も展示されており、まさにオランダ美術の黄金時代を回顧するものとなっています。

 

まずは見所紹介から。

第一のエリアは、「肖像画」がテーマ。

オランダでは市民でも自画像を持つのが習慣だったそうで、様々な階層の人の自画像が展示されていました。

私が気になったのは「花の画家」と「ある男の肖像」です。

「花の画家」は女性なのですが、手にはパレットと絵筆を持っており、自身が画家であることの誇りを感じさせます。

このように肖像画では「自分がどう見られたいか」「相手にどんな印象を与えたいのか」ということを意図的に操作していたようです。

もうひとつの「ある男の肖像」は、モデルが誰なのかはっきりしていません。

背景は神殿のようなところで、上質な衣類をまとっていますが、どこの誰とはわかっていないそうです。

絵の中に佇む男性が何を思っているのか、そしてこの絵画にはどんなドラマが隠されているのかと思うと、なんだかドキドキしてきます。

 

次のエリアは、「宗教画」がテーマ。

17世紀のオランダでは、身近な題材の中に神話や聖書のモチーフを融合させた絵画がよく見られたそうです。

私が気に入ったのは「ヴィーナスと鳩」という作品です。

女性は明らかに当世風の服装なのですが、手には矢と鳩、頭には薔薇の冠とヴィーナスであることが暗示されています。

このような「寓意的に神話や宗教のモチーフを取り入れる」ということを楽しめるのが当世での教養だったのかもしれませんね。

また、かの有名な「サロメ」をテーマにした作品もありました。

死人(洗礼者ヨハネ)のおどろおどろしい生首と、それをつんと澄まして見つめるサロメ

多くの画家がそれをテーマに描いていましたが、画面の大きさやリアリティのある筆致から受ける衝撃は桁違いでした。

 

その次のエリアは「風景画」がテーマ。

屋外でスケッチしたものをアトリエで再構成し直している時代の作品ですが、実際に外で描くことが可能になった印象派の作風よりも(実物を見ていないのに)リアルに描いているのは、何というか、アイロニカルな感じもしました。

実物を見ているのにリアリティから離れていくのは人間の性なのでしょうか。

雲の形もリアルタイムで見ていないはずなのに、輪郭を持ち、流れていく様子が克明に描き出されています。

人間の想像力は現実をはるかに超えていくのかもしれません。

 

その次のエリアは「静物画」がテーマ。

あまりメジャーなジャンルではなかったようですが、オランダの画家の間ではそれなりに好まれた題材だったようです。

狩りの獲物のリアルさは本当に触れてしまいそうなほどでした。

個人的には「書物のある静物」がヒットでした。

これ、私の机? と思うほどのお気に入りです。

とっ散らかった机の上に、書物が無造作に置かれ、あるいは開かれている様子に、なんだかシンパシーを感じてしまいました。

 

その次のエリアは「風俗画」がテーマ。

お酒を飲んだり本を読んだり手紙を書いたり……

日々の何気ない喜びがそこに表現されていました。

特にお酒を飲む人は多く題材として扱われていました。

やっぱり幸せそうに見えるからなのでしょうか?

個人的ヒットは「窓辺の少女、または『夢想家』」です。

窓の周りのアプリコットからいいにおいがしてきそうな画面の中で、何か物思いに耽る少女。

好きな人のことを考えているのかな? と思ったりするなど。

画家・マースがこの少女をモデルに選んだ理由も、直感的に分かる気がしました。

 

その次のエリアは、いよいよフェルメールの部屋です。

一室の中に9点も集められているのは、本当に奇跡的なことです。

絵そのものは今までのものと比べて小さいものが多かったですが、インパクトは断然フェルメールのほうが上ですね。

小さな画面の中が、発光しているのかと思うほどの煌めき。

光と影の絶妙なバランス。

実際に見ると鳥肌が立ちました。

 

このフェルメールの絵画を見ていて私が思ったのは、「美と意味付け」についてです。

圧倒的な美の前には意味付けなど必要がない。

そう感覚的に理解できるのですが、「フェルメールはどんな意図でこの女性を描いたのだろう」だとか、「フェルメールの持つ『眼』はどのように光を捉えていたのだろう」だとか、描かれていないことまで想像を膨らませてしまうのです。

その作品の背景や画家の生涯など、知識を頭に入れてから絵画を見ると、想像がどこまでも広がり、作品に対して湧き起こる感想も変わってくるのだと思います。

ですがそれが作品本来の美を認識するのを阻害してしまうのでは? とも思うときがあるのです。

どちらが正解なのか、今の私には判断が下せませんし、これは永遠の課題なのかもしれません。

ですが、あの「真珠の首飾りの女」にどんなストーリーがあったのか、フェルメールがどんな気持ちで描いたのかを考えながら鑑賞していると、不思議と400年の隔たりも無くなるような気分になります。

作品を目の前にしてどんな感想を抱くのかは個人の自由です。

だからこそ「至宝」と呼ばれるような名画の数々は、私たちの想像に訴えかけ、その世界の中に引きずり込んでいくのだろうと思います。

 

とても勉強になる展覧会だったので、皆さんも予算と時間が合えば是非行ってみてください。東京・上野の森美術館23日まで開催されています。

 

次回はいよいよロマンティックロシア展です!

音声ガイドに釣られたっていいじゃないですか。

おしゃれの発信地・渋谷まで行ってまいります。

それでは、また。