朝からしゃっくりが止まりません。助けて。
どうも星野です。
今日は来週月曜日に終わってしまう「モネ―それからの100年―」展についてレポートします。
今回の作品展は、モネが生涯描き続けた「睡蓮」から彼の意図を読み取り、それが現代アートまでどのように繋がっているのかを紐解く展覧会です。
大盛況なのでネットでチケットを買って夕方からの鑑賞をおすすめします。
お子さんお連れの方も大勢いらしてました、子ども向け解説もあったからだと思います。
芸術の秋に是非ご家族で。
モネの「睡蓮」。言わずと知れた、日本でも人気の高い作品ですね。
入場してから最初に、鑑賞者は「何故私たちはモネの『睡蓮』に魅せられるのか」と問いかけられます。
ぼんやりとした筆のタッチが好みだから?
光をとらえた先進的な絵画だから?
いろいろ理由はあると思いますが、この美術展ではモネを「現代芸術の生みの親」としていました。
筆触分割と言って、パレットの上で絵の具を混ぜるのではなく、原色のまま絵の具を画面に乗せて、隣に混ぜたい色を置くことによる視覚的な色の混ざりあいを利用し、光を描くことに成功したモネ。
それは究極の写実主義であったのにも関わらず対象の再現からは離れていきました。
大気の揺らぎなど刹那の不定形を追い求めたモネの作品は、どのように現代芸術に影響を与えているのでしょうか。
前衛芸術家として知られる中西夏之の「夏至・橋の上」という作品では、モネのように絵の具を画面に乗せて表現していましたが、私はそれを菖蒲の花だと何故か直感したのです。
タイトルからの想像かもしれませんが、紫と白が目を引く作品で、アンフォルメル(不定形)な色の混ざりがモネの遺伝子を継いでいると感じました。
丸山直文の「Puddle in the woods 5」は生地のままキャンバスに絵の具を染み込ませる方法で描かれた作品です。
ふんわり、ぼんやりとした木立の風景が、心の機微を表しているとされていましたが、すごく見ていてほっとする作品でした。
モネのぼかす、という技法をさらに発展させた形と言ってよいでしょう。
松本陽子の「振動する風景的画面 Ⅲ」は、一面ピンクのもや。
塗る・混ぜる・拭き取るという工程を1日で描いたというこの作品は、モネと同じく描くのにかけた時間や、描いているうちに変化する「継続する『時間』というもの」をとらえようとした作品だと言えます。
ゲルハルト・リヒターの「アブストラクト・ペインティング(CR 845-8)」は、具象/抽象を超えた絵画の本質に迫ろうという一作。「シャイン」(ドイツ語で光/仮象の意味)を描こうとしたその気概はモネに通ずるものがありますね。
光は仮象であり、見るものは不確か。
では画家は何を見て絵を描くのでしょうか。
私なりの答えとしては、彼らの目に映った「個別の現実」を、「それぞれの手法で」描いているのだ、と考えました。
目に映るすべてが現実であり虚像である。
逆説的ですが、事実そうです。
ひとりとして同じものを見て同じように感じる人はいませんからね。
だからこそ、「シャイン」に惹かれる理由もわかる気がします。
誰も見つけていない、私だけの「光」……なんだかロマンティックじゃないですか?
水野勝規の「reflection」「photon」には惹き付けられるものがありました。
あの映像作品はずっと見てられる。
すごくきれいな川面の色、光の変化が克明に映し出されていて、モネのとらえようとしたものをデジタル機器はこんな風に切り取るんだ、と驚きました。
当初は写実から離れていったのに、リアリティの具現化みたいな作品にもモネの息づかいを感じるのは、作者のちょっとした皮肉なのでしょうか。
モネは反射像と実像の交錯に執心しました。
水面に映る木々と睡蓮など、例となる作品は枚挙に暇がありません。
そんなモネの作品をオマージュしたものもたくさん展示されていました。
福田美蘭の「モネの睡蓮」はその最たるものかもしれません。
モネが描いたジヴェルニーでの風景をよりリアルに切り取ったようなこの作品は、モネが睡蓮に並々ならぬこだわりを抱いた理由がなんとなくわかる気がしてくる不思議なもの。
現代風に表せばより写実に近付くのに、どこか浮世離れした感覚がする……そんな作品でした。
ジャン=ポール・リオペルの「絵画」はタイトルからも何がモチーフなのか想像がつかないのですが、私は椿だと思いました。
何故かわからないけれど、椿。
色合いからだとは思うんですが、寒椿のイメージが想起されました。
作品を見て別の何かを想像することができるのは人間の特殊な能力ですよね。
自分でもわからない何かに導かれるようにイメージが湧き出てくる経験は初めてで、すごく心が震えました。
私の好きなアンディ・ウォーホルも「花」というタイトルのスクリーンプリントを出していました。
花を純化したという点でモネとの共通点を見つけることができます。
ハイビスカスがもとらしいんですが、単純化されてしまうとすべてが同じように見えるのはウォーホルならではのニヒルな表現なのかもしれませんね。
前述した福田美蘭は、「睡蓮の池」と、特別出品として「睡蓮の池 朝」を出していたのですが、これがまた素敵な作品で……
高層ビル群を背景に、キャンドルの灯ったレストランのテーブルが、まるでモネの睡蓮のようでした……
睡蓮を踏襲しつつも、現代らしさのある名作でした。
私これ大好きです。オススメ。
小野耕石の「波絵」は驚きの一作でした。
見る角度によって色が変わって見えるのです。
アルミに貼った紙でここまで出来るのか!! と感動しました。
これは本物を見る価値があります。
印象派という光をとらえる絵画が、現代では写真のように切り取られていく様がいちばんの見所なのかもしれません。
印象派が現代芸術に与えた影響は多く、皆が魅了され、それを超えようとしていく様子が伝わってくる展示会でした。
虚実が同じ重みで鑑賞者に迫ってくるというのが芸術の真骨頂、とも言われますが、色がきれいとか、形が面白いとか、視覚的に訴えてくるものをそのまま受け入れることも大切だと教えてくれた展示会でもありました。
次はレオナール・フジタの展覧会へ行ってこようと思っております。
またこうしてレポートするので是非ご一読ください。
今回はここまでです。
それでは、また。