ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

藤田嗣治展レポ【ブログ・note共通記事】

深夜に考察するのをやめろと言われましたが、これは書きためていたものをアップロードしただけであって、深夜に考察した訳ではないです。

よって許される。

どうも星野です。

 

今回は923日に行ってきた「藤田嗣治展」についての記事です。

会期が終了間際(108日まで)ですので見たくなったら速攻行ってください、損はしません!

 

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フォトスポットの写真

 

まずは藤田嗣治について簡単に紹介を。

1886年に東京で軍医の次男として生まれ、1913年にパリへ行くまでは黒田清輝に師事していました。初期の作品にはその影響が良く出ています。

ちなみに黒田清輝は「外光派」(室外の光を画面に取り入れる)と呼ばれています。

エコール・ド・パリ唯一の日本人で、ピカソシャガールと同時代に活躍しました。

キュビズム、エジプトやギリシアの絵画、宗教画、日本美術の研究などなど様々な作品群の影響を受けているようです。

やはり作家は時代や交流していた他の人々との関係性を考慮しないと、どこか捉えようのないものになってしまうのでしょう。

 

特徴は何といっても、平面的な画面に乳白色の下地を使い、墨色の細い線で描いた作品群でしょう。裸婦画が有名ですね。

風景画や静物画もコンスタントに制作していたとのこと。

 

彼は戦争とともに生きた人でもあり、渡仏した後は第1次世界大戦、帰国後は第2次世界大戦と戦争の渦中にいました。

2次世界大戦中には戦争の記録画を残しており、見ていてかなりしんどかったです。

リアルで鬼気迫る感じでした。

 

以下は作品紹介です。

初期のパリで描かれた作品群は、「東洋人たる自分が現地で売って生活しうる絵画とは何か?」というスタンスで描かれていたそうなので、基本的に東洋と西洋の不思議なバランスの中で成立した作品が多かったです。

私は「アネモネ」と「バラ」という2つの作品が気に入ったのですが、細くて儚げで、ふんわりとした空気感を漂わせる素敵な静物画でした。

また、「私の部屋、目覚まし時計のある静物」という作品も日用品だけで作者の生活感を表した見事な作品だと言えます。めちゃくちゃかわいいんですこれが。

風景画も、細部に宗教への関心とも取れる十字架が多く描かれていて、彼の人生を救うものは絵だったのか、神だったのかとあれこれ考えてしまいました。

 

気になったのは、花柄の布と猫がやたら出てくることです。

写真でも猫を抱いているものがあって、猫に思い入れがあったのかなあと思うなど。

花柄の布は裸婦画の背景として出てくるのですが、繊細で、それがホントは描きたかったんじゃないの? と言いたくなるくらい(さりげないですが)力が入っています。

彼は手仕事を重視していたそうなので、職人の作った「作品」に敬意を持っていたのかもしれません。

裸婦画はもう藤田の本領発揮! という感じで、女性がぼうっと光って見えるんですよ! 幻想的! かつセクシー! 不思議な魅力に溢れていました。

ここでも前述の布がいい味を出していて、アンニュイな雰囲気に華を添えています。

もう色使いがセンスの塊としか言いようがなく、際立たせたいものをしっかりと表現する力量が感じられました。

 

恐慌の時代では生活の荒れから乳白色を封印し、旅絵師のようなことをしていたそうですが、その頃の作品は初期の黒田清輝にルーツがあるように感じられます。

そのなかにフランスで磨かれた描写や色彩が織り込まれていて、日仏の混淆が極まるとどちらでもない独特の作風になるのだと実感しました。

特に可愛かったのが猫の絵で、「闘争()」という作品なのですが、何匹もの猫が画面の中を所狭しと暴れまわっているのです! 表情豊かでユニークで、浮世絵にも通ずるエッセンスを感じました。

 

最晩年は洗礼後のため宗教画が多く、そこに生活が切り取られて見えていたのがとても素敵でした。

宗教画なのに生活感のあるいきいきとした絵で、不思議だなあと思いました。

フランスで最期を迎えたとき、彼のもとにはイエスが迎えに来てくれたのでしょうか。

そんな空想をしながら会場を後にする星野でした。

 

作家と作品は切り離すべきだという論が文学では活発です。

もちろん作家の生活の様子や当時の時代背景がわからなければ批評のしようがないのかもしれませんが、作家にとらわれすぎて見方が狭隘になるのは避けなければなりません。

絵画においても同じことが言えると思いました。

例えば最晩年の宗教画は、彼の人生の中で「戦争」を経験したり、もう喪われてしまったものへの郷愁があったと解釈するのが妥当だと思います。

ですが、その作品の持つ「ここが美しい」(色だとか造形だとか)というポイントに焦点を当てて評価することや、「怖い」「気持ち悪い」みたいな負の感情にも向き合うことも必要なのではないでしょうか。

絵画をどう鑑賞するかは見ている私たちにゆだねられています。

私たちの持つ「文脈」と、作者の持つ「文脈」がクロスした瞬間に感動は生まれるのではないかと、私は思うのです。

 

そろそろ教育実習が始まるので、更新が途絶えるかと思いますが、死んではいないので安心してください()

次の展覧会はフェルメールにしようかな。

 

今回はここまでです。

それでは、また。