ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

【ネタバレ有】カードキャプターさくら 考察

暇があるわけでは決してないのですが、やりたいことからやりたいだけやっていくというスタンスで事に当たりたいタイプの星野です。
連続ですが書き溜めてあったので投稿。
 
今回は私の大好きな「カードキャプターさくら」について語らせて頂きます。
もう趣味全開!  って感じのトークになるかと……共感してくださる方がいらっしゃれば嬉しいです。
1度Twitterに載せているものを加筆修正したものです。どこかでお読みくださっている方がいたら、また味わっていただければと。
 
カードキャプターさくら」はCLAMPという女性の創作集団が手がけた作品です。1996年から2000年まで講談社の「なかよし」に連載され、1998年から2000年にかけてアニメ化もされました。現在「クリアカード編」として新章が「なかよし」で連載中、今年1月からはNHKで毎週日曜午前7時30分から「クリアカード編」の新作アニメが放映されています。
アニメの脚本にはCLAMPの大河七瀬さん、コスチュームデザインには同じくCLAMPのもこなさんが携わっています。つまり原作者様ご自身でアニメを作られているということ……すごいですよね!?
私は幼少期にアニメを観ていて、おぼろげな記憶が残るくらいだったのですが、大学に入って友達から漫画を借りドはまりしました。
 
1998年のアニメ放送当時、自我など毛ほども芽生えていなかった私は「さくらちゃんって可愛い」「雪兎さん素敵」くらいしか思っていませんでした。
けれど大人になってから再放送を観て、いろいろと思ったことがあるのです。
今回はそれを言葉にしてみるという試みであります。
 
アニメ後半で描かれる小狼くんの恋心や桜ちゃんの悲しみを見ていると、少しだけ大人になった今だからこそ分かるメッセージ性に気付きました。それは「愛情」の形についてだったのです。
友世ちゃんは「さくらちゃんの幸せが私の幸せ」だと繰り返し言います。それってかなりすごいことだなと思うのですが、どうでしょうか?
好きなら自分の気持ちに応えてほしいと思うはずなのに、本当ならその選択は痛みを伴うはずなのに、友世ちゃんは笑顔で桜ちゃんの幸せを大切にするのです。
大人でもなかなか出来ない決断ですよね。自分のことしか考えずに子どもを悲しい目に遭わせる親などもいるこの世の中で、こんなに純粋に相手の幸せを想えるって……ただ畏敬の念を抱くばかりです。すごいですよこの子。
小狼くんも「(桜ちゃんを好きだという)自分の気持ちを伝えたらあいつが困る」と、自分の気持ちを押さえ込みます。それにも相当覚悟が要りますよね。両想いになりたい気持ち、自分の気持ちを伝えて相手を肯定したい気持ちがあるはずなのに……
相手のことを本当に想っているからこその台詞。それは臆病でも逃げでもなく、むしろ強い決意の現れだと私は考えています。この子もこの歳なのにしっかりしてるなぁ……と半分親目線で視聴していました(笑)
雪兎さんは桜ちゃんの想い(憧憬)に対して(ほのかに恋愛感情があることを分かっていながら)「(自分は桜ちゃんにとっての)本当のいちばんじゃない」と諭します。これは幼かった私にとっていちばんよくわからなかった台詞なのですが、今なら分かる気がします。好きって色んな意味があるということ。LOVEもLIKEも日本語では「好き」になる。自分への憧れや家族愛に近い感情を見抜いた雪兎さんは、そこを見誤るなと優しく桜ちゃんを導くのです。これで高校生だから驚きですよね……少なくとも私が高校生だったときはそんなこと考えもしなかった……
桜ちゃんは、そうした温かく素敵で優しい人たちに囲まれて、自分の気持ちを見つめ直したり成長したりしていきます。私がここで声を大にして主張したいのは、そんな「祝福」を受けて育つことが、将来の貴重な財産になるということです。
教育の勉強をしてそれが分かりました。誰も教えてくれないけれど大切なこと、それは愛されること。どんな形であれ、認めてもらうこと。幼児期に愛着形成(アタッチメント)と呼ばれるもの、大きくなったあとは承認欲求に昇華されるもの、それを満たすのは教育にとっては基本中の基本ですが、それこそが子どもの発達に必要なのです。
私も人の運には恵まれてるところがあるから、桜ちゃんと自己を重ねて反省しているところです。
 
以前授業で扱った評論(むしろ随筆?)で「成長成熟と喪失」について読みました。
その評論文はおおよそ、次のような内容でした。
青年期までに「この作品がすごい」「この作品のようになりたい」と思えるものを誰しも見つけると思いますが、それは大人(30代以降)になってから見直すとどこかチープに感じるという現象が起こります。
これは別に作品が本当に駄作であるということではなく、自分の成長による価値観の変容がそれを引き起こしているのです。
価値観の変化は大人になった証拠で、新しいものの見方を提供しますが、それだけ別の感性を喪失しているということに繋がるのではないでしょうか。
(山田太一「『オーケストラの少女』はひどい映画か?」)
 
私はこれを読んだときに、まだ少し実感が湧かないなぁと思ったものです。
今の自分はきっと、子どもと大人の狭間にいてその両方からいいとこ取りをしている状態なんだなぁと思います。大人としての視点、子どもとしての視点。どちらも教職には欠かせないですよね。分からないことが分かるようになった自分の進歩は嬉しいですけれど。
この評論は前述した通り「成熟することで喪失を起こし青年期に感動を受けた作品をチープだと思ってしまう」という結論でした。
ですが私はちょっと反論したいのです。
 
でも私はどっちもわかるんだもん。
 
精神年齢が低いということなのかもしれないけれど、その感性を大事にして、大人目線の冷静な客観視もしつつ作品に触れていたいと感じています。
 
その後「劇場版カードキャプターさくら・封印されたカード」を観に行きました……泣きました……ということで続けて感想を。
ネタバレ含みますのできちんとご覧になってからの閲覧を推奨します。
 

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来場者特典でもらったカード
 
色々なテーマが隠されているこの作品……まず最初に感じたのは「素直になること」の大切さと難しさでした。相手の気持ちを考えるほど伝えるのって勇気が要りますよね。チャンスを失いかけて初めて「言わないと後悔する」とか「相手にも失礼だし卑怯だ」と気付くのかもしれないと思いました。私も経験があるからわかるのです。
でも桜ちゃんの言う通り、「一方的に気持ちを押し付けるのは友達じゃない」。コミュニケーションは双方向のものなのだと改めて痛感しました。だからやっぱり、どんな気持ちでも対話してみたほうが生産的なんだろうな、とも。
次に感じたのは「信頼」と「価値観」について。友世ちゃんが桜ちゃんをおめかしさせられないと後悔すると話していたシーンで「(何が大切かは)人それぞれですわ」と発言していて、この子は本当に桜ちゃんを愛しているんだなと……うるっときてしまいました。なんのことはないシーンなのですが、私の琴線に触れた場面です。このふたりのあったかくて優しくて素敵な関係がうらやましくもあり。色んな価値観を許容すること、自分の中で譲れないものをきちんと見つけることって、大人になる(成長する)第一歩です。桜ちゃんに対する絶対の信頼と、それを支える「これが好き」な気持ちの強さは偉大だと思います。友世ちゃんマジ女神。
何より「今まで桜ちゃんは自分の作ったコスチュームと一緒にいつも戻ってきたから今回もきっと大丈夫だって信じてる」(意訳)と、緊迫したシーンでもはっきり言えるのは友世ちゃんの鋭い直感、懐の深さを表している!  と感動しました。素晴らしい……
コスチュームを作ることで、友世ちゃんは桜ちゃんと一緒に戦っているのでしょうね。ふたりの友情に……幸あれ……
 
この作品のテーマを概括すると、
 
「こんなにも純粋に好きって言える相手は、もうこの先一生見つからない」
 
ってことだと思います。
そんな思いが伝わってくるラストでした。
脚本、演出、演技、ぜんぶ満点でした!
真面目に泣けます。尊すぎて。
気になった方、是非観てください。違法ではない方法で。
 
好きなものを好きと言えることの大切さを日々感じるので、たまにはこんな話もいいかなと思って綴ってみました。何かの足しになれば。
それでは今回はこの辺りで。